震災遺構

震災によってダメージを受けた建物などで、後世に記録・記憶を残しておくために保存されるもの

震災遺構(しんさいいこう)とは、震災が原因で倒壊した建物などであるが、次世代に向けて震災が起きたという記憶や教訓のために、取り壊さないで保存しておくというものである。

概要編集

2011年平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、幾つかの倒壊した建物を震災遺構という形での保存を求める声があるが、それをするためには多額の費用がかかったり、震災の辛い記憶を思い出したくないと思う者も多いことから、保存の是非について検討が続けられていたり、震災遺構とならずに取り壊されてしまった建物は多い。

陸前高田市奇跡の一本松は、震災遺構とするためにマツを復元して保存されている物である。2013年(平成25年)11月15日には、宮古市に存在していた「たろう観光ホテル」が震災遺構として保存されることになり、そのための費用の一部が、日本国政府から負担されることとなった。

これに続いて、数多くの建物が震災遺構として保存するべきとされ、そのための費用を日本国政府に求める運動が、各地で行われている[1]

災害遺産編集

大災害の教訓や被災の悲惨な状況を顕彰し後世に伝えるべく、政府が2014年度(平成26年度)中に全国の自治体・学会・市民団体などから募集して選定し、防災や防災教育、観光資源などとして活用する計画である。防災や減災につながる教訓や事例を長く後世に伝え、100年に一度、あるいは1000年に一度といった大災害に備えることがねらいで、被災のすさまじさを伝える建物などの震災遺構のほか、石碑・文献・物品・伝承など、不動産動産が対象となる。

内閣府が選定対象や件数を詰めるが、東日本大震災の爪痕を残す「宮城県南三陸町防災対策庁舎」や「旧女川交番」、雲仙普賢岳火砕流で焼け焦げた被災民家や車両、阪神・淡路大震災で残った防火壁「神戸の壁」などが候補になる。また、岩手宮城内陸地震で発生した荒砥沢ダム崩落地など、現在も地すべりが続いている災害現場も防災の研究対象として候補になるとみられる。石碑や記念碑では昭和三陸地震に伴う津波後に岩手県宮古市姉吉地区に建立された集落の高台移転を促した「此処より下に家を建てるな」の石碑のほか、長崎大水害の被害の大きさを伝える「長崎大水害水位」石碑や鉄柱が選定候補となる見通しである。文献では平安時代に東北を襲った貞観地震を伝える『日本三代実録』の記述などがあるほか、伝承では大津波の際は家族を探さずにばらばらに避難したほうが生存率が高まるという東北地方の教訓「津波てんでんこ」、安政南海地震で津波に襲われた紀州藩広村(現和歌山県広川町)の村民を稲わらに火をつけて高台に避難誘導した濱口梧陵の逸話「稲むらの火」なども候補になるとみられる。

災害遺産の維持管理について、政府は原則、自治体や市民団体などにゆだねる計画であるが、文化財に指定して政府が維持管理費の負担軽減を図るべきという意見や、国際的に認められた世界の記憶としての認定を目ざすべきという主張もある。[2]

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集