関野浩之

日本のアナウンサー

関野 浩之(せきの ひろゆき、1962年5月6日 - )は、日本のフリーアナウンサーナレーター東京都出身。2023年9月までプロダクション人力舎に所属していた。

せきの ひろゆき
関野 浩之
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 東京都
生年月日 (1962-05-06) 1962年5月6日(62歳)
最終学歴 玉川大学芸術学部芸術学科演劇専攻卒業
所属事務所 プロダクション人力舎
フリー
活動期間 1990年 -
ジャンル スポーツ
公式サイト 関野浩之公式ウェブサイト
担当番組・活動

略歴

編集

玉川大学芸術学部芸術学科演劇専攻を卒業した。在学中の1983年には「劇団大三帝国」(現在の劇団SWAT!)の結成に参加している[1]

大学卒業後は俳優として舞台やテーマパークのショーなどを中心に活動した[1]

28歳の時にフリーアナウンサーに転向し、テレビ番組司会・パーソナリティ・リポーターなどを数多く担当する[1]

プロ野球ニュース』でナレーションを担当したのを契機に、フジテレビにおいてスポーツ関連番組のナレーションを多く務めている。また、1997年からはサッカー日本代表のホームゲームにおけるスタジアムアナウンサーを務めており[2]、その他日本で開催されるサッカーの主要試合(天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝、FIFAクラブワールドカップJリーグYBCルヴァンカップ決勝など)でもスタジアムアナウンスを担当している。

2009年以降はプロ野球ドラフト会議の司会も担当している。また、これに倣い2013年からは「AKB48グループドラフト会議」の指名チーム・候補者読み上げも担当している[3]

2021年に開催された2020年東京オリンピックパラリンピックでは横浜国際総合競技場で行われたサッカーの試合[4]、および開会式閉会式日本語によるスタジアムアナウンスを担当した[5][6][7][8]

この他、CMDVD等のナレーションや各種イベントの司会など、スポーツに限らず様々なジャンルで活動している[1]

2023年10月2日、契約満了につき同年9月30日をもってプロダクション人力舎を退所した事を公表した[9][10]

出演番組

編集

現在

編集

過去

編集

脚注

編集

出典

編集
  1. ^ a b c d プロフィール”. フリーアナウンサー 関野浩之公式ウェブサイト:UPDRAFT(アップドラフト). 2021年8月8日閲覧。
  2. ^ ドラフト会議の声=日本代表のスタジアムDJ!その名は関野浩之”. Qoly (2016年10月20日). 2016年10月21日閲覧。
  3. ^ 【AKBドラフト】チームH指原、一本釣り宣言 抽選なら「泣く」”. ORICON NEWS. oricon ME (2013年11月10日). 2023年10月7日閲覧。
  4. ^ 関野浩之 (2021年8月19日). “サッカー競技は横浜担当でした”. 関野浩之オフィシャルブログ「Anownswer -今に応える-」. Abema. 2021年9月7日閲覧。
  5. ^ ドラフト会議でおなじみの声が… 開会式の国名読み上げは関野浩之さん 野球ファンがノリノリ【東京五輪】”. 東京中日スポーツ (2021年7月23日). 2021年7月24日閲覧。
  6. ^ 【開会式】会場アナウンスは関野浩之さん…サッカー代表戦やプロ野球ドラフト会議でも有名”. スポーツ報知 (2021年7月23日). 2021年7月24日閲覧。
  7. ^ 関野浩之 (2021年8月25日). “東京2020パラリンピック開会式”. 関野浩之オフィシャルブログ「Anownswer -今に応える-」. Abema. 2021年9月7日閲覧。
  8. ^ 関野浩之 (2021年9月6日). “パラリンピック閉会式を終えて”. 関野浩之オフィシャルブログ「Anownswer -今に応える-」. Abema. 2021年9月7日閲覧。
  9. ^ 関野浩之 退所のお知らせ”. プロダクション人力舎 公式サイト (2023年10月2日). 2023年10月7日閲覧。
  10. ^ 関野浩之 [@sekinohiroyuk] (2023年10月2日). "私の足元を固めてもらった10年間。やるべき仕事、進むべき方向を指し示してくれた人力舎には感謝しかありません。東京2020開会式MCが決まった時に共に喜び、大役を無事に終え共に安堵した事は一番の思い出です。今後も皆様のご期待にそうよう邁進して参ります。引き続き宜しくお願い申し上げます". X(旧Twitter)より2023年10月7日閲覧

関連項目

編集

外部リンク

編集