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阪急2800系電車(はんきゅう2800けいでんしゃ)とは、かつて阪急電鉄に在籍した電車である。元来は京都線特急形車両として登場し、後に通勤形電車格下げされた。

阪急2800系電車
2800系冷房改造車の特急(十三駅・1976年)
2800系冷房改造車の特急(十三駅・1976年)
基本情報
運用者 阪急電鉄
製造所 ナニワ工機
アルナ工機(C#2891 - 2897)
製造年 1964年 - 1973年
製造数 56両
運用開始 1964年
運用終了 1995年(単独編成)
廃車 2001年(他系列組込車)
投入先 京都線
主要諸元
編成 4両 - 8両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V(架空電車線方式)
最高運転速度 110 km/h
起動加速度 2.8 km/h/s(45km/hまで)
車両定員 座席58・立席82(先頭車・3扉化)
座席60・立席90(中間車・3扉化)
全長 19,000 mm
全幅 2,709 mm
全高 4,025 mm(冷房改造後)
4,120 mm(2800形・冷房改造/モニター屋根撤去後)
台車 M車:FS-345
M車(C#2804・2814・2834):KS-74A
T車:FS-45
T車(C#2854・2864・2884):KS-74B
主電動機 東洋電機製造TDK812-A直流複巻電動機
主電動機出力 150 kW × 4
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 84:16 (5.25)
編成出力 2,400kW (4M4T)
制御方式 抵抗制御
界磁チョッパ制御(C#2847)
制御装置 東洋電機製造 ES756
制動装置 回生制動併用電磁直通ブレーキ
HSC-R
保安装置 AF軌道回路方式ATS
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概要編集

1963年昭和38年)の京都線河原町延伸に伴うダイヤ改正により、京都線の特急列車は15分間隔となった[1]。編成は4両または5両編成となったが、2扉クロスシート車の710系1300系に加えて、当時増備中のロングシート2300系も投入され[注 1][注 2]、車両数の面では充足できる体制となった[2]

しかし、3扉ロングシート車による特急は不評であり[3]、競合の京阪電気鉄道淀屋橋延長を機に特急に2扉クロスシートの1900系を導入したことで、阪急から京阪への利用客の転移が進み[注 3]、並行する国鉄京阪神快速1964年(昭和39年)から80系から113系への置き換えを開始した。

この動向から車両面でのサービス改善の要請が強くなった阪急では、特急用車両の製造が急浮上した[1]。特急用車両は5両編成6本の30両が必要となったが、千里山線(現・千里線)延長用車両の予算の先行投資分を含めて転用した[1]。2300系をベースに2扉・転換クロスシートとした特急車として、1964年(昭和39年)に2800系が登場した[1]

1973年までに56両がナニワ工機および社名変更後のアルナ工機[注 4]で製造された。

車体編集

阪急標準車体寸法を採用する2300系と共通の19m級全金属製車体である。2扉セミクロスシートで、扉間に転換クロスシートを配置し、両端の固定座席の背面に収納式の補助席を設け、閑散時の座席数を増やした[1][4]

側窓は2枚1組の連窓を採用、客用扉はラッシュ時を考慮して2300系と同じ1,300mm幅の両開扉が採用された[5]。貫通路は風の吹き抜け防止のため、引き戸付きの狭幅貫通路となった[1]。当初は両開き2扉はコンセプトに矛盾があるとして批判が集中したが、ラッシュ時にその有効性を発揮しており、後に他社でも同様の車両が見られるようになった[1]

側面の車番は強度確保の面で補強材の位置が違う関係から従来車よりも若干低い位置にある。

2800系の後継となる6300系では扉を車端に寄せて、運転台直後以外の全座席をクロスシートとした。だが、6300系の後継である9300系では特急の途中停車駅の増加への対応から3扉クロスシートとなっており、特急車3世代それぞれが置かれた輸送状況の相違を物語っている。

主要機器編集

電装品とブレーキは2300系と共通であり、2300系との併結運用の実績もある[2]

電装品編集

制御器は電動カム軸制御器による抵抗制御と、トランジスタによる分巻界磁制御の組み合わせである。分巻界磁の制御はゲルマニウムトランジスタを用いた増幅器によってサーボモーターで円筒状に配された227段の界磁抵抗器(FR:Field Register)を超多段制御する方式で、定速度運転の指令速度は50、65、80、90、100、105km/hで2300系と同様である。1969年竣工の2847では、界磁チョッパ制御の装置が試用された[6]

主電動機は定格出力150kW複巻補償巻線付き直流電動機を4台永久直列接続で使用、駆動方式は中空軸平行カルダンである。

台車編集

台車は同時期新造の2300系と同様、住友金属工業製のミンデンドイツ式金属ばね台車を標準とし、電動車は住友金属FS-345を、制御・付随車は住友金属FS-45をそれぞれ装着した。

2804・2854ほか車両番号の下1桁が「4」の編成では、汽車製造製シンドラー式空気ばね台車(KS-74A・KS-74B)を採用した[5]。この台車は試用に終わり、後年増結された2844・2894はFS-345・45となっている[5]

ブレーキ編集

ブレーキは2300系と同様、回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキのHSC-Rである。

また2850形、2880形共にD3NHA形コンプレッサーが搭載されているが、8連化と同時に新製、組み込まれた2880形90番台車には新たに標準化されていた大容量のHB2000形コンプレッサーが搭載され、これによって組み込み先の2850形50番台車のコンプレッサーが撤去されている[注 5]

集電装置編集

パンタグラフは離線による回生制動の失効を避けるため、電動車各車に東洋電機製造PT-42-Lを2基ずつ搭載する。

M車のパンタグラフは、2300系と同様にパンタグラフの近接を避けるため、隣のTc車に搭載しており、このTc車は2860形として区別されていた[7]。その後、Mc車のパンタグラフ2基でもM車へ給電可能なことが確認されたため、1966年の6両編成化時にTc車のパンタグラフは撤去され[7]、最終増備編成の2867はパンタグラフ未搭載で竣工している[2]

車種編集

本系列は基本となった2300系と同様に、以下の4形式で構成される。

  • 2800形(2801 - 2807、2811 - 2817)
梅田寄り制御電動車(Mc)。パンタグラフを2基搭載。
  • 2850形(2851 - 2857、2861 - 2867)
河原町寄り制御車(Tc)。2860番台は新製時、2830形への給電用にパンタグラフを2基搭載していた(1966年製の2867は当初からパンタグラフ未設置[2])。
  • 2830形(2831 - 2837、2841 - 2847)
中間電動車(M)。パンタグラフは持たない。2840番台は1968年製。
  • 2880形(2881 - 2887、2891 - 2897)
増結用に製造された付随車(T)。2880番台は1966年製、2890番台は1973年製で本形式唯一の新製冷房車。

形式番号は、新造計画が進む神宝線の本格的な昇圧即応車で形式を2500・2600とすることを考慮し、神戸線の2500に300を加えた2800系で先行した[2]。その後、昇圧即応車は製造両数が相当数増加する見通しから2500・2600番台は採用されず、3000系・3100系となっている[2]

編成編集

編成はMc-Tcの2両編成を最小単位としたが、当初Mc-Tcの2両編成とMc-M-Tcの3両編成を組み合わせた5両編成で登場し、乗客の増加に合わせて3両編成用T車、2両編成用M車、T車と徐々に1両ずつ増結し、1973年に全7編成が4両編成+4両編成による8両編成となっている。

そのため、実際にはMc-Tc+Mc-Tcの4両編成[注 6]以上で運用され、1971年から開始された後述の冷房改造[注 7]までは、事故検査等のやむを得ない場合に、2800形と2850形に挟まれた2・3・4両編成単位でシステムが同一の2300系編成と差し替えて[注 8]、同系との混結にて営業運転が実施されるケースが存在した[注 9]

5両編成時代には梅田方に2両編成が来るように連結されており、2800形0番台車が先頭に立っていたが、1966年の6両編成化に際し、梅田駅の構造の影響で編成前部に乗客が集中する傾向があったことから、少しでも収容能力の向上を図るために編成を組み替えて、梅田からMc-Tc+Mc-T-M-TcをMc-T-M-Tc+Mc-Tcとする作業が実施された[8]。この結果2800形2810番台車が梅田方の先頭に立つようになり、トップナンバーである2801が先頭に立つことは以後無くなった。

なお、この編成組み替えに伴う増結順序の関係で、運転台付き車両と中間車の番号は4両単位で一致しておらず、例えば8両編成時代の第4編成の場合、梅田方から2814-2884-2834-2864+2804-2894-2844-2854となっていた[注 10]

5両編成 2801F - 2806F
2800
(2800)
2850
(2850)
2800
(2810)
2830
(2830)
2850
(2860)
Mc Tc Mc M Tpc
6両編成 2811F - 2817F(ユニット入替実施)
2800
(2810)
2880
(2880)
2830
(2830)
2850
(2860)
2800
(2800)
2850
(2850)
Mc T M Tc Mc Tc
7両編成 2811F - 2817F
2800
(2810)
2880
(2880)
2830
(2830)
2850
(2860)
2800
(2800)
2830
(2840)
2850
(2850)
Mc T M Tc Mc M Tc
8両編成 2811F - 2817F
2800
(2810)
2880
(2880)
2830
(2830)
2850
(2860)
2800
(2800)
2880
(2890)
2830
(2840)
2850
(2850)
Mc T M Tc Mc T M Tc
7両編成 2811F - 2817F(格下げ後)
2800
(2810)
2830
(2830)
2850
(2860)
2800
(2800)
2880
(2890)
2830
(2840)
2850
(2850)
Mc M Tc Mc T M Tc
4両編成 2811F・2815F(嵐山線)
2800
(2810)
2850
(2860)
2800
(2800)
2850
(2850)
Mc Tc Mc Tc
8両編成(さよなら運転)
2811 2861 2801 2851 2815 2865 2805 2855
Mc Tc Mc Tc Mc Tc Mc Tc
7両編成(2300系2305F組込)
2305 2831 2377 2327 2841 2885 2378
Mc M' Tc Mc M' T Tc


※編成各形式の括弧内は車両の番台を示す。また、2811Fなどの「F」はFormationの略記号で、編成を示す。つまり、この場合は「2811を先頭とする編成」を意味する。

製造編集

当初は2両+3両の5両編成で登場した。2両編成の0番台が大阪寄り、3両編成の10番台が京都寄りに連結された。

← 大阪
京都 →
竣工
Mc Tc Mc M Tc
2801 2851 2811 2831 2861 1964年5月[2]
2802 2852 2812 2832 2862 1964年7月[2]
2803 2853 2813 2833 2863 1964年9月[2]
2804 2854 2814 2834 2864 1965年7月[2]
2805 2855 2815 2835 2865 1965年7月[2]
2806 2856 2816 2836 2866 1965年7月[2]
2807 2857 2817 2837 2867 1966年7月[8]

1966年には6両編成化のための増結車が製造され、2810番台の編成に組み込まれた。この段階で、4両編成となった2810番台編成が大阪寄りに来るよう連結順序が変更された。

← 大阪
竣工
T
2881 1966年8月[8]
2882
2883
2887
2884 1966年10月[8]
2885
2886

1968年からは、2800番台編成用の2830形が製造され7両編成となった。形式番号より若い2820番台とする意見もあったが、最終的には30番台以降の2840番台となった[6]

← 大阪
竣工
M
2841 1968年11月[6]
2842
2843 1968年12月[6]
2844
2845
2846 1969年1月[6]
2847

1971年より付随車の最終増備が行われ、8両編成となった。全車とも冷房車である。

← 大阪
竣工
T
2891 1971年2月[9]
2892
2893 1972年8月[9]
2895
2896
2897
2894 1973年3月[9]

主な改造編集

冷房化編集

1970年に製造された試作冷房車5200系での成果をもとに、量産冷房車の新造と在来車の冷房改造を行うこととなった[7]。2800系は特急専用車として最優先で冷房化改造が実施され、1971年と1972年の短期間で終了した[6]

冷房装置は5200系と同じ冷凍能力8,000kcal/hの東芝RPU-2202Aを4基搭載し、ダクトで冷風を送る集約分散方式を採用した。冷風の吹出口は最初の冷房化改造車のため試作要素が強く、3面構造(逆台形)の風洞となっており[6]、以降の冷房改造車がすべて新造車両と同様の平天井となったのとは異なっている[10]

パンタグラフ2基搭載のMc車(2800形)では、搭載スペースの不足から3基搭載となった。能力の不足の心配はクロスシート車の混雑の限界に収まると見込んだが[6]、万一の能力不足を考慮してM車2830形にパンタグラフ1基を移設して母線で結ぶ事が可能なよう準備され、2830形の冷房搭載位置は京都方に偏っていた[6]。結果的に冷房の能力不足が問題になることはなかった[6]

3扉ロングシート化編集

1976年より第6編成(2816F)を筆頭に格下げ・3扉ロングシート車化が始まり、1979年の第4編成(2814F)[注 11]の工事完了をもって全て3扉化された。

先行して3扉化された近畿日本鉄道6431系の調査を行うなど様々な検討の末、中央に当たる連窓1組を扉の開口部に充て、隣接する左右の窓各1枚を戸袋窓とした。この戸袋窓には鎧戸が取り付けられないため、青みを帯びた熱線吸収ガラスが使用された[9]

Mc車の冷房装置は、10,500kcal/h×3(東芝RPU-3003)に強化されている。ただし屋根スペースの問題で、3台の冷房装置のうち中央の1台のみ、外装カバーの寸法がやや小さくなっている。なおこの時、パンタグラフ下に残っていた非冷房時のモニター屋根が撤去されている(最初に改造された2816Fのみ存置)。

また、同時に先頭に立っている車両の標識板掛けが神宝線同様のもの[注 12]に取り換えられた[注 13]。1982年より、優等列車運用の減少で必要のなくなった定速運転機能が廃止された。

運用編集

特急時代編集

 
特急車時代の2800系特急(1970年代頃)

京都線の代表系列として特急急行を中心とした運用に充当された。当初は6編成分が製造されたが、1966年に追加で1編成が製造された。2800系の評判は良く、当初5両編成であった京都線特急は8両編成にまで増結された。鉄道ファンの間では、特急の標識板を左右に掲げた2枚看板も好評であった[9]

1971年11月28日、梅田駅の京都線ホーム移設完成に合わせて京都線特急は再びスピードアップを行い、梅田 - 河原町間38分運転となった[10]。1972年10月には8両編成運転を開始、1972年8月には全車が冷房車となり、1973年3月には全編成が8両編成となった[10]。最盛期には1日900kmを超える運用も存在した[11]

1971年に京阪は冷房・カラーテレビ付きの3000系(初代)を導入、阪急の2800系は陳腐化が目立つようになった。国鉄1972年より急行列車用の153系新快速に転用、15分間隔のパターンダイヤ新幹線を除く京阪間の鉄道では最速の29分運転で攻勢に転じ、阪急の京都線特急は次第に劣勢に追いやられるようになった。

2800系の7編成に対し京都線特急の設定数は7運用で、検査時にはロングシート車による代走が行われていた。阪急は1975年に特急の予備編成充足を名目に6300系第1編成を新製投入、その後特急車の6300系への置き換えと2800系の一般車格下げが決定、2800系の京都線特急車としての運用は長いものでも15年、短いものだと5年に満たない短期間で終了することとなった。

格下げ後編集

 
嵐山線4両編成運用時代の2815F
桂駅・1995年)

特急運用からの撤退後も8両編成で急行を中心に運用されたほか、特急の代走に入ることもあった。空気ばね台車の2814Fは特急の代走に優先使用された。また2817Fのみ、1981年頃の一時期、4両または6両編成で普通を中心に使用されていたこともあったが、のち8両編成に復帰している。

その後7300系の登場により2880形2880番台車を抜いて7両編成化され、1985年の2816Fを最後に8両編成での運用は消滅し、その後は京都本線の普通準急、梅田‐北千里間の普通が中心となった。なお、この時脱車された2880形は2300系や神戸線5000系5200系の増結に活用されている。

2300系への組込車には客用ドアの張り出しステップを取り付ける改造も実施され、最大幅が2,808mmに拡大した[12]。5000系・5200系への組込車は、搭載されていたコンプレッサー、バッテリー等および屋根上の高圧母線が撤去され、さらに2両単位で5200系編成に組み込まれた車両については、一方の車両に組み込み先の編成と同一の60 kVAのCLG326M形MGが新たに設置された。その後、5000系に編入されていた2880形は、5000系表示幕化改造の際に5200系、2000系2071形との交換が実施された。

また唯一の空気バネ台車装備の2814Fより脱車された2884は、同じく空気バネ台車装備の2300系2311F編成に組み込まれて使用がなされたが、のちに同編成における台車の振り替え工事がなされたおりに、諸事情によりエコノミカルトラックを存置せざるを得なかった2311以外の車両と同じく[注 14]、T車用のFS45コイルバネミンデン台車へと換装された。

1991年5月に2815F、1992年6月に2811FがいずれもMc-Tc+Mc-Tcの4両編成で嵐山線運用となり[11]、2300系の2303F・2309Fが本線へ一時転出した[13]。この2800系も1995年8月に定期運用を終了、残存2編成を併結した8両編成でさよなら運転が実施された。さよなら運転は複数回行われており、8月の運転では阪神・淡路大震災復旧後の神戸本線へ乗り入れ[14]、最後の運転では宝塚本線今津線にも入線し、これをもって2800系は編成としての営業運転を終了した[9]

廃車編集

2800系は特急車として京阪間を走行し続けたため走行キロが格段に多く、制御装置の老朽化、冷房化改造の試作要素が強いことなど保守上の不利点が多いことから、早期の淘汰対象となった[15]。制御器の更新も見送られ、冷房化の関係で冷房装置駆動用電動発電機を通常のものとは独立した形で搭載していたことも、廃車が早まる要因となった[9]

このため、同時期以降新造の他系列に先んじて、8300系に代替(同時に3300系の7両編成化)される形で、1988年に最終増備編成である2817Fと2883より廃車が開始され、1989年に2816F、1993年にエアサス台車を履く2814Fと順次淘汰が進められ、1995年には冷房化第1号であった2813F、そして2812Fの廃車で7両編成グループの淘汰が完了し、嵐山線用の2811F・2815Fの4両編成2本も同年中に廃車となり、編成としての本系列は消滅となった。

また、神戸線に転用され5000系などに編入された2880形も、8000系の新製開始で余剰となった2000系のT車に順次置き換えられ、淘汰されていった。

なお、1995年の阪神・淡路大震災で被災した3109の代替として3022が3072Fから離脱した際、廃車待ち状態にあった2842が3022の補充用として起用され、主電動機や電動発電機を3000系用のものに交換の上で3072FにM'車として組み込まれ、今津線で短期間運用されていた[9]。2代目3022の竣工に伴い、2842は同年11月に廃車となっている。

本系列の廃車に際しては、程度の良い中古車を探していた富山地方鉄道から車体の譲渡が打診されていたが、これは同社が計画していた2扉クロスシート車への復元に必要な転換クロスシートの調達がネックとなった。丁度同時期に廃車が始まった京阪3000系(初代)の座席を流用するという案も出されたが、それならば現役の2扉クロスシート車であるそちらの車体の方が改造に要する手間が少なく低コストで済み、またその状態も良好である、という理由で同系列の車体が座席ごと譲渡されたため、本系列の譲渡計画は中止となった。

1995年以降も、2300系2305Fに中間車3両(2831・2841・2885)が組み込まれ、2831・2841は制御器を撤去のうえM'車となった[15][注 15]2001年(平成13年)に2305Fが廃車となり、2800系は全廃となった[9]

保存車編集

 
福知山市雲原の国道176号沿いに置かれた2861(2009年6月、国道上から撮影)

2861が民間に売り出され、京都府福知山市雲原の国道176号沿いに置かれ、飲食店として使われたのち、民家とされた[16]

また、2802-2862の2両のみ、2862の前面を6300系風の塗装に塗られた状態で正雀車庫内にしばらく残存していた(マルーンは通常より赤みが強かった)。

2801は、前頭部から3分の1ほどをカットした状態で平井車庫に保存されているが、一般向けの公開はされていない[17]


脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 運用上特に区別されなかったため、1300系や710系のロングシート車編成も使用された。特に1307編成は本系列に先んじて3扉だった。710系では、2両ずつクロス・ロングの混成となる場合と4両すべてロングシート(716編成と717編成の組み合わせ)となる場合とがあった。
  2. ^ 日中の特急運用にロングシート車が使用される場合は、車内に折りたたみ式のパイプ椅子が積み込まれていた。
  3. ^ 所要時分で比較すると、京都線特急が梅田 - 河原町間38分、京阪特急が淀屋橋 - 京阪三条間49分で、一見京阪特急が圧倒的に不利であるが、大阪のミナミと京都の繁華街を結ぶといったパターンの場合はむしろ大阪市営地下鉄御堂筋線との接続が実現された京阪の方が大きく有利なケースが発生するようになったことも、この選択を後押しした。
  4. ^ ナニワ工機は1970年10月1日付で社名をアルナ工機に変更した。このため本系列では1971年12月20日以降竣工の2880形2891 - 2897がアルナ工機名義での製造となる。
  5. ^ のちに嵐山線に転用され4連化されたと同時に、2851・2855には再度D3NHA形コンプレッサーを搭載した。
  6. ^ 最末期の嵐山線運用時に組成。
  7. ^ この改造により、本系列と2300系の相互互換性は喪われた。
  8. ^ そのため、この差し替えが実施された場合は1両単位での車両入れ替えは行われず、必ず編成中間で2800形と2350形、あるいは2850形と2300形が運転台寄り妻面を突き合わせて連結されることになる。
  9. ^ これは編成全部をロングシート車で代走することを避け、クロスシート車サービスを少しでも多く乗客に提供することを目的として実施されたものである。
  10. ^ 2840番台の車両を製造する際、これを2820番台として製造する計画もあったが、形式(2830形)より若い車番を付けるのはどうかとの異論があり、結局2840番台として製造された。なお、組み込まれる編成に番号を合わせた例としては、2300系の2380形(2391 - 2396)が挙げられる
  11. ^ 上述の通り編成中6両がシンドラー式空気ばね台車装着車であったため最後まで格下げされず、特急運用に充当されていた(1978年9月25日に特急運用終了)。
  12. ^ 神宝線は車体側に標識板を差し込む方式。京都線は引掛ける方式であった。
  13. ^ 編成の中に封じ込まれた2801~2807及び2861~2867は未改造のままだった。また先頭車のうち2816・2856は先端を袋状にした神宝線・旧京都線仕様の両用型が使われていた。
  14. ^ 2311は、電機子チョッパ制御方式の試験車としての機器搭載のため、台車間目一杯に床下機器を配置した事でエコノミカルトラックより大型なFS345への換装が実施できなくなった。
  15. ^ 早期の廃車を想定して応急処置的な内装更新が施行され、退色したアルミデコラを交換せずマホガニー木目調の壁紙を貼り付けた。同時期に嵐山線の2301F・2303F・2309Fにも施行されている。屋根肩部は白塗装の焼き付けを行った。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g 山口益生『阪急電車』137頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 山口益生『阪急電車』138頁。
  3. ^ 寺本光照『国鉄・JR 関西圏 近郊電車発達史』JTBパブリッシング、2014年、74頁。
  4. ^ 『日本の私鉄7 阪急』1990年、104頁。
  5. ^ a b c 篠原丞「阪急電鉄 現有車両プロフィール2010」『鉄道ピクトリアル』2010年8月臨時増刊号、241頁。
  6. ^ a b c d e f g h i j 山口益生『阪急電車』140頁。
  7. ^ a b c 篠原丞「阪急クロスシート車の系譜3」『鉄道ファン』2004年3月号、131頁。
  8. ^ a b c d 山口益生『阪急電車』139頁。
  9. ^ a b c d e f g h i 山口益生『阪急電車』141頁。
  10. ^ a b c 篠原丞「阪急クロスシート車の系譜3」『鉄道ファン』2004年3月号、132頁。
  11. ^ a b 篠原丞「阪急クロスシート車の系譜3」『鉄道ファン』2004年3月号、133頁。
  12. ^ 『日本の私鉄7 阪急』1990年、135頁。
  13. ^ 篠原丞「阪急2300系の55年」『鉄道ファン』2015年5月号、107頁。
  14. ^ 『日本の私鉄 阪急』1998年、25頁。
  15. ^ a b 篠原丞「阪急電鉄 現有車両プロフィール2010」『鉄道ピクトリアル』2010年8月臨時増刊号、242頁。
  16. ^ 雲原の山中に阪急電車が- 尼崎の男性のセカンドハウス 両丹日日新聞、2007年1月2日
  17. ^ 1996年春の阪急レールウェイフェスティバルで、カットした前頭部を搬出する様子が紹介されていた。

参考文献編集

  • 『鉄道ピクトリアル No.348 1978年5月臨時増刊号 <阪急電鉄特集>』 電気車研究会、1978年
  • 『レイル No.23』 エリエイ出版部プレス・アイゼンバーン、1988年
  • 『鉄道ピクトリアル No.521 1989年12月臨時増刊号 <特集>阪急電鉄』 電気車研究会、1989年
  • 藤井信夫 『車両発達史シリーズ4 阪急電鉄 京都線』 関西鉄道研究会、1995年
  • 『鉄道ピクトリアル No.663 1998年12月臨時増刊号 <特集>阪急電鉄』 電気車研究会、1998年
  • 『鉄道ピクトリアル No.837 2010年8月臨時増刊号 【特集】阪急電鉄』 電気車研究会、2010年
  • 『鉄道ファン』1995年4月号
  • 山口益生『阪急電車』JTBパブリッシング、2012年。ISBN 4533086985
  • 飯島巌『復刻版・私鉄の車両5 阪急電鉄』ネコ・パブリッシング、2002年。ISBN 9784873662886
  • 阪急電鉄・諸河久『日本の私鉄7 阪急』保育社、1990年。
  • 阪急電鉄・諸河久『日本の私鉄 阪急』保育社、1998年。
  • 篠原丞「阪急クロスシート車の系譜3」『鉄道ファン』2004年3月号、交友社。130-137頁。

関連項目編集