青山 幸寛(あおやま ゆきひろ)は、江戸時代後期の大名美濃国郡上藩の第4代藩主。官位従五位下大膳亮。幸成系青山家8代。

 
青山幸寛
時代 江戸時代後期
生誕 文化3年8月15日1806年9月26日
死没 天保3年6月26日1832年7月23日
墓所 東京都港区南青山梅窓院浄土宗
官位 従五位下大膳亮
幕府 江戸幕府奏者番
主君 徳川家斉
美濃郡上藩
氏族 青山氏
父母 父:青山幸孝、母:不詳
兄弟 幸寛幸礼成展、於九二、貞、阿充、松平信友正室、睦ら
牧野忠精の娘・紅姫
養子:幸礼
テンプレートを表示

略歴 編集

文化3年(1806年)、3代藩主・青山幸孝の長男として誕生した。

文化12年(1815年)、父・幸孝の死去により家督を継ぐ。奏者番となったが、天保3年(1832年)、死去。享年27。

子がなく、弟で養子の幸礼が跡を継いだ。

系譜 編集

父母

正室

養子