阿蘇 惟将(あそ これまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将肥後国戦国大名阿蘇氏阿蘇神社宮司)。

 
阿蘇 惟将
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正17年(1520年
死没 天正11年11月2日1583年12月15日
改名 千寿丸(幼名)→惟将
氏族 阿蘇氏
父母 父:阿蘇惟豊
兄弟 入田親誠正室、惟将惟種
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生涯 編集

永正17年(1520年)、阿蘇惟豊の子として誕生。

天文10年(1541年)、阿蘇氏家臣の御船城主・御船房行が薩摩国島津氏に通じて父・惟豊に反旗を翻した際、父の命を受け惟将は討伐軍の大将として甲斐宗運の補佐もあり、木倉原の戦いで御船方に勝利し益城郡御船城を攻略、房行を自刃に追い込んだ。

永禄2年(1559年)、父・惟豊が死去したために家督を継ぐ。この頃の阿蘇氏は、島津氏や肥前国龍造寺氏らの圧迫を受けて苦しんでいたが、惟将は甲斐宗運を重用して豊後国大友氏らと手を結んで、独立の維持を図ったという。その後も他の勢力と巧みに手を結びながら、独立を終生維持した。

天正11年(1583年)、死去。家督は弟・惟種が継いだ。

脚注 編集

出典 編集