雄群村
日本の愛媛県温泉郡にあった村
雄群村[1](おぐりむら[2])は1926年(大正15年)まで愛媛県温泉郡にあった村である。現在の松山市中心市街地の南部に接する地域。
おぐりむら 雄群村 | |
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廃止日 | 1926年2月11日 |
廃止理由 |
編入 素鵞村、雄群村、朝美村、御幸村 → 松山市 |
現在の自治体 | 松山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 温泉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
雄群村役場 | |
所在地 | 愛媛県温泉郡雄群村大字小栗 |
座標 | 北緯33度49分41秒 東経132度45分34秒 / 北緯33.82797度 東経132.75942度座標: 北緯33度49分41秒 東経132度45分34秒 / 北緯33.82797度 東経132.75942度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集位置・地形
編集村名の由来
編集- 雄群と小栗
- ともに「おぐり」と読まれる。
- 「雄群」の名は地域内に存する雄群神社の祭神である雄群神に由来する。雄群神社は今日では「雄郡神社」と表記される。
- 雄群村が成立する前、明治の町村制前の村の一つに小栗村がある。元は雄群と記していたが、少なくとも明治以前には「小栗」(おぐり)と表記されるようになったという。[3]
- 雄郡
- 一方、「雄群」は「雄郡」(ゆうぐん)と記されるようになった。今日、松山市の住居表示に「雄郡町」が、小学校にも雄郡小学校[4]がある。
地域・集落
編集- 発足時の旧村である小栗(おぐり)・竹原(たけわら)・藤原(ふじわら)・針田(はりた)と春日町(かすが、但し一部)がそのまま5大字となった。
- 小栗に役所がおかれるなど中心集落であった。[5]
沿革
編集歴代村長
編集代 | 氏名 |
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初代 | 五百木豊信 |
第2代 | 須山正夫 |
第3代 | 竹田亮三 |
第4代 | 珠川慶郎 |
第5代 | 吉田唯光 |
第6代 | 重松初次郎 |
第7代 | 仙波重訓 |
第8代 | 松友儀兵衛 |
第9代 | 友澤豊三郎 |
※在任時期は不明[8]。
産業・経済
編集農村地帯。温暖ながら寡雨な気候のため石手川から農業用水を引き、米麦のほか野菜類などを産した。
教育
編集- 愛媛県立松山高等女学校
- 愛媛国学館[9]
- 雄群尋常小学校
交通
編集道路
編集名所・旧跡
編集脚注
編集- ^ 雄郡村とも表記される(松山市の市町村合併に関するハンドブック、三 道後平野の条里集落 - 生涯学習情報提供システム 愛媛県生涯学習センター)。
- ^ 角川日本地名大辞典〈38〉愛媛県. 角川書店
- ^ 『角川日本地名大辞典38愛媛県』p179「小栗」の項による。なお松山市には大栗と書いて本来の読みは「おおぐり」であるが、慶長年間には「おぐり」と読ませていた地域がある。同p152
- ^ 小学校が立地しているのは雄郡町ではなく藤原町。
- ^ 旧小栗村区域は急速に市街化が進んだため細分されて、現在の住居表示では「小栗(おぐり)」「小栗町」「雄郡(ゆうぐん)」に分かれている。
- ^ 鶴本房五郎 『余土村誌』 1925年、827頁
- ^ 『官報』 1922年10月14日
- ^ 『たちばなの郷』 75頁
- ^ 1916年に設立された神官兼小学校教員養成学校。戦後の神道指令により廃校となる(末広町誌編纂委員会 『末広町誌 末広町の30年』 2014年、66頁)。
参考文献
編集- 郷編集委員会 『たちばなの郷』 松山市立たちばな小学校、2003年
- 『角川日本地名大辞典38愛媛県』1981年10月刊