関 春茂(せき はるしげ、1857年5月8日安政4年4月15日[1]) - 1939年昭和14年)2月26日[2])は、日本の政治家青森県八戸町長。

関春茂
せき はるしげ
生年月日 1857年5月8日
出生地 日本の旗 日本 陸奥国八戸城
(現・青森県八戸市
没年月日 (1939-02-26) 1939年2月26日(81歳没)
宗教 ギリシア正教

在任期間 1923年 - 1929年

在任期間 1888年 - ?
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来歴・人物 編集

八戸城下で生まれる。1875年明治8年)に蛇口胤親によって開設された八戸で初の英学校「開文舎」で学ぶ。翌年に陸奥国八戸光学会でギリシア正教の洗礼を受ける。1881年(明治14年)に明治天皇が八戸に巡幸した際には漢詩の祝詞を贈ったこともある。

1888年(明治21年)に青森県会議員に初当選、翌年に奈須川光宝らと自由党系の政治結社である八戸土曜会を結成した。 1923年(大正12年)に八戸町長に就任し、1929年(昭和4年)の八戸市発足まで町長を務める。

政策・政治活動 編集

八戸聾唖学校、尋常小学校八戸分校(後の八戸高等学校)、第二高等女学校(後の八戸東高等学校)の誘致に取り組み、町立工業徒弟学校を設立した。

脚注 編集

  1. ^ 衆議院『第二十回帝国議会衆議院議員名簿』〔1904年〕、17頁。
  2. ^ 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年、343頁。

参考文献 編集

  • 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。

関連項目 編集

先代
北村益
第6代八戸町
1923年 - 1929年
次代
(八戸市発足)