青景 隆著(あおかげ たかあきら)は、戦国時代武将周防大内氏の家臣。

 
青景隆著
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 弘治12年(1556年)?
別名 右京進[1]
官位 越後守[1]
主君 大内義隆
氏族 青景氏
テンプレートを表示

経歴 編集

大内氏16代当主大内義隆の下で奉行人を勤める[1]

天文18年(1549年11月3日、義隆の命で神辺合戦により大内氏が獲得した神辺城の城督となる[2]

義隆が同じく奉行人の相良武任を重用したため、これを排撃するため陶晴賢を煽動し、天文20年(1551年)晴賢は謀反に至る(大寧寺の変[1]弘治12年(1556年毛利氏との戦い(防長経略)で討死したと伝わる[1]

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 阿部猛西村圭子編『戦国人名事典』(新人物往来社、1987年)p.9-10
  2. ^ 閥閲録』巻104
  3. ^ 青景城(おかげじょう) - ニッポン城めぐり(解説内容の出典は美祢市文化財保護課)