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韋 子粲(い しさん、生没年不詳)は、中国東魏政治家は暉茂。本貫京兆郡杜陵県

北魏の都水使者の韋雋(韋閬の子の韋範の子)の子として生まれた。京兆郡功曹史となり、大行台郎中に累進して、爾朱天光に従った。孝武帝長安に入ると、子粲は南汾州刺史となった。高歓の攻撃を受けて捕らえられ、晋陽に送られ、許されて高歓に仕えた。并州長史となり、豫州刺史をつとめて、死去した。

子粲の兄弟は13人いたが、子粲が南汾州を失陥して東魏に降ったため、親族の多くは西魏で処刑された。ただ弟の韋道諧のみが生き残って東魏に入国した。子粲が顕位に上った後、子粲は道諧と別居し、弟に所得がなくとも援助しなかったため、肉親の恩愛を忘れた人物として非難された。

伝記資料編集