阿倍子島

奈良時代の貴族

阿倍 子島(あべ の こしま)は、奈良時代貴族。名は小島とも記される。官位従四位下上総守

 
阿倍子島
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 天平宝字8年1月24日764年3月1日
別名 小島、子嶋
官位 従四位下上総守
主君 聖武天皇孝謙天皇淳仁天皇
氏族 阿倍氏
父母 父:阿倍宿奈麻呂?[1]
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経歴 編集

大宰大監を経て天平13年(741年従五位下肥後守に叙任される。天平18年(746年兵部少輔として京官に遷る。天平19年(747年)にはかつて聖武天皇の発願により諸国に造立が指示されていた国分寺(金光明寺と法華寺)について、十分に造立がなされていないとして、石川年足布勢宅主と共に諸国に派遣され、寺地の適否の調査と造作状況の視察を行っている[2]

孝謙朝では天平勝宝5年(753年駿河守、天平勝宝6年(754年式部少輔を歴任する。

天平宝字2年(758年淳仁天皇即位に伴って従五位上に叙せられると、天平宝字6年(762年正五位下、天平宝字8年(764年)従四位下と淳仁朝では順調に昇進した。またこの間、武部大輔・上総守を務めている。

天平宝字8年(764年)正月24日卒去。最終官位は上総守従四位下。

官歴 編集

続日本紀』による。

脚注 編集

  1. ^ 『備後福山阿部家譜』、内題『阿部家系』
  2. ^ 『続日本紀』天平19年11月7日条

出典 編集