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阪九フェリー株式会社(はんきゅうフェリー、: Hankyu ferry Co., Ltd.)は、福岡県北九州市門司区新門司北に本社を置く海運会社(SHKライングループ)。阪神地区と北九州を結ぶフェリー航路を運航している。日本初の長距離カーフェリー事業者である。みどり会の会員企業であり三和グループに属している[2]

阪九フェリー株式会社
Hankyu ferry Co., Ltd.
Funnel mark of Hankyu Ferry.jpg
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
800-0113
福岡県北九州市門司区新門司北1-1
本店所在地 658-0031
兵庫県神戸市東灘区向洋町東3丁目2-1
設立 1966年4月28日
業種 海運業
法人番号 7140001002256
事業内容 一般旅客定期航路事業
代表者 小笠原 朗 (代表取締役社長)
資本金 12億円
売上高 113億4200万円(2019年03月31日時点)[1]
営業利益 21億6600万円(2019年03月31日時点)[1]
経常利益 15億9700万円(2019年03月31日時点)[1]
純利益 11億4900万円(2019年03月31日時点)[1]
純資産 63億0300万円(2019年03月31日時点)[1]
総資産 266億9600万円(2019年03月31日時点)[1]
従業員数 223名(2016年4月現在)
決算期 3月31日
主要株主 関光汽船 31.5%
新日本海フェリー 12.2%
JXTGエネルギー 10%
日本郵船 10%
外部リンク http://www.han9f.co.jp/
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「フェリーせっつ」 - 新門司港沖
新門司第1ターミナル
新門司第1ターミナルの待合室
神戸ターミナル
神戸ターミナルの待合室
泉大津ターミナル

目次

沿革編集

関光海運(現在の関光汽船)の社長入谷豊州が掲げた「海のバイパス」構想により、同社に「長距離フェリー研究部」が設置された。当時は長距離を運航するフェリー航路の前例がなく、周囲から不安視されていたが、国道2号(神戸市須磨と下関市)で実地調査を行い、採算がとれるか需要予測を立てたという。名神高速道路1963年(昭和38年)7月に部分開通)など、モータリゼーションを見越した構想でもあったが、当時は未整備の道路が多く、渋滞も激しい国道2号の代替ルートとして考えていたといわれる[3][誰?]。また、トラック輸送を狙ったものの当初は乗用車の利用のほうが多かったが、次第にトラックの利用も増加し、入谷が掲げた「海のバイパス」構想は成功を収めた。

1973年(昭和48年)にほぼ並行する航路を開設した名門大洋フェリー(名門カーフェリーと大洋フェリーが1984年(昭和59年)に合併)と激しい競争を続けている。

年表編集

  • 1965年(昭和40年)9月:設立発起人会を開催する。
  • 1966年(昭和41年)4月:関光汽船が阪九フェリー株式会社を設立。
  • 1967年(昭和42年)4月:神戸 - 小倉間の一般旅客定期航路の事業免許を取得する。
  • 1968年(昭和43年)
    • 8月10日:日本初の長距離カーフェリー航路として、神戸(魚崎) - 小倉(日明)航路を開設。第1船「フェリー阪九」が就航。
    • 11月:神戸 - 小倉航路に第2船「第六阪九」が就航。2隻での毎日運航を開始。
  • 1969年(昭和44年)6月:関光汽船が、新日本海フェリー関釜フェリーを相次いで設立。現在の「SHKライン」(Shin-nihonkai・Hankyu・Kanpu)の原型ができあがる。
  • 1970年(昭和45年)
    • 9月:神戸 - 小倉航路に第3船「フェリーせと」が就航。
    • 11月:神戸 - 小倉航路に第4船「フェリーはりま」が就航。1日2便の運航となる。
  • 1972年(昭和47年)
    • 9月:神戸 - 小倉航路に第5船「フェリーながと」が就航。
    • 11月:神戸 - 小倉航路に第6船「フェリーあかし」が就航。1日3便の運航となる。
  • 1973年(昭和48年)
    • 4月:山下新日本汽船(現:商船三井)系列の西日本フェリーが神戸(深江) - 苅田航路を開設。第1船「つくし」が就航する。
    • 12月:西日本フェリー神戸 - 苅田航路に第2船「はかた」が就航。同社も毎日運航を開始。
  • 1975年(昭和50年)3月:西日本フェリー、阪九フェリーに神戸 - 苅田航路を営業譲渡し会社解散となる。
元・西日本フェリー所有船の「つくし」は「第十六阪九」に、「はかた」は「第十七阪九」にそれぞれ改名。
  • 1976年(昭和51年)
    • 1月:神戸 - 小倉航路に「第二十四阪九」が就航。
    • 3月:「第六阪九」が退役し売却。「フェリー阪九」は予備船となる。
    • 4月:神戸 - 小倉航路に「第三十二阪九」が就航。
  • 1978年(昭和53年)1月:泉大津 - 小倉航路を開設し、「第二十四阪九」「第三十二阪九」が就航。
当時は泉大津市内にはまだ高速道路はなく、大阪市内からも遠く離れているため需要を不安視する向きもあった。
  • 1979年(昭和54年)2月:神戸 - 苅田航路を休止(1980年(昭和55年)2月廃止)。「第十六阪九」が退役(1983年(昭和58年)3月に日本国外へ売却)。
  • 1983年(昭和58年)
    • 3月:中国自動車道が全線開通し、大阪と北九州が高速道路で直結される。フェリーから陸路への移行が進んだため、フェリーの利用率は前年比7%の減少となった。
    • 11月:泉大津 - 小倉航路に「ニューやまと」が就航。「第三十二阪九」を神戸 - 小倉航路に転配。
  • 1984年(昭和59年)
    • 1月:泉大津 - 小倉航路に「ニューみやこ」が就航。「第二十四阪九」を神戸 - 小倉航路に転配。
    • 8月:神戸 - 苅田航路に就航していた「第十七阪九」が退役し売却。
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月:神戸 - 小倉航路に「ニューはりま」が就航。「フェリーはりま」を係船。六甲アイランドに新ターミナル(六甲アイランドフェリーターミナル)が完成し魚崎より移転。
    • 6月:神戸 - 小倉航路に「ニューせと」が就航。「フェリーせと」を係船。本社所在地を下関市より神戸市に移転し、北九州営業所を北九州支社に改称する。
本社があった名残で、所属船の船籍港は現在も神戸となっている。
  • 1989年(平成元年)3月:神戸の六甲アイランドにフェリーターミナル設立。
  • 1991年(平成3年)
    • 1月:神戸 - 小倉航路の北九州側の発着地を小倉より新門司に変更。新門司にフェリーターミナル設立。神戸 - 新門司航路に「ニューながと」が就航。「フェリーながと」を係船。
    • 2月:本社機能を新門司に移転。北九州支社を九州本部に、神戸本社を神戸支店に改称する。
    • 3月:神戸 - 新門司航路に「ニューあかし」が就航。「フェリーあかし」を係船。
    • 10月:神戸 - 新門司航路、泉大津 - 新門司航路を、それぞれ1日2便ずつ計4便の運航に改める。
  • 1995年(平成7年)
    • 1月:阪神・淡路大震災により神戸港六甲アイランド埠頭が倒壊し使用不能になる。このため神戸航路の2便を泉大津発着に変更し、泉大津 - 新門司航路が1日4便の運航となる。
    • 8月:六甲アイランド埠頭が仮復旧したため、泉大津 - 新門司航路の1便を神戸 - 新門司航路に復帰。泉大津 - 新門司航路が1日3便の運航となる。
    • 12月:神戸 - 新門司航路に「フェリーせっつ」が就航。「第二十四阪九」を日本国外へ売却。
  • 1996年(平成8年)
    • 2月:泉大津 - 新門司航路を1日3便から2便の運航に変更。
    • 3月:神戸 - 新門司航路に「フェリーすおう」が就航。
    • 11月:神戸 - 新門司航路を1日2便、泉大津 - 新門司航路を1日1便の運航に変更。
  • 1997年(平成9年)10月:神戸 - 新門司航路を1日1便、泉大津 - 新門司航路を1日2便の運航に変更。
  • 2001年(平成13年)12月:泉大津港が新ターミナルに移転する。
  • 2003年(平成15年)
    • 3月:泉大津 - 新門司航路に「やまと」が就航。
    • 6月:泉大津 - 新門司航路に「つくし」が就航(旧:西日本フェリー時代の船名が復活)。
  • 2005年(平成17年)10月:燃料油価格変動調整金を設定。
  • 2007年(平成19年)
    • 4月:シーズン別運賃を設定し、通常期運賃と繁忙期運賃の2本立てとなる。
    • 11月:神戸 - 新門司航路および、泉大津発新門司行きの所要時間変更(所要時間を10分増加)をするダイヤ改定を実施。
  • 2008年(平成20年)6月1日:運航ダイヤ改正及び配船変更。
  • 2009年(平成21年)10月1日:泉大津 - 新門司航路を1日2便から1便の運航に変更。
  • 2014年(平成26年)
    • 7月31日:新造船一隻の名称が「いずみ」に決定。
    • 11月26日:新造船一隻の名称が「ひびき」に決定。
  • 2015年(平成27年)
    • 1月22日:泉大津-新門司航路に「いずみ」が就航。
    • 4月21日:泉大津-新門司航路に「ひびき」が就航。

航路編集

詳細は公式サイトなどを参照。

便数 発港 着港 距離 使用船舶
神戸下り1便 神戸港六甲アイランドFT 新門司港(第1ターミナル) 454 km 「やまと」「つくし」
神戸上り1便 新門司港 神戸港
便数 発港 着港 距離 使用船舶
泉大津下り1便 泉大津港 新門司港(第2ターミナル) 458 km 「いずみ」「ひびき」
泉大津上り1便 新門司港 泉大津港

※凡例:FT - フェリーターミナル。

船舶編集

ファンネルマークは上の細い線が「阪」(半)、下の丸を「九」(球)として「阪九」をあらわしている。

現在のカラーリングは、ベージュ地に船体側面の船首・船尾側に水色のライン、前半分を青の1本線・後ろ半分に左舷側から見てコの字型となる二重の青線、中心に青色の「Hankyu Ferry」ロゴがあしらわれており、2002年「やまと」「つくし」就航から用いられている。

便による船舶の割り当ては次の通りである(ドック期間中は例外がある)。

  • 泉大津発着便 - 「いずみ」「ひびき」
  • 神戸発着便 - 「やまと」「つくし」
 
「やまと」
- 六甲アイランドフェリーターミナル

運航中の船舶編集

2002年(平成14年)4月竣工、2003年(平成15年)3月27日就航。13,353総トン、全長195.0m、幅26.4m、出力27,400馬力、航海速力23.5ノット(最大25.8ノット)。
旅客定員667名。車両積載数:トラック229台・乗用車138台。三菱重工業下関造船所建造。
2002年(平成14年)7月竣工、2003年(平成15年)6月12日就航。13,353総トン、全長195.0m、幅26.4m、出力27,400馬力、航海速力23.5ノット(最大25.8ノット)。
旅客定員667名。車両積載数:トラック229台・乗用車138台。三菱重工業下関造船所建造。
2014年(平成26年)竣工、2015年(平成27年)1月22日就航。15,897総トン、全長195m、幅29.6m、航海速力23.5ノット。
旅客定員643名。車両積載数:トラック191台・乗用車184台。三菱重工業下関造船所建造。
2014年(平成26年)竣工、2015年(平成27年)4月21日就航。15,897総トン、全長195m、幅29.6m、航海速力23.5ノット。
旅客定員643名。車両積載数:トラック191台・乗用車184台。三菱重工業下関造船所建造。

過去に就航していた船舶編集

5,201.8総トン、全長127.7m、航海速力16.8ノット。
旅客定員1,195名。車両積載数:トラック80台・乗用車60台。
1968年(昭和43年)8月10日、小倉-神戸航路に就航。1976年(昭和51年)1月24日をもって退役し予備船に。1986年(昭和61年)、ギリシャへ売却され、「SUN BOAT」→「ARIANE I」→「IERAPETRA」→「RAFFAELLO」→「BRINDISI」→「ATHINA I」と船名や所有者が変わりながら地中海で就航。2007年5月8日、インドで解体[要出典]
5,011.1総トン、全長127.3m、航海速力16.8ノット。
旅客定員1,195名。車両積載数:トラック80台・乗用車60台。
1968年(昭和43年)11月2日、小倉-神戸航路に就航。1976年(昭和51年)5月16日をもって退役後、関釜フェリーに売却し「フェリー関釜」(2代目)に改名のうえ就航。1984年(昭和59年)8月、阪九フェリーが買い戻して予備船とし「希望丸」に改名。1986年(昭和61年)、ギリシャに売却され解体[4]
6,523.2総トン、全長149.1m、航海速力20.0ノット。
旅客定員1,193名。車両積載数:トラック92台・乗用車120台。
1970年(昭和45年)9月1日、小倉-神戸航路に就航。1988年(昭和63年)6月26日をもって退役後フィリピンへ売却され、Sulpicio Linesの「NASIPIT PRINCESS[リンク切れ]」として就航[要出典]
6,521.1総トン、全長149.1m、航海速力20.0ノット。
旅客定員1,193名。車両積載数:トラック92台・乗用車120台。
1970年(昭和45年)11月19日、小倉-神戸航路に就航。1988年(昭和63年)3月18日をもって退役後フィリピンへ売却され、Sulpicio Linesの「COTABATO PRINCESS」として就航していたが、2009年(平成21年)に退役し解体[要出典]
7,009.2総トン、全長150.1m、航海速力20.5ノット。
旅客定員1,185名。車両積載数:トラック94台・乗用車120台。
1972年(昭和47年)9月3日、小倉-神戸航路に就航。1991年(平成3年)1月22日をもって退役後ギリシャへ売却され、「GRACE M」→「FELICIA」と船名や所有者が変わりながら地中海で就航。2003年1月23日、トルコで解体[要出典]
6,987.0総トン、全長150.1m、航海速力20.5ノット。
旅客定員1,185名。車両積載数:トラック94台・乗用車120台。
1972年(昭和47年)11月20日、小倉-神戸就航に就航。1991年(平成3年)3月19日をもって退役後ギリシャへ売却され、船名を「DAME M[リンク切れ]」→「SALAMIS STAR」に変更した。のち、モロッコのフェリー会社Comanavの「MARRAKECH EXPRESS」として就航[要出典]
5,687.0総トン、全長135.5m、航海速力20.25ノット。
旅客定員770名。車両積載数:トラック84台・乗用車109台。
元・西日本フェリー「つくし」。1975年(昭和50年)4月28日、小倉-神戸航路に就航。1983年(昭和58年)10月16日をもって退役後、大韓民国(韓国)の釜関フェリーに売却し「フェリー釜関」(初代)に改名。1998年11月にギリシャへ売却[5] され、Hellas Ferriesの「STARTRAILER[リンク切れ]」として就航したのち、Saos Ferriesの「PANAGIA KRIMNIOTISSA」として就航[要出典]
5,748.3総トン、全長135.5m、航海速力20.25ノット。
旅客定員770名。車両積載数:トラック84台・乗用車109台。
元・西日本フェリー「はかた」。1973年(昭和48年)12月に竣工し同月8日、神戸 - 苅田航路に就航。1975年(昭和50年)3月、阪九フェリーが購入し「第十七阪九」に改名。1984年(昭和59年)8月、関釜フェリーに売却され「フェリー関釜」(3代目)に改名。1998年(平成10年)8月に退役後の1999年2月、釜関フェリーが購入し「フェリー釜関」(2代目)に改名され同月5日就航。2005年5月、「ソンヒ」就航に伴い退役後、同年10月「ウンハ」に改名。2004年7月に運休後の2005年、「ウン」に改名。2006年、ギリシャに売却され、Saos Ferries「PANAGIA AGIASOU」として就航[要出典]
6,936.2総トン、全長151.5m、航海速力21.7ノット。
旅客定員:950名。車両積載数:トラック114台・乗用車38台。
1976年(昭和51年)1月24日、新門司-泉大津航路に就航。1995年(平成7年)12月に退役後フィリピンへ売却され、Negros Navigationの「St. Joseph the Worker」として就航[要出典]
6,950.9総トン、全長151.5m、航海速力21.7ノット。
旅客定員:950名。車両積載数:トラック114台・乗用車38台。
1976年(昭和51年)5月16日、新門司-泉大津航路に就航。1996年(平成8年)2月21日をもって退役後、同年3月にフィリピンへ売却され、Negros Navigationの「St. Peter the Apostle」として就航[要出典]
11,919.0総トン、全長173.0m、航海速力22.5ノット。
旅客定員:760名。車両積載数:トラック166台・乗用車75台。
1983年(昭和58年)10月16日、新門司-泉大津航路に就航。1996年(平成8年)2月21日をもって退役後、同年3月にフィリピンへ売却され、Sulpicio Linesの「PRINCESS OF THE UNIVERSE」として就航[要出典]
11,914.0総トン、全長173.0m、航海速力22.5ノット。
旅客定員:760名。車両積載数:トラック166台・乗用車75台。
1984年(昭和59年)1月29日、新門司-泉大津航路に就航。1996年(平成8年)3月15日をもって退役後フィリピンへ売却され、SuperFerryの「SUPERFERRY 12」として就航[要出典]
12,589.0総トン、全長174.5m、航海速力22.6ノット。
旅客定員:921名。車両積載数:トラック166台・乗用車75台。
1984年(昭和59年)3月18日就航。2003年(平成15年)3月27日をもって退役後フィリピンへ売却され、SuperFerryの「SUPERFERRY 17」として就航。2007年5月、中国と韓国の合弁会社であるHuadong Ferryに売却され「Huadong Pearl III」して黄海航路に就航。2008年5月、スペインに売却ののち、Iscomar「ISABEL DEL MAR」として就航[要出典]
12,589.0総トン、全長174.5m、航海速力22.6ノット。
旅客定員:921名。車両積載数:トラック166台・乗用車75台。
1988年(昭和63年)6月26日就航。2003年(平成15年)6月19日の退役後フィリピンへ売却され、SuperFerryの「SUPERFERRY 18[リンク切れ]」として就航していた。同社から退役後の消息は不明[要出典]
1990年(平成2年)7月竣工、1991年(平成3年)3月19日就航。14,988総トン、全長185.5m、幅26.8m、出力32,400馬力(16,200馬力×2基)、航海速力22.9ノット(最大25.4ノット)。
旅客定員895名。車両積載数:トラック180台・乗用車110台。神田造船所(川尻)建造。
船体には『Hankyu Ferry』の文字が青色で描かれている。
1990年(平成2年)4月竣工、1991年(平成3年)1月22日就航。14,988総トン、全長185.5m、幅26.8m、出力32,400馬力、航海速力22.9ノット(最大25.4ノット)。
旅客定員895名。車両積載数:トラック180台・乗用車110台。神田造船所(川尻)建造。
船体には『Hankyu Ferry』の文字が青色で描かれていた。
1991年(平成3年)1月22日就航。2010年9月30日の退役後韓国へ売却され、SEAWORLD EXPRESS FERRY「STAR Cruise」として木浦 - 済州島航路に就航[要出典]。「Seastar Cruise」に改名。
1995年(平成7年)7月竣工、1996年(平成8年)3月15日就航。15,188総トン、全長189.0m、幅27.0m、出力32,400馬力、航海速力23.0ノット(最大26.0ノット)。
旅客定員810名。車両積載数:トラック219台・乗用車77台。神田造船所(川尻)建造。
船体には就航当初『We Love KOBE』の文字が黒で描かれていたが、2008年(平成20年)6月より泉大津便に配船変更となったことから他船と同じ『Hankyu Ferry』の文字に変更されている。2015年4月20日退役。「Santa Lucino」として木浦 - 済州島航路に就航。
1995年(平成7年)4月竣工、同年12月21日就航。15,188総トン、全長189.0m、幅27.0m、出力32,400馬力、航海速力23.0ノット(最大26.0ノット)。
旅客定員810名。車両積載数:トラック219台・乗用車77台。神田造船所(川尻)建造。
船体には就航当初『We Love KOBE』の文字が黒で描かれていたが、2008年(平成20年)6月より泉大津便に配船変更となったことから他船と同じ『Hankyu Ferry』の文字に変更されている。2015年3月15日退役。「Gold Stella」として麗水 - 済州島航路に就航。

船内設備編集

船室編集

 
「つくし」(エントランス)
 
「つくし」船室(2等指定A)

やまと・つくし編集

船室等級 定員 レディースルーム バリアフリー対応 風呂・トイレ 茶器セット・アメニティ テレビ 浴衣・スリッパ その他
特等室(洋室) 2人 × × ○(使い捨てスリッパ)
1等洋室 2人 × ○(使い捨てスリッパ) ツインベッド
1等和室 3人 × × × ○(使い捨てスリッパ) 布団
2等指定A 1人 × × × ×
2等指定B 4人 × × × 2段ベッド×2
2等指定Bシングル 1人 × × × × ×
2等室 - × × × × × 雑魚寝・更衣室あり
  • アメニティ
タオル・使い捨てスリッパ・歯ブラシ・ヒゲソリ・石けん・綿棒・ヘアバンド・ヘアブラシ・ポケットティッシュ
  • 特等室備品
冷蔵庫・ドライヤー・リラックスウェア・バスタオル・リンスインシャンプー・ボディソープ・特等ウェルカムサービス(菓子・ペットボトルのお茶・水)

いずみ・ひびき編集

船室等級 定員 風呂・トイレ バリアフリー対応 テレビ 洗面台 コインロッカー アメニティ その他 旧称
ロイヤル 2人 × × × プライベートデッキ付 新設[7]
スイート 2人 × × × 特等洋室
デラックス和 3人 × × × 1等和室
デラックス和洋 3人 × × 1等洋室
デラックスシングル 1人 × × × 2等指定A
デラックス洋2人部屋 2人 × × × 2等指定B
デラックス洋4人部屋 4人 × × × 2等指定B
スタンダードシングル 1人 × × × × 2等指定Bシングル
スタンダード洋 16人 × × × × × 新設
スタンダード和8人部屋 8人 × × × × × 2等
スタンダード和14人部屋 14人 × × × × × 雑魚寝・パーテーション付 2等
  • アメニティ
ロイヤル・スイート・デラックス(和洋・和・洋2人部屋) - タオル・使い捨てスリッパ・ハブラシ・ヒゲソリ・石鹸・レディースセット・ヘアブラシ・ティッシュ
デラックス(シングル・洋4人部屋) - タオル・ハブラシ
  • 備品
ロイヤル・スイート - 冷蔵庫・空気清浄器・茶器セット・電気ケトル・バスタオル・浴衣・リラックスウェア・ドライヤー・リンスインシャンプー・ボディソープ
デラックス(和洋・和・洋2人部屋) - 茶器セット・電気ケトル・浴衣
デラックスシングル - 浴衣・スリッパ
デラックス(洋4人部屋) - 茶器セット・電気ケトル・浴衣・スリッパ
スタンダード - 敷きパット・掛け布団・(スタンダード和は枕付き)

その他の設備など編集

  • 展望浴室(無料の小型ロッカー、ドライヤー有。夜間閉鎖)
  • シャワールーム(個室。夜間も開放)
  • 給湯冷水器
  • ペットルーム
  • 売店(土産などの販売有)
  • ゲームコーナー(夜間も開放)
  • マッサージチェア
  • キッズルーム
  • カラオケルーム
  • コインロッカー(有料)
  • 囲碁、将棋の貸出

※凡例:(T) - 「つくし」

のりばまでの交通編集

 
待機中の送迎バス - 新門司港
泉大津港(泉大津港フェリーターミナル)
JR和泉府中駅南海泉大津駅西口発着の岸和田観光バスの路線バスが運行されている(南海泉大津駅で乗降する場合は無料)。
J-GREEN堺・なんばOCAT発着の岸和田観光バスの路線バスが運行されている。
神戸港(六甲アイランドフェリーターミナル)
阪神御影駅・JR住吉駅神戸新交通六甲アイランド線(ポートライナー)アイランド北口駅発着の神戸フェリーバスの路線バスが運行されている(アイランド北口駅で乗降する場合は無料)
新門司港
JR小倉駅北口およびJR門司駅南口発着の西鉄バス北九州の無料送迎バスが運行されている。

その他編集

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f 阪九フェリー株式会社 第62期決算公告
  2. ^ メンバー会社一覧 - みどり会
  3. ^ 当時中国自動車道はようやく吹田IC宝塚IC間の建設が始まったばかりで、山陽自動車道にいたってはまだまだ計画段階であった。
  4. ^ 日本のカーフェリー P.128
  5. ^ 日本のカーフェリー P.54,67,135
  6. ^ 日本のカーフェリー P.62,67,137,138
  7. ^ ただし、同船就航前に退役したニューながと・ニューあかしにも同等・同名の最上級客室が存在し、事実上復活となる。
  8. ^ 広報かんだ[リンク切れ] (No.1175) - 苅田町(2007年7月25日発行)
  9. ^ あしたをつかめ - 学校放送[リンク切れ](NO.52 航海士) - 日本放送協会

参考文献編集

  • 日本船舶明細書I 2008年版 - 社団法人 日本海運集会所(2007年12月30日発行)
  • 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで-(世界の艦船 別冊) - 海人社(2009年3月発行) JANコード 4910056040393

関連項目編集

外部リンク編集