隼人舞

古代に隼人が演じた風俗歌舞。

隼人舞(はやとまい)は、皇室にゆかりのある宮中の儀式用の風俗歌舞大嘗祭などで南九州大隅国薩摩国に居住した隼人が演じた風俗歌舞で、令制では衛門府大同3年(808年)に兵部省へ移管)の隼人司で教習された。

概要 編集

飛鳥・奈良時代、南九州薩摩大隅地域の人々は、当時の律令政府により擬製的な化外の民夷狄)として扱われ[1][2]、「隼人」と呼ばれた。

隼人は『日本書紀』巻第二十九によると、7世紀後半にあたる天武朝11年(682年)7月に「隼人、多に来て、方物(くにつもの)を貢れり。是の日に、大隅の隼人と阿多の隼人と、朝庭に相撲(すまいと)る。大隅の隼人勝ちぬ」とあり[3]、この時に正式に大和政権への服属の意志を示した。そして、6年交代で上京し、犬の鳴き声のような吠声(はいせい)で皇宮衛門の守護や行幸の護衛を行ったとされる(蛮族の声には悪霊退散の呪力があると信じられたため)。また竹笠・竹扇の造作などのほか、服属の意を示す歌舞の教習を行いつつ、隼人舞を節会に演じた、と言われる。

その後、隼人舞は宮廷芸能と化し、また番上隼人から 今来隼人の演じるものへと移行していった。『延喜式』によると、弾琴(ことひき)2人・吹笛(ふえふき)1人・撃百子(たたら)4人・拍手(てうち)2人・歌2人・舞2人の13人で演じられたらしい。

舞については、隼人の祖と伝えられる火照命(ほでりのみこと、あるいは火闌降命(ほのすそりのみこと)、海幸彦)が海水に溺れる様子を写したものであり、滑稽、物真似的な芸とする説のほか、戦闘歌舞(この場合は、ニュージーランドのハカのようなものだろう)とする説などもあるが、中世に絶えているので芸態は明らかでない。

令集解』職員令では、隼人という名は吠声によると解しているが、

「僕(あ)は今より以後(のち)、汝命の昼夜(ひるよる)の守護人(まもりびと)と為りて仕へ奉らむ」。故(かれ)、今に至まで、其の溺れし時の種々(くさぐさ)の態(わざ)、絶えず仕へ奉るなり[4]
「今より以後(ゆく先)汝の俳優(わざをぎ)の民たらむ。請ふ、施恩活(いけたま)へ」[5]
「吾已に過(あやま)てり。今より以往(ゆく先)は、吾(やつがれ)が子孫(産みの子)の八十連属(やそつづき)に、恒に汝(いましみこと)の俳人(わざひと)と為らむ。一(ある)に云はく、狗人といふ。請ふ、哀しびたまへ」[6]
「吾、身を汚すこと此(かく)の如し。永(ひたぶる)に汝の俳優者(わざをぎひと)たらむ」とまうす。乃ち足を挙げて踏行(ふ)みて、其の溺苦(くる)しびし状(かたち)を学ぶ。初め潮(しほ)、足に漬く時には、足占(あしうら=爪先立ち)をす。膝に至る時には足を挙ぐ。股(もも)に至る時には走り廻(めぐ)る。腰に至る時には腰を捫(もち)ふ。腋(わき)に至る時には手を胸に置く。頸(くび)に至る時には手を挙げて飄掌す(たひろかす=手のひらをひらひらさせる)。爾(それ)より今に及(いた)るまでに、曾(かつ)て廃絶(やむこと)無し。[7]

という隼人舞の起源説話があり、テンポの早い囃子をする人の意で「はやと」と名づけられたとも想定される[8]

古代歌舞のものと同じかどうかは不明だが、鹿児島県霧島市隼人町鹿児島神宮では旧暦8月15日の放生会には、隼人舞が行われている[9]

また、京田辺市大住の 月讀神社には、「隼人舞発祥之碑」があり、毎年10月14日の秋期例祭宵宮に奉納されている。大住隼人舞は、昭和50年(1975年12月19日に田辺町(現・京田辺市)指定無形民俗文化財第1号に指定された[10]

脚注 編集

  1. ^ 永山 2009, pp. 40–41.
  2. ^ 宮崎県立西都原考古博物館 2016, p. 13.
  3. ^ 『日本書紀』天武天皇11年7月3日条
  4. ^ 『古事記』上巻、火遠理命条
  5. ^ 『日本書紀』巻第二、神代下、第十段、本伝
  6. ^ 『日本書紀』巻第二、神代下、第十段、第二の書
  7. ^ 『日本書紀』巻第二、神代下、第十段、第四の書
  8. ^ 隼人には、本居宣長のいう、古語に猛勇を「はやし」ということに由来するという説や、『新唐書』巻第二百二十・東夷日本伝にみえる「其の東海の嶼(しま)の中には、又邪古(またやこ)・波邪(はや)・多尼(たに)の三小王有り」の地名によるという 喜田貞吉の説もある。
  9. ^ 今 2018, pp. 73–77.
  10. ^ 京田辺市. “「月読神社と隼人舞」”. 京田辺市. 2019年9月20日閲覧。

参考文献 編集

  • 『古事記』完訳日本の古典1、小学館、1983年
  • 『日本書紀』全現代語訳(上)(下)、講談社学術文庫宇治谷孟:訳、1988年
  • 『日本書紀』(一)・(五)、岩波文庫、1994年 - 1995年
  • 『岩波日本史辞典』p949、監修:永原慶二岩波書店、1999年
  • 永山, 修一『隼人と古代日本』同成社、2009年10月。ISBN 978-4886214973 
  • 宮崎県立西都原考古博物館『化内の辺境-隼人と蝦夷-(平成28年度特別展図録)』宮崎県立西都原考古博物館、2016年7月16日。 NCID BB21763511 
  • 今由佳里「「隼人舞」研究ノート」『鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編』第69巻、鹿児島大学、2018年3月29日、73-77頁、CRID 1050001338888434688hdl:10232/00030097ISSN 0389-6684 

関連項目 編集

外部リンク 編集