阿部 賢任(あべ かたとう)は江戸時代の医師、本草学者阿部将翁の孫、阿部櫟斎の父。

 
阿部 賢任
時代 江戸時代
死没 嘉永3年7月4日1850年8月11日
改名 阿部求馬、義明、賢(堅)任
別名 号:春庵、黙斎、醒斎
戒名 東亭院潭相恵水居士
墓所 梅林寺
主君 生駒氏
氏族 奥州安倍氏
父母 阿部義任
東寿院潭室妙操大姉
阿部信任、喜任
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概要 編集

江戸阿部家2代目義任の子。幼名は求馬、諱は義明、後に堅任、賢任[1]生駒家に仕え、春庵、黙斎、醒斎と号した[1]嘉永3年(1850年)7月4日生駒家屋敷で没し、梅林寺に葬られた[2]。法名は東亭院潭相恵水居士[2]

人物像 編集

阿部櫟斎の著書『隠居放言』により断片的に知れる。「海井」条によれば、宝暦10年(1760年)春大坂戸田旭山宅で行われた本草会に出席した際、奈良藤田七兵衛が出品した紅毛産海井(水濾石、レキスティン)を見たと語っており、上方本草学者との交流が窺える[1]。「阿魏 ハナウト」条によれば、普段大黄茴香橙皮と調合し、丸薬として虫積を治療した[1]。「福禄 シマウマ」条によれば、過去に西洋人の齎したシマウマの写生図を家蔵していた[3]

親族 編集

  • 祖父:阿部将翁 - 諱は照任。江戸阿部家祖[1]
  • 父:阿部義任 - 幼名は求馬、後に友之進[1]
  • 妻:東寿院潭室妙操大姉 – 慶応2年(1866年)7月15日没[4]
    • 長男:阿部信任 - 著書に『製楮要訣』(所在不明)[5]
    • 次男:阿部櫟斎 – 諱は喜任[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 平野 2002, p. 2.
  2. ^ a b 平野 2002, p. 31.
  3. ^ 平野 2002, pp. 2–3.
  4. ^ 平野 2002, p. 42.
  5. ^ 平野 2002, p. 13.

参考文献 編集