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青山練兵場

青山練兵場は、かつて東京都にあった練兵場。現在は、 明治神宮外苑となっている。

歴史編集

1886年明治19年)日比谷練兵場(現:日比谷公園)から移転。かつては青山氏の屋敷北側や、御鉄砲場があった。青山の地名は青山家から付けられている。陸軍大学校も隣接地に移転してきている。千駄ヶ谷駅方面からの引き込み線があり、青山練兵場駅があった。観兵式が行われており、今も御観兵が残る。日露戦争に勝利した記念として大博覧会開催を計画、1906年に博覧会開催が可決されたが、賠償金が獲得できず頓挫。1907年には勅令も出ている。1909年開催予定で憲法発布二十年記念博覧会を計画したがこれも頓挫した。今度は1912年4月から10月の日程で代々木練兵場とともに明治天皇即位五十年日本大博覧会の会場になる予定だった。1911年に5年延期し1917年開催となったものの天皇が崩御するなどで結局中止となった。吉武東里による「明治五十年大博覧会敷地内配置懸賞計画」が一等当選している。一部は着工しており、外苑として整備されることとなる。 1912年(大正元年)9月13日には明治天皇大喪の礼が行われている(葬場殿は聖徳記念絵画館となっている)。 明治天皇をたたえる神宮外苑が建設されることとなり、代々木練兵場に練兵場を移転した。関東大震災により工事が中断したが、神宮外苑1926年に完成した。明治神宮外苑競技場1924年に竣工している。1936年に開催が決定した1940年東京オリンピックのメインスタジアム建設候補地となったが、最終的に駒沢に建設することになった。しかし日中戦争勃発により、1938年に返上し五輪は中止となった。戦中には外苑競技場で学徒出陣が行われている。

その後外苑競技場は取り壊されて国立競技場となり、2020年東京オリンピックにむけて今度は新国立競技場の建設が進んでいる。

現在、北側は新宿区霞ヶ丘町、南側は港区北青山となり、ジグザグの境界が目立つが、練兵場時代もジグザグの境界のままだった。これは、南側の北青山にかつて甲賀町があったことによる。昭和期には赤坂青山北町、赤坂青山三筋町、赤坂青山六軒町となっていた。

現在建つ施設編集

関連項目編集