関西大倉中学校・高等学校
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関西大倉中学校・高等学校(かんさいおおくらちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、大阪府茨木市室山二丁目にある私立中学校・高等学校である。学校法人関西大倉学園が運営する。通称は関倉(かんくら)。
関西大倉中学校・高等学校 | |
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2008年5月撮影 | |
北緯34度50分58.3秒 東経135度32分28.9秒 / 北緯34.849528度 東経135.541361度座標: 北緯34度50分58.3秒 東経135度32分28.9秒 / 北緯34.849528度 東経135.541361度 | |
過去の名称 |
関西商工学校 関西実業高等学校 大阪大倉商業学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人関西大倉学園 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース |
特進Sコース特進コース 総合コース 六年一貫コース 六年一貫コース(Sクラス) |
学校コード |
C127310000568 中学校) D127310000398 (高等学校) | (
所在地 | 〒567-0052 |
大阪府茨木市室山二丁目14番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概説
実業家の大倉喜八郎が創立した大阪大倉商業学校を前身とし、1948年に合併し、関西大倉高等学校となった。現在の関西大倉中学校は、1994年に開校。
元々は男子校であったが、1997年度より中学校が、そして2000年度より高等学校の一部のコースも共学となった。また、2007年入学高校生からは、国際コース・特進コース・総合コースが廃止。共学の特進コース・共学の総合コースが新設された。2010年度から高校に特進Sコースが用意された。
120周年を控え、新校舎に建て替える計画が進行している。
友好校
大倉喜八郎は、実業家としてだけでなく教育事業家としても有名であり、私財を投じて同校の他に、大倉商業学校(現・東京経済大学)と善隣商業学校(現・善隣インターネット高等学校)を創立した。
東京経済大学並びに同校同窓会「葵友会」大阪支部の公式行事には、同校より理事長・学長が招かれ交流が行われている。
沿革
前身は関西商工学校と大阪大倉商業学校の2校である。
関西商工学校は1902年10月、大阪市北区堂島に開校した。1905年には西成郡鷺洲町大字大仁(現大阪市北区大淀南2丁目)に移転している。
一方で大阪大倉商業学校は1907年9月、大倉喜八郎によって大阪市北区常安町(現在の北区中之島)に開校した。
1948年の学制改革により、関西商工学校は新制関西実業高等学校となり、新制中学校も併設した。
関西実業高等学校と大阪大倉商業学校は1948年9月に合併し、関西大倉高等学校となった。敷地は大淀区大仁町・従来の関西実業高等学校(旧制関西商工学校)敷地を使用した。
1963年に現在地に移転した。移転前の旧敷地は、1966年から2008年まで朝日放送の社屋など(ABCセンター)として使用された。
年表
- 1902年10月 - 関西商工学校開校
- 1907年9月 - 大阪大倉商業学校開校。
- 1948年4月 - 関西商工学校は関西実業高等学校と改称。中学校設置
- 1948年9月 - 関西実業高等学校と大阪大倉商業学校が合併、関西大倉高等学校となる。
- 1963年4月 - 全校が現在地に移転
- 1974年4月 - 中学校生徒募集停止
- 1994年3月 - 関西大倉中学校(既存)廃止
- 1994年4月 - 関西大倉中学校新設
- 1997年4月 - 中学校男女共学開始
- 2000年4月 - 高校に国際コース(女子のみ)新設
- 2007年4月 - 特進・総合コース共学化に伴い、国際コース廃止
- 2010年4月 - 高校に特進Sコース新設
コース概要
高校では、以下のコースに分けられる。すべて普通科である。
- 特進Sコース
(2年生から文系と理系に分けられる。)
- 特進コース
(2年生から文系と理系に分けられる。)
- 総合コース
(2年生から総合理系コース、文系Ⅴ型コース、文系Ⅲ型コースに分けられる。)
- 六年一貫コース
(2年生から文系と理系に分けられる。)
- 六年一貫コース(Sクラス)
(2年生から文系と理系に分けられる。)
過去にあったコース(一部)
- 国際IIコース(特進コース)
- 国際Iコース(総合コース)
- 立命館提携コース
著名な出身者
- 松下幸之助(松下電器産業(現・パナソニック)創業者)中退
- 冨田裕樹(元池田市長)
- 戸田義郎(元神戸大学学長)
- 宮崎義一(京都大学名誉教授)
- 廣慶太郎(久保田鉄工相談役)
- 宮本輝(芥川賞作家)
- ジョン・B・チョッパー(ベーシスト、ウルフルズメンバー)
- 桂枝女太(落語家)
- 桂梅枝 (4代目)(落語家)
- 山田紘平(島本町長)
- 坪井清足(考古学者)
- 瀬川晃(同志社大学法学部教授)
- 藤井純一(近畿大学経営学部特任教授、前北海道日本ハムファイターズ球団社長)
- 松田純一(ミュージシャン)
- 影山英俊(俳優)
- 渡田均(プロ野球審判員)
- 須山祐多(プロ野球審判員)
- 伴野智(映画プロデューサー)
- 無徒史朗(元南海ホークス選手)
- 田谷野亮 (俳優)
- 高木三四郎(プロレスラー)
- 宮本悟(政治学者、聖学院大学政治経済学部教授)
- 阪上善秀(政治家)
- 羽根田智也(ラグビー指導者)
- 木田晴斗(ラグビー選手)
交通
石橋阪大前・千里中央・北千里・JR茨木(茨木市営上穂東町バスターミナル)・阪急茨木の各鉄道駅から学校までのスクールバスが専用車両によって運行されており(阪急バスに委託)、生徒の約7割がスクールバスを利用している時代もあったが、現在は自転車生の割合も増えた。約半分は自転車生である。
学校周辺には阪急バスの路線網があり、スクールバスを利用しない場合などは路線バスを利用することになる。ただし日曜日、祝日、その他の休みの日はスクールバスの運行が無く、学校から徒歩約30分のバス停から坂を徒歩で登る必要がある。自転車でも登校できる(自転車の場合、保険に入っておく必要がある)。
校歌について
2002年から2008年までの6年間は、本学園の校歌には3番まで存在した。この3番は、創立100周年の周年事業として、2002年に当時の音楽科講師が作詞・作曲したものであり、原曲24小節のうち、末尾の9小節程度のコード進行にも手が加えられていた。しかし、原曲(1,2番)の作曲者に対して許諾を得ておらず、後年遺族に問題視され、3番を削除するように要求されるに至った。当時配布されていた楽曲のCDなどは軒並み回収された。
関連文献
- 創立90周年記念誌編集委員会『関西大倉学園創立90周年記念誌』1992年11月