陸西星(りく せいせい、1520年 - 1606年)は、明代道教の人士であり、道教の内丹派東派を創始した人物。は長庚、は潜虚、別号は方壺外史。本貫南直隸興化県

若くして儒学を学び、秀才に挙げられた。その後9回も郷試を参加したが、及第できなかったため、儒学を捨てて道教を学び、呂洞賓を自称する人物から丹薬を作る秘訣を教授された。晩年には、さらに仏教を学んで参禅修養し、三教合一を実践した人物となった。

陸西星は主に内丹術を修練し、性命双修を提唱し、『方壺外史』『南華副墨』『道縁匯録』『賓翁自記』などの書を著した。近代の考証によると、小説の『封神演義』も彼の手によるものである[1]。その説によると、陸西星は娘の嫁入り道具を調達するために、『封神演義』を書いて出版したところ、思いもかけず大儲けした[2]

陸西星は道教の内丹東派の祖師と仰がれたが、本人は正式に出家しておらず、道士になっていなかった。

注釈 編集

  1. ^ 『伝奇匯考』巻7「順天時」伝奇解題に「『封神伝』は元のときの道士の陸長庚に作られたというが、適否は分からない」といい、『曲海総目提要』巻39「順天時」の条にもまた「『封神伝』は元のときの道士の陸長庚に作られたというが、適否は分からない」という。
  2. ^ 『帰田瑣記』に「むかし財産を蕩尽してしまった士人の家があったが、その長女は結婚できたのに、次女は結婚できないのを怨みに思っていた。士人は「貧しいことに怒っても仕方がない」といって娘を慰めた。『封神演義』を作って原稿を娘に与え、のちにその婿にこれを出版させると、大儲けをした云々」という。

参考文献 編集

  • 咸豊『重修興化県志』巻八「人物志」

参照 編集