阿島陣屋(あしまじんや)は信濃国伊那郡(現在の長野県下伊那郡喬木村阿島)にある交代寄合旗本知久氏陣屋である。

阿島陣屋跡(現喬木北保育園)
阿島陣屋 曙月庵

概要 編集

知久氏は諏訪氏の一族といわれ、信濃国伊那郡を統括する鎌倉時代以来の土豪で、鎌倉時代は本拠地を知久平城に置き、その後、本拠地を神之峰城に移している。

戦国時代になると、知久頼元天文23年(1554年武田信玄方に属さずに戦い、敗れ処刑されてしまう。 次の代の頼氏織田信長徳川家康に仕えるが処刑される事態にもまたしてもなってしまう。

次の代の則直の代に関ヶ原の戦いに出陣し、交代寄合旗本3000石となった。

陣屋は慶長6年(1601年)則直の代に3年の歳月をかけ造られ、周りより高い台地に築かれている。敷地には御殿、表御門、土蔵などがあった。以後12代頼温の代に明治維新を迎えている。

陣屋跡は喬木北保育園の敷地となっているが、石垣嘉永元年(1848年)10代頼匡が造った茶室「曙月庵」が現存している。

参考文献 編集

  • 『下伊那史』
  • 日本城郭史学会・西ヶ谷恭弘編『国別城郭・陣屋・要害・台場事典』東京堂出版 2002年

外部リンク 編集

座標: 北緯35度31分12.0秒 東経137度53分03.3秒 / 北緯35.520000度 東経137.884250度 / 35.520000; 137.884250