阿佐谷

東京都杉並区の町名であり、阿佐谷北一丁目から阿佐谷北六丁目と阿佐谷南一丁目から阿佐谷南三丁目からなる
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阿佐谷(あさがや)は、東京都杉並区の地名である。阿佐ヶ谷阿佐ケ谷とも表記する。現行行政地名としては阿佐谷北(あさがやきた)一丁目から六丁目、および阿佐谷南(あさがやみなみ)一丁目から三丁目が存在する(いずれも住居表示実施済み区域)。

阿佐谷北
西友阿佐ヶ谷店
西友阿佐ヶ谷店
阿佐谷北の位置(東京23区内)
阿佐谷北
阿佐谷北
阿佐谷北の位置
北緯35度42分19.31秒 東経139度38分11.86秒 / 北緯35.7053639度 東経139.6366278度 / 35.7053639; 139.6366278
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Suginami, Tokyo.svg 杉並区
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 • 合計 24,724人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
166-0001[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 杉並
阿佐谷南
杉並区役所
杉並区役所
北緯35度42分13.89秒 東経139度38分11.7秒 / 北緯35.7038583度 東経139.636583度 / 35.7038583; 139.636583
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Suginami, Tokyo.svg 杉並区
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 • 合計 19,038人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
166-0004[4]
JR中央線阿佐ケ谷駅南口前。撮影場所は現在改修されたためこのような風景は見られない。

地理編集

中心部の阿佐ケ谷駅を境に阿佐谷北・阿佐谷南の2区域に区分され、江戸時代阿佐ヶ谷村の範囲とほぼ一致する。街のシンボルとなっているケヤキ並木(中杉通り)が南北に通る。北部は阿佐谷北一丁目から六丁目で日大二高通り早稲田通りが北限になっている。南側は阿佐谷南一丁目から三丁目で杉並区役所があり、青梅街道が南限で街道沿いには南阿佐ケ谷駅がある。

関東大震災のあった大正時代辺りから山の手郊外住宅地として人口が増加し、現在では駅周辺以外は住宅地が密集している。河北総合病院世尊院阿佐ヶ谷神明宮(旧:天祖神社)、日本基督教団阿佐ヶ谷教会など趣のある場所が多く、また書店・古書店も多い。

夏には南口の大型商店街阿佐谷パールセンター」において毎年8月に阿佐谷七夕まつりが開催される[5]。また阿佐谷にはジャズ喫茶やライブハウスなどが多くあることから、毎年10月に阿佐ケ谷駅を中心としてジャズミュージシャンが街中で演奏するという「阿佐谷ジャズストリート」が開催されている[6]

地域内の町名編集

阿佐谷北編集

地域北部。一丁目から六丁目まである。北口にも歴史のある商店街阿佐谷商和会」をはじめ商店街にて各イベントを行っている。

北西部は杉並区下井草本天沼に接する。北部は中野区白鷺に接する。北東部は中野区大和町に接し、東部は杉並区高円寺北に接する。南部はJR線の線路を境に杉並区阿佐谷南に接し、西部は杉並区天沼に接する。地域内を中杉通りが縦貫している。阿佐ケ谷駅の北側に当たり、駅周辺に商店などが広がる他は住宅地になっている。

阿佐谷南編集

地域南部。一丁目から三丁目まである。

北部はJR線線路を境に阿佐谷北と高円寺北に接する。東部は高円寺南に接する。南部から西部は青梅街道を杉並区境に梅里成田東荻窪 にそれぞれ接する。当地域には北側にある阿佐ヶ谷駅と南側の青梅街道下にある南阿佐ケ谷駅があり、駅周辺に商店などが広がる他は住宅地になっている。杉並区役所や杉並消防署も阿佐谷南に所在する。

歴史編集

阿佐谷の地名は伝統的には「阿佐ヶ谷」と表記され、この表記は駅名等に現在も使用されているが、行政地名の表記は1965年昭和40年)の住居表示実施に際し「阿佐谷」に統一されている。

地名の由来は桃園川の浅い谷地であったことに由来するとされ、中世には阿佐ヶ谷氏と呼ばれる一族が支配した阿佐ヶ谷村であった。1889年には甲武鉄道が敷設され、1922年阿佐ケ谷駅が建設される。また、1921年には西武軌道により新宿から荻窪までの青梅街道上に路面電車が敷かれ(後の都電杉並線)、阿佐谷にも停留所が設けられる。当電車は現在の丸ノ内線に機能をゆずり、1963年に廃止されている。

阿佐ケ谷文士村編集

 
井伏鱒二

阿佐ヶ谷文士村の歴史は、阿佐ヶ谷地域に中央線の鉄道駅(阿佐ヶ谷駅)が大正時代1922年に開設され徐々に住宅地としてその姿を見せ始めたころから始まった。翌年に起った関東大震災は、東京市内を壊滅させて、家を求めて中央線沿線に多くの人が流れ込むようになった。1927年には後に阿佐ヶ谷文士村の中心人物にあたる井伏鱒二荻窪の地に住み、阿佐ヶ谷界隈にもよく顔を出すようになる[7]。その流れに乗り、昭和にかけて都心や下町から与謝野晶子太宰治青柳瑞穂伊馬春部三好達治火野葦平徳川夢声など文人文士達も当地界隈に住むようになったのが発端と言われ、阿佐ヶ谷文士村とされた[8]。その代名詞的存在なのが井伏鱒二らが中心となって開かれていた文士達の会合「阿佐ヶ谷会」と呼ばれている会合で、当初は将棋会、戦後は飲み会として多くの文士達が交流を深めた。この交流は1970年代まで続いた[9]

都市計画で知られた高山英華も幼少期から亡くなるまで阿佐ヶ谷に暮らした[10]

そのほか、阿佐ヶ谷に住んでいたことが確認されている人物に、横光利一川端康成(馬橋)、安成二郎額田六福小森三好上林暁桜井浜江森本忠永松定岸田国士浜野修川崎春彦などがいる。

大相撲・阿佐ケ谷勢編集

 
1956年夏場所、大関若乃花初優勝時の優勝パレード

昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲から昭和25年(1950年)まで、大相撲二所ノ関部屋真盛寺に間借りしていた縁で[11]、昭和27年(1952年)に8代芝田山(元幕内・大ノ海)が二所ノ関部屋から独立して、杉並区阿佐ヶ谷の日本大学相撲部練習所の隣接地に芝田山部屋を創設した。のちに花籠部屋へ名称変更する[12][13]

昭和30年(1955年)秋場所に大関に昇進した一番弟子の初代若乃花が、昭和31年(1956年)夏場所に初めて阿佐ヶ谷に優勝をもたらす。両国を離れて山の手に優勝旗が運ばれたのは初めてのことで、青梅街道には数十万人が祝賀に集まったことで都電はストップ、 若乃花を乗せたオープンカーは、新宿西口から阿佐ヶ谷の花籠部屋まで3時間かかるほどの大騒ぎとなる現象を起こす[14][15]。若乃花は昭和33年(1958年)初場所後に第45代横綱に昇進、7人の幕内力士「花籠七若」を擁して花籠部屋繁栄の礎を築く。後に花籠部屋から分家独立した二子山部屋放駒部屋も阿佐ヶ谷に部屋を置いた。

1970年代、輪島初代貴ノ花魁傑阿佐ヶ谷トリオが活躍して人気を得る。横綱(45代・初代若乃花、54代・輪島、56代・2代若乃花、59代・隆の里、62代・大乃国)、大関(初代貴ノ花、魁傑、若嶋津)をはじめ多くの関取を輩出した花籠部屋、二子山部屋、放駒部屋の全盛時代は阿佐ヶ谷勢と呼ばれ、阿佐ヶ谷は「東の両国、西の阿佐ヶ谷」と言われた大相撲の拠点だった[16]。 二子山部屋は、初代若乃花停年後に初代貴ノ花が分家独立していた藤島部屋と1993年に合流して中野新橋へ移転、輪島の花籠部屋を吸収した放駒部屋は2013年の魁傑停年後に大乃国が独立した芝田山部屋へ合流したことで、2013年に阿佐ヶ谷から相撲部屋は消滅した。この系統は二所ノ関一門阿佐ヶ谷系と呼ばれており、二子山(初代若乃花)と放駒(魁傑)は日本相撲協会理事長を務めた。

世帯数と人口編集

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

阿佐谷北編集

丁目 世帯数 人口
阿佐谷北一丁目 2,943世帯 4,658人
阿佐谷北二丁目 2,894世帯 4,418人
阿佐谷北三丁目 2,518世帯 4,151人
阿佐谷北四丁目 2,473世帯 4,101人
阿佐谷北五丁目 2,177世帯 3,873人
阿佐谷北六丁目 1,843世帯 3,523人
14,848世帯 24,724人

阿佐谷南編集

丁目 世帯数 人口
阿佐谷南一丁目 4,827世帯 7,717人
阿佐谷南二丁目 2,509世帯 3,705人
阿佐谷南三丁目 4,889世帯 7,616人
12,225世帯 19,038人

小・中学校の学区編集

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[17]

阿佐谷北編集

丁目 番地 小学校 中学校
阿佐谷北一丁目 全域 杉並区立杉並第一小学校 杉並区立杉森中学校
阿佐谷北二丁目 全域
阿佐谷北三丁目 1~4番
8~10番
その他 杉並区立杉並第九小学校 杉並区立東原中学校
阿佐谷北四丁目 2~12番
18~28番
その他 杉並区立馬橋小学校 杉並区立杉森中学校
阿佐谷北五丁目 全域
阿佐谷北六丁目 1~13番
26番
34~49番
その他 杉並区立杉並第九小学校 杉並区立東原中学校

阿佐谷南編集

丁目 番地 小学校 中学校
阿佐谷南一丁目 1~9番、13番
19〜31番
40番1号、18〜33号
41〜44番
45番13〜20号
杉並区立杉並第六小学校 杉並区立阿佐ヶ谷中学校
その他 杉並区立杉並第七小学校
阿佐谷南二丁目 12~21番
その他 杉並区立杉並第六小学校
阿佐谷南三丁目 全域 杉並区立杉並第七小学校

施設・行事編集

施設編集

行事編集

学校編集

交通編集

鉄道
道路
 
中杉通りのケヤキ並木
路線バス

阿佐ヶ谷を舞台にした作品編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ a b c 町丁別世帯数及び人口”. 杉並区 (2017年12月1日). 2017年12月26日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月26日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月26日閲覧。
  4. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月26日閲覧。
  5. ^ 阿佐谷七夕まつり”. 2016年10月6日閲覧。
  6. ^ ジャズストリート”. 2016年10月6日閲覧。
  7. ^ 杉並区立郷土博物館 2000, p. 2.
  8. ^ 村上護 1993, p. 3.
  9. ^ 村上護 1993, p. 269.
  10. ^ 東秀紀『東京の都市計画家 高山英華』鹿島出版会
  11. ^ 杉並区立郷土博物館編「大相撲杉並場所展 : 阿佐ケ谷勢その活躍と栄光の歴史」1991.11
  12. ^ 花籠昶光『横綱づくりの秘伝 : 私の相撲自伝』 ベースボール・マガジン社 P52
  13. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』P67~73「本家に勝る隆盛誇った阿佐ヶ谷勢、有為転変の歴史 花籠部屋・二子山部屋」大見信昭
  14. ^ 日本経済新聞1988年(昭和63年)2月17日「私の履歴書」
  15. ^ 杉並区立郷土博物館編「大相撲杉並場所展 : 阿佐ケ谷勢その活躍と栄光の歴史」1991.11
  16. ^ 杉並区立郷土博物館編「大相撲杉並場所展 : 阿佐ケ谷勢その活躍と栄光の歴史」1991.11
  17. ^ 区立学校学区域一覧”. 杉並区 (2016年1月14日). 2017年12月26日閲覧。

外部リンク編集