雄冬岬
雄冬岬(おふゆみさき)は、北海道石狩市浜益区(旧浜益村)の国道231号線沿いの雄冬海岸に位置する断崖の中にある岬。この地域一帯は厳しい断崖絶壁に位置しており、道路が未整備で訪問が著しく困難であったことから、かつては「陸の孤島」[1]、また室蘭市の地球岬・根室市の落石岬と並んで「北海道三大秘岬」の一つとされていた。
地名の由来編集
アイヌ語の「ウフィ[2]」(燃える、焼ける)に由来する[3]。これは、海岸の絶壁に赤い岩層が露呈しているため、あるいはかつてここに落雷によって近辺が焼けたため、とされる[3]。
集落編集
雄冬地区は、暑寒別岳を中心とする山系が日本海に接する位置にあり、周囲の海岸線は断崖が連なる[1]。
かつて浜益村中心部や札幌市側からの陸路往来はほぼ不可能で、増毛側からも山側に大きく迂回する区間(増毛山道)も、冬季は積雪により閉鎖されていた。このため大正時代から国道が整備されるまでは増毛港との定期船で行き来する形とし、時化による休航が珍しくなかったこともあり雄冬集落は長い間「陸の孤島」と呼ばれ、北海道を代表する秘境の一つであった。電話回線も、1978年10月18日に大掛かりな回線敷設工事の末、北海道で最後に自動化が完了した集落でもある[4]。
後述する国道231号の整備により、通年でのアクセスが可能となった1999年(平成11年)、雄冬岬に展望台・岩石公園などが整備され、観光スポットに変わりつつある。近海は甘エビの好漁場であるため、2002年(平成14年)から水産庁による特定漁港漁場整備事業が進められている。一方、雄冬の戸数や人口は減少が続き、1960年(昭和35年)の88戸・511人が1995年(平成7年)には67戸・132人となり、2013年(平成25年)時点では37戸・約70人と紹介されている[5]。2002年(平成14年)には雄冬小学校[6]が閉校となり、旧校舎は「増毛町雄冬自然体験館」として供用されている。
交通編集
雄冬航路編集
大正時代に山本徳次郎が汽船「海竜丸」を所有して山本汽船部として一時営業し、増毛と雄冬間の定期航路便を最初に開設した。1933年(昭和8年)より花田直太郎も花田直太郎回漕店を立ち上げ、増毛・雄冬間の定期航路を開いた[7]。
その後1949年に改めて増毛港からの26キロメートルの定期航路が開設され、1957年からは地区住民が株主となって設立した雄冬海運が引き継いだ[1]。雄冬海運は本社を雄冬に置き、上述のように雄冬地区住民のみが株主で、当時道内でも珍しい一村一会社であった。1日1往復で、船長が天候のほか集落住民の病院通いや学校試験などの都合を考えて出航か欠航かを判断していた[1]。
雄冬海運による増毛港との間を結ぶ船舶として初代「雄冬丸」(33総トン、定員35名[8])の後[9]、2代目船舶は「新おふゆ丸」(78総トン、定員45名[10])が運航されており当初は増毛 - 歩古丹 - 岩尾 - 毛間振 - 雄冬間26kmの航路を所要時間1時間50分[8]、1970年代の新おふゆ丸就航後は片道1時間30分で結び[10]、末期には増毛 - 雄冬間を直行し1時間15分で結んだ[11]。雄冬は昭和40年代、同じように海路でないと往来が難しい知床半島に喩えられて「西の知床」と呼ばれ、秘境観光ブームの対象となった。「新おふゆ丸」は時には1日3往復して最盛期には年間2万人を運んだ[1]。
国道231号編集
開通からトンネル崩落事故まで編集
国道231号の浜益から雄冬までが開通し、国道全通の悲願が適ったのが1981年(昭和56年)11月10日のことで、これで「陸の孤島」から解放されると言われる間もなく、同年12月19日には国道上の雄冬岬トンネルで大規模な崩落事故が発生し、国道は通行不能、雄冬集落は再び「陸の孤島」へ逆戻りする不運に見舞われた。
復旧工事が完了し、雄冬岬トンネルの再度の開通は1984年5月15日[12]のことであった。この旧国道は、増毛側の12.1キロメートルに108カ所のカーブがあり、曲がりくねっていた[1]。
事故から現在編集
「陸の孤島」から雄冬は解放されたとはいえ、冬季間の増毛 - 雄冬の通行止めは依然続き、この区間、かつ国道231号全線が通年供用可能となったのは1992年(平成4年)10月22日以降のことである。増毛 - 雄冬の定期航路は、新国道の全通を約半年後に控えた同年4月30日まで運航されていた[1]。それまでは増毛町住民である雄冬集落の住民にとっては依然大切な交通手段に変わりなかったからである。
その後も沿線では、国道231号の災害対策 (雄冬防災) 事業として4本の新トンネル掘削が計画され、太島内トンネル、新赤岩トンネル、新送毛トンネル、2016年(平成28年)1月19日、既存のタンパケトンネルを山側に迂回してガマタトンネルと雄冬岬トンネルを接続する総延長4,216mの浜益トンネルが供用開始された[13][14]。
アクセス編集
石狩市・増毛町の境界付近に「雄冬」バス停留所がある。
国道231号開通後は北海道中央バスの特急札浜線や日本海るもい号が乗り入れていたが、2010年(平成22年)11月28日の日本海るもい号の運行を最後に同社の路線の発着が終了した[15]。
作品編集
人物編集
脚注編集
- ^ a b c d e f g 【時を訪ねて 1992】雄冬航路の閉航(増毛町雄冬地区)喜び、悲しみも乗せた"命綱"『北海道新聞』日曜朝刊別刷り2020年8月2日1-2面
- ^ アイヌ語ラテン翻字: uhuy
- ^ a b “アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
- ^ 北海道で最後 - お食事処レストハウス雄冬
- ^ 出典:お食事処レストハウス雄冬「雄冬の人口の推移」
- ^ 1892年(明治25年)開校、中学校も併設されていた。
- ^ 交通運輸の移り変わり - 増毛町(PDF) 2021年7月12日閲覧。
- ^ a b TOHOHO日記 雄冬と古写真 - 北海道情報誌HOオフィシャルサイト
- ^ 雄冬岬 - ほっかいどう宝島(エフエム北海道)
- ^ a b 弘済会の道内時刻表1976年7月号 - 鉄道弘済会
- ^ 弘済会の道内時刻表1981年10月号 - 鉄道弘済会
- ^ トンネル自体は1983年12月19日に復旧・再開通したが、翌20日から増毛山道の区間が冬季閉鎖となったため。
- ^ “国道231号の新トンネル「浜益トンネル」が開通” (PDF). 国土交通省北海道開発局札幌開発建設部. 2017年7月3日閲覧。
- ^ “海沿いの難所、安全に 石狩「浜益トンネル」きょう開通”. 『北海道新聞』 (2016年1月19日). 2016年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月19日閲覧。
- ^ 日本海るもい号は当初毎日運行だったが、2007年(平成19年)から季節運行となった。正式な路線廃止は2011年(平成23年)3月31日。
関連項目編集
外部リンク編集
- 雄冬岬展望台 - 増毛町 観光情報
座標: 北緯43度43分6.0秒 東経141度19分44.0秒 / 北緯43.718333度 東経141.328889度