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雪谷大塚町

東京都大田区の町名

地理編集

大田区の北西部に位置する。北部は世田谷区東玉川・大田区石川町に接する。東部から南部は中原街道に接し、これを境に大田区南雪谷に接する。西部は環八通り(東京都道311号環状八号線)に接しこれを境に、大田区田園調布に接する。町域内を中原街道を始点として自由通りが南北に通っている。

町は雪が谷大塚駅の西に拡がり、比較的狭い町内に税務署消防署、区地域行政センターなど、公共施設が集中して存在している。そして中原街道沿いには駅近くに銀行信用金庫の支店、東急ストアなどが商店の列に混じって立ち並び、さらに東に街道に面してアルプスアルパイン本社がある。その他の町内は日銀社宅団地や多数のマンションはあるが、概して一戸建てを主体とした住宅地となっている。

歴史編集

かつては荏原郡鵜の木村の飛び地で「字大塚」といった。1932年の東京市編入で「調布大塚町」となり、1962年の住居表示実施に伴い「雪谷大塚町」と改めた。

地名の由来編集

「大塚」の名称は町域内に鵜木大塚古墳があることによる。鵜木大塚古墳は、大田区立調布大塚小学校の北西隣にあり、1930年(昭和5年)に東京府史跡に指定された古墳である(現・「都旧跡」)。それは高さ6メートル、直径27メートルの円墳で、原形が比較的よく保存されている。現在はその南隅がかき落とされて、そこに稲荷社が造営されている。

沿革編集

  •  かつては荏原郡鵜ノ木村の飛び地で大塚と称した。 
  •  1889年明治22年):町村制の実施に伴い、鵜ノ木村は上沼部村、下沼部村、峰村と合併して調布村を新設した。 そこでこの地は「荏原郡調布村大字鵜ノ木字大塚」となった。
  •  1927年昭和2年):域内に池上線「調布大塚駅」開業。
  •  1928年(昭和3年):調布村は町制をしいて東調布町となり、この地は「荏原郡東調布町大字鵜ノ木字大塚」となった。
  •  1932年(昭和7年):荏原郡は東京市に編入、この地は「東京市大森区調布大塚町」となった。
  •  1933年(昭和8年):調布大塚駅が隣の雪ヶ谷駅に統合され、現在の雪が谷大塚駅の地点に移設されて、その名がなくなった。
  •  1941年(昭和16年):調布大塚尋常小学校創設。
  •  1943年(昭和18年):東京都制実施。
  •  1947年(昭和22年):大森区蒲田区と合併して「大田区」となり、この地は「東京都大田区調布大塚町」となった。
  •  1962年(昭和37年):住居表示実施に伴い、名称を「雪谷大塚町」と改めた。また町域のうち中原街道の南側を南雪谷に、環状八号線の用地買収に伴い西側に取り残された区域を田園調布に編入して、現在の町域になった。

世帯数と人口編集

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
雪谷大塚町 1,180世帯 2,361人

小・中学校の学区編集

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]

番地 小学校 中学校
1番 大田区立洗足池小学校 大田区立石川台中学校
その他 大田区立調布大塚小学校

交通編集

町域内に鉄道駅はないが、東部沿いの中原街道すぐのところに東急池上線・雪が谷大塚駅があり、多く利用されている。他にバスの便もある。

施設編集

雪谷大塚町は雪ヶ谷と田園調布とに挟まれているため、雪谷大塚町にありながら名称に「雪谷」(「雪ヶ谷」、「雪が谷」)や「田園調布」を冠した施設が多い。

かつて存在した施設編集

現在の田園調布消防署、東京都下水道局南部下水道事務所の敷地には、1970年代初頭まで上記の青果市場があった。1955年に荏原分場調布配給所として業務を開始し、約6700平方メートルの大規模な施設であったが、市場機能の強化と、環状八号線の用地買収による官公庁施設の再配置のため、1972年に新設の世田谷市場に統合された。

脚注編集

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  1. ^ a b 世帯と人口”. 大田区 (2017年12月4日). 2017年12月15日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月15日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月15日閲覧。
  4. ^ 通学区域”. 大田区 (2016年5月30日). 2017年12月15日閲覧。

外部リンク編集