阿尾城(あおじょう)は、富山県氷見市阿尾字島尾にあった日本の城。富山県指定史跡[2]とやま城郭カードNo.35[3][4]

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阿尾城(あおじょう)
富山県
阿尾城跡のある城ケ崎(阿尾漁港側より撮影)
阿尾城跡のある城ケ崎(阿尾漁港側より撮影)
城郭構造 山城
築城年 永禄年間(1558 - 1570)
主な城主 菊池氏
廃城年 慶長年間(1596 - 1614)
遺構 曲輪
指定文化財 県史跡(阿尾城跡)[1]
再建造物 石碑、説明板
位置 北緯36度52分45.3秒 東経136度59分32.8秒 / 北緯36.879250度 東経136.992444度 / 36.879250; 136.992444座標: 北緯36度52分45.3秒 東経136度59分32.8秒 / 北緯36.879250度 東経136.992444度 / 36.879250; 136.992444
地図
阿尾城の位置(富山県内)
阿尾城
阿尾城
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概要 編集

富山湾に面した独立丘陵の城ケ崎に築かれた戦国時代山城である。

能登へ向かう街道と海上交通をおさえる要衝に位置し、戦国末期の城主として肥後菊池氏の末裔である菊池武勝安信親子が知られる[5]

菊池武勝は上杉謙信に従った後、織田信長と結び、越中入りした佐々成政配下として活躍した。信長死後は成政と対立した前田利家方につき、佐々成政に攻められるも前田勢の加勢により撃退している[5]。菊池氏は前田方についた後も阿尾城への居城と知行1万石を安堵されたものの、慶長元年(1596年)に当主が没すると阿尾城もまもなく廃城となった[6]

なお、菊池氏が前田方についた天正13年(1585年)、阿尾城に入った前田方の武将のひとりが傾奇者として知られる前田慶次郎である。城主だったとする見方もあるものの、実際に城にとどまったのは5~7月ごろまでの3か月ほどだと考えられている[7]

1989年から1992年にかけて氷見市教育委員会が行った発掘調査の結果、明確な城郭遺構は確認されなかった。ただし、伝二の丸・伝三の丸地区で15世紀から16世紀の遺物が出土しており、ここを中心に城として機能していたと考えられている[6]

2012年には武勝から数えて16代目に当る子孫が阿尾城跡にある榊葉乎布(さかきばこふ)神社を訪れて春祭りに参加している[8]

脚注 編集

  1. ^ 富山県指定文化財(平成27年教委告示第5号現在)”. 富山県. 2017年1月21日閲覧。
  2. ^ 「種類別指定文化財一覧」富山県公式HP
  3. ^ 「とやま城郭カードが完成しました!」砺波市公式HP
  4. ^ 「とやま城郭カード一覧」砺波市公式HP
  5. ^ a b 阿尾城”. 日本の城がわかる事典. コトバンク. 2017年1月8日閲覧。
  6. ^ a b 『氷見の山城』氷見市教育委員会、2001年。
  7. ^ “前田慶次は阿尾城にいた!? 氷見で勉強会”. 北日本新聞. (2015年10月20日). https://webun.jp/item/7223683 2020年5月29日閲覧。 
  8. ^ “城主子孫招き初交流 氷見・阿尾城、春祭りで住民ら”. 北日本新聞. (2012年4月15日). https://webun.jp/item/1057646 2020年5月29日閲覧。 

外部リンク 編集