隅田光蔵

明治時代後期から昭和時代前期の実業家

隅田 光蔵(すみだ こうぞう、1869年10月14日〈明治2年9月[1][2][3]10日[4]〉 - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の実業家紡績技術者。

経歴 編集

広島県出身[2][3][5]。隅田保兵衛の長男[1][2][3][4]。1881年(明治14年)家督を相続する[3]。明治初期に紡績会社を興したのち、鐘淵紡績に入社し技術を磨き、広島紡績を経て、谷口房蔵[6]の経営する谷口紡績に入社[5]。その後、谷口紡績は広島紡績を買収し、天満紡績となり、更に明治紡績を買収した[5]。隅田は谷口の補佐役として取締役を務め、大阪合同紡績[2]神崎工場長となった[5][7]。その間、1922年(大正11年)には日本における国産精紡機英語版第1号を完成させた[8]

ほか、同興紡績の発起人として名を連ね[6]、同社取締役を歴任した[2]

親族 編集

隅田家
  • 父・保兵衛[2][3]
  • 妻・ミドリ(1871年 - ?、新潟、石平弥三次の長女、石平音吉の養子)[1][2]
  • 長女・晴子(1894年 - ?、広島、岩尾啓三の妻)[1][3][9]
  • 男・(1896年 - ?)[4]
  • 二女・秀子(1898年 - ?、島根、渡部生一の妻)[1][3][9]
  • 女・政子(1903年 - ?)[3]
  • 二男・善雄(1906年 - ?、東洋ゴム工業顧問)[3][10][11]
  • 三男・(1909年 - ?、兵庫、浦光慈峰の養子)[1][2]
  • 四男・整明(1909年 - ?、福島紡績勤務)[3][9]
  • 五女・茂子(1912年 - ?)[3]

脚注 編集

参考文献 編集