青木一貞
江戸時代後期の大名。摂津麻田藩10代藩主。従五位下・甲斐守。青木一貫の四男
青木 一貞(あおき かずさだ)は、江戸時代後期の大名。摂津国麻田藩の第10代藩主。官位は従五位下・甲斐守。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永5年3月3日(1776年4月20日) |
死没 | 天保2年8月6日(1831年9月11日) |
改名 | 源五郎(幼名)、一貞、不老斎(号) |
戒名 | 正法院殿一乗義貞大居士 |
官位 | 従五位下・出羽守、甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治、家斉 |
藩 | 摂津麻田藩主 |
氏族 | 青木氏 |
父母 | 青木一貫、青木一新娘お薗 |
兄弟 |
佐野健行、設楽貞喬、米津政佑、一貞、 一寧、渡辺春綱正室[1]、斉藤利恵正室ら6男6女 |
妻 | 佐竹義忠娘春、池田定常娘徽姫 |
子 | 重龍、谷衛昉、一興、鏗ら |
生涯
編集安永5年(1776年)、第9代藩主・青木一貫の四男として誕生した。生母が正室かつ先代・青木一新[2]の娘であったため嫡子とされた。佐野健行・設楽貞喬・米津政佑の3人の異母兄は、佐野義行・設楽貞猶・米津政従にそれぞれ養子に出された[3]。
天明6年(1786年)8月21日、一貫の死去により家督を相続する。寛政5年(1793年)11月1日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。同年12月16日、従五位下・出羽守に叙任する。後に甲斐守に改める。寛政年間に藩校・直方堂を創設している。文政4年(1821年)7月21日、隠居して長男の重龍に家督を譲った。以後、不老斎と号した。