霊松院(れいしょういん)は岐阜県岐阜市岩崎にある臨済宗妙心寺派(東海派雑華院下)の寺院で、山号は瑞巌山。美濃四国60番札所である。

霊松院

地図
所在地 岐阜県岐阜市岩崎3-15-1
位置 北緯35度28分11.3秒 東経136度46分51.9秒 / 北緯35.469806度 東経136.781083度 / 35.469806; 136.781083座標: 北緯35度28分11.3秒 東経136度46分51.9秒 / 北緯35.469806度 東経136.781083度 / 35.469806; 136.781083
山号 瑞巌山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 聖観音菩薩
創建年 寛永17年(1624年)
開山 石翁玄需(大智浄聖禅師)
開基 深貝平左衛門
中興年 明治9年(1877年)
中興 万休慧長
札所等 美濃四国60番
法人番号 3200005000922 ウィキデータを編集
霊松院の位置(岐阜県内)
霊松院
霊松院
霊松院 (岐阜県)
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寺伝によれば応永4年(1396年)に無文元選が開いた故地であると伝わるが、寺伝の他に証するものがなく不明である。寛永17年(1624年)に松江天倫寺の石翁玄需が当地の深貝平左衛門と共に創建を行った。宝永3年(1706年)に岩崎陣屋の代官であった南條金左衛門が葬られた。その後、宝暦年間に岐阜の柴田与一郎が田畑を寄進し、伽藍が改められている。また、宝暦4年(1754年)に宝暦治水で自害した高木家の家臣の内藤十左衛門が埋葬されている。この内藤十左衛門の墓は宝暦治水工事義没者墓として昭和41年(1966年)に岐阜県の史跡に指定されている。明治9年(1877年)に当時の住持であった万休慧長の下で僧侶の育成を行う育成所を設けている。これは後に普通学林と改称され、竜安寺の普通学林と合併して現在の花園大学に繋がっている。

参考文献 編集

  • 禅学大辞典編纂所 『新版 禅学大辞典』 p.1304 1980年
  • 山県市教育會『山県郡志』 p.1304 1918年