(えん)またはは、漢姓のひとつ。

各種表記
繁体字 閻/閆
簡体字 阎/闫
拼音 Yán
注音符号 ㄧㄢˊ
ラテン字 Yen
広東語発音: Jim4
上海語発音: Nyie1
台湾語白話字 Giâm
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中国の姓編集

中華圏の一般的な姓で、2007年の統計によると、閻は中華人民共和国で77番目に多い姓だった[1]

現行本の『百家姓』で、「閻」は327番目、「閆」は460番目に分かれて出てくるが、この2字が別字であるかどうかには問題がある。

文字編集

「閻」と「閆」は一応別の字とされるが、「閆」は古い書物に見えない。『五音篇海』に『俗字背篇』を出典として「閆」字を載せ、「閻」に同じとしている[2]。おそらく本来は「閻」の異体字と考えられる。『正字通』で「閆」を姓のための専用字とし[3]、それを継承した『康熙字典』・『大漢和辞典』にも「閆」が載せられている。

簡体字では古くは「阎」のみで「闫」を異体字としていた。1977年の第二次漢字簡化方案では「闫」に統一されたが、この方案は廃止された。現在は「阎」と「闫」を分けているが、本来「阎」であっても姓には「闫」の字が使われることが多い。だが、姓氏辞典の類で、「闫」を見出しに立てずに、「阎は闫とも書く」と簡単にすませてしまっているものもある[4]

著名な人物編集

朝鮮の姓編集

えん
各種表記
ハングル
漢字
発音:
日本語読み: えん
ローマ字 Yeom
マッキューンライシャワー式 Yŏm
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(えん、ヨ: )は、朝鮮人の姓の一つだったが、1930年の国勢調査当時、初めて登場し[5]、当時、既に世系の伝を失っており、本貫も不明でその考証は難しいが、高麗の太祖朝に、中国から帰化して義刑台令を歴任した閻長が文献上の初見である[6]。1985年、経済企画院実施の「人口センサス」の集計結果285姓氏には含まれておらず、姓を改めたとも考えられる[6]が、中国東北地方に暮らす朝鮮族には、滅多に見られないものの存在するという[7]。これについて以下に述べる。

人口と割合編集

1930年度国勢調査の時全北沃溝郡開井面峨山里に唯一1世帯が現われた[5][6]が、その後、1960年の調査や85年の調査[6]、75年の調査[7]、近年の2000年の総調査でも発見されていない。ただし、中国東北地方に暮らす朝鮮族にも滅多に見られないものの、吉林省和竜市にこの姓が見られる[7]ということなので、既に1930年の段階で、朝鮮王朝後期以降の間島地方への流出や、1905年の日本による保護国化、1910年の併合以降の日本支配を嫌って、一族の多くが抗日義兵難民として東北地方に移住していた可能性もある。更に独立後も、朝鮮戦争によって難民として流出した可能性もある。

年度 人口 世帯数 順位 割合
1930年 (世帯のみ調査) 1世帯
1960年 0人
1985年 0人 0世帯
2000年 0人 0世帯

著名な人物編集

脚注編集

  1. ^ 中国で最も多い姓は「王」、9288・1万人”. 中国通信社 (2007年4月25日). 2015年11月25日閲覧。
  2. ^ 成化丁亥重刊改併五音類聚四聲篇海』巻七・門部・閆。「以炎切。与閻同。」
  3. ^ 正字通』門部三画・閆。「移廉切。音閻、姓也。『挙要』「閆」同「閻」。『説文』有「閻」無「閆」。今『姓譜』分為二。」
  4. ^ 陳明遠、汪宗虎『中国姓氏辞典』北京出版社、1995年、488頁。「“阎”又作“闫”。」
  5. ^ a b 朝鮮総督府『朝鮮の姓』朝鮮総督官房臨時国勢調査課、第一書房 (朝鮮総督府)、東京 (京城府)、1977年(原著1934年)、復刻版、72頁(日本語)。
  6. ^ a b c d 「새역사」역사편찬회『한구인 성씨 족보(韓国人の姓氏と族譜)』「새역사」역사편찬회、図書出版オンブックス(도서출판 온북스 (onbooks))ソウル、2008年(原著2004年)、第3版、746頁(朝鮮語)。ISBN 8995435135
  7. ^ a b c d 杜若甫 主编「朝鲜族」『中国少数民族姓氏』责任编辑 于玉莲、唐海琴、其他;编辑委员、民族出版社北京、2011年、437頁(中国語)。
  8. ^ 朝鮮戦争で朝鮮人民軍に従軍して戦死したということ。

関連項目編集