音声多重放送

一つの放送チャンネルに複数の音声を多重して行う放送
音声多重から転送)

音声多重放送(おんせいたじゅうほうそう)とは、一つの放送チャンネルに複数の音声を多重化して行う放送である。

日本のテレビ放送 編集

開発から本放送に至るまでの経緯 編集

開発の着手から室内実験まで

日本では1962年からNHK放送技術研究所が開発に着手しNHK民放6社から実験局開設の申請が行われ、1964年9月には東京オリンピックに向けて「テレビ音声多重実験協議会」を結成したが、技術的実験のみにとどまり実際の放送サービスには進展せず、1966年8月に協議会を解散し郵政省電波技術審議会の諮問事項に引き継いだ[1]

その後、欧州放送連合の技術委員会で音声多重放送の本格的研究が開始され、1970年日本万国博覧会に向けて2か国語放送ステレオ放送の実験要望が寄せられたことからNHK技研は1968年に室内実験を再開した。

既存の放送施設を使っての実験放送の開始、方式の決定

1969年、郵政省は翌年(1970年)の日本万国博覧会に伴い、実験局による放送の実施を認める方針を出し、同年6月27日、NHK東京教育テレビに野外実験の為の実験局の予備免許を付与、同年7月26日に運用開始。同年8月7日からは、放送時間帯外の深夜に技術面の調査・試験の為の実験放送を開始。1962年頃からFM-FM方式、SSB-FM方式等の諸方式の比較検討が進められていたが、FM-FM方式が優れているとの実験結果に基づいて、その方式に於いて、同年10月末まで2重音声とステレオによる実験放送を実施[注 1]。この結果、同方式を採用することに基本的な問題はないものの、更に検討を加える為、今度はNHK総合テレビ(東京・大阪)に於いて、実験放送を継続することとなった。(これにより、NHK東京教育テレビでの実験局は、同年11月30日に廃局となった。)[2]

1969年12月21日、東京・大阪両地区のNHK総合テレビで、同放送の番組に於いての実験放送が開始された[3]

先ず2か国語放送は、同日の番組「劇映画 『ぼくはついてる』」を皮切りに[4]、アメリカの劇映画(『ママは太陽』等)や、前述で要望があった万博の関連番組[3]、それが閉幕後は、外国映画や19時のニュース(1971年10月から)等にて行われた[5]

ステレオ放送は、東京の総合テレビのみで行われ、1970年8月9日の『NHKコンサートホール』を皮切りに行われた[6]。「NHKアーカイブス」のホームページ内にある「NHKクロニクル[1]」(NHKのテレビ・ラジオの過去の番組表を検索できるサイト)内での記録では、同番組にてその後2回(同年8月23日[7]と翌年9月12日[8])、更に、NHKイタリア歌劇公演から2回分(1971年9月11日[9]1973年9月23日[10]放送分)同放送が行われたとの記録がある。NHK年鑑では、1971年版の記載では「NHKコンサートホール」に於いて「(1970年)8月から9月にかけて、ステレオの実験放送も行われた」とあり[11]、1972年版の記載では、「「NHKイタリア歌劇公演」等の音楽番組が数回放送された」とある[5]

そして1972年3月、電波技術審議会は、今迄の各方式の比較実験、前述のNHKの野外実験放送等を基に調査検討を行った結果、現行放送との両立性を考慮すると、FM-FM方式が最も適しているという結果を発表。技術基準や特性を示した上で郵政大臣に答申を行い、日本に於いての規格方式が正式に決定された。[5]

その後もNHKは実験放送を続けたものの、1974年、カラーテレビ受像機の普及を最優先方針としたことや、第1次オイルショックによる総合・教育両テレビに於いての放送休止による放送時間短縮の影響もあり、19時のニュースの2か国語放送を1973年度末(1974年3月)を以って終了した[12]のを機に、音声多重放送の実験局を一旦廃局した[1]

実用化試験放送開始、そして本放送開始まで

その後カラーテレビの普及が一段落したことから、1978年から実用化試験放送として再開され、先ず同年9月28日日本テレビが開始したのを皮切りに、その3日後の10月1日にはNHKの東京・大阪の各総合テレビと大阪の讀賣テレビ放送が、更にその翌日にはフジテレビが開始。年内には全ての在京民放キー局[注 2]が開始し、1979年3月までには全ての在阪民放の準キー局が開始した。また、名古屋を始めとする大都市や、地方都市でも富山県の北日本放送(1978年12月23日開始)を皮切りに相次いで開始された。

そして、1982年の郵政省令をもって、本放送となった[1]

概要 編集

アナログテレビの場合、2チャンネルステレオ放送と二重音声放送副音声付放送、2か国語放送、解説放送)がある。音声多重放送実施放送局は、JO**-TAMというコールサインが割り当てられていた。

2チャンネルステレオ放送は、受信機の左右の2つの音声チャンネルを同時に利用して、音楽番組やスポーツ、ドラマ、アニメ番組のほとんど全ての番組と、トーク、バラエティ、ニュース番組の一部で利用される。

二重音声放送は、ニュースや海外映画などに日本語音声と外国語(現地)音声の両方を入れて放送する場合などに多く利用される。メインで流れる音声(多くは日本語)を主音声(しゅおんせい)、もう一方の音声(外国語)を副音声(ふくおんせい、英語:subchannel、サブチャンネル)という。なお、副音声に同じ言語(日本向け放送の場合なら同じ日本語)での補足的な内容が流れる番組は、解説放送(かいせつほうそう)と呼ばれている。

日本におけるアナログテレビ放送用の規格(NTSCの拡張規格)では、FM-FM方式により放送波の中の2つの搬送波チャンネル(主音声用と副音声用)を用いて音声が送信される。

ステレオ放送の場合は、主音声用チャンネルには左右(L,R)の混合音声(L+R)、副音声用チャンネルには左右の差音声(L-R)の信号を載せる和差方式にすることにより、ステレオ非対応の受信機でも不都合がない視聴が可能[注 3]になる仕組みになっている。

同様にステレオ非対応の受信機で2か国語放送を視聴した場合[注 4]は、主音声用チャンネルの信号しか復元されない。

一方、音声多重放送対応受信機では、ステレオ放送の場合は左右の音声が分離[注 5]され、2か国語放送の場合は主音声または副音声を任意に選択(ただし、それぞれはモノラル音声で、左右に全く同じ内容を出力する)して聞くことができる。

ステレオ音声の場合は左チャンネル音声を左のスピーカからだけ、右チャンネル音声を右のスピーカーからだけ、などのように分けていずれか一方のスピーカーからのみ出力したり、片方の信号のみをモノラル音声として左右の両方から出力したり、様々な切り替えや選択が可能となっている[注 6]

前述のテレビやラジオ受信機と同じ原理により、旧来のモノラル音声記録のビデオレコーダーで音声多重番組を録画すると、モノラル音声テレビで視聴した場合と同様に、ステレオ放送は左右の混ざった音声が、2か国語放送の場合は主音声のみ録音・再生される。

一方、Hi-fiビデオと称される機種の場合は、ステレオ放送の場合はステレオ2ch音声で、2か国語放送の場合は主音声と副音声の両方が記録でき、再生ではステレオ放送の場合はステレオ2ch音声が、2か国語放送の場合は主/副音声の切替選択出力が行なわれる。

アナログ放送での二重音声放送(副音声付放送、2か国語放送、解説放送)の場合、ステレオ放送と二重音声放送を区別するための識別信号は、副音声搬送波に多重させていて(音声帯域外の高い周波数帯域に識別のための信号を含ませている)、受像機側がこれを検出することで可聴音声(人間が聞いて認識できる音声)への出力を切替制御[注 7]している。

デジタル放送では放送波のデジタル信号としてのID部分に音声方式(二重音声放送、マルチ音声放送[注 8]、5.1chサラウンドステレオ放送など)の識別のための制御情報が載っていて、これを利用して同様の切替制御を行なっている[注 9][注 10]

過去には副音声を使い、音響カプラ用音声やパソコンのデータレコーダ用の音声を流すなど、様々な試みもされている。また、1990年代にステレオ放送を実施する番組が急激に増え始めたのは、ビデオデッキCMカット機能対策だといわれている。ちなみにテレビ大阪制作の番組は主にアニメ番組がステレオ放送だったが、2004年4月以降すべてステレオ放送に切り替えた[注 11]

地上デジタル放送BSデジタル放送CSデジタル放送の各民放局ではモノラル二重音声・5.1サラウンドを実施しない限りモノラル放送の番組をステレオ信号に乗せて放送されている(モノステレオ放送)。

日本の地上デジタル放送・BSデジタル放送・CSデジタル放送の場合は、放送規格にISDBを用いており[注 12]、規格上では1放送チャンネルにつき8音声まで多重化することが可能である(但し、1放送チャンネル当たりの合計帯域数の制限も受けるので、必ず8多重が可能になるわけではない)。これを利用して複数音声によるステレオ放送や、5.1ch放送などを実現することが可能である。

NHKでは、高齢者向けに、BGM効果音を通常よりも小さくして、ナレーションなどの声を聞きやすくした音声サービスが実施されている。なお、従来の二重音声放送の場合は、一度切り替えた音声設定は、再度変更するまでは、チャンネルが変わっても電源の入/切を繰り返しても変らないものが殆んどだが[注 13]、デジタル放送で新たに取り入れられた多重音声(マルチ音声)の場合は、チャンネルや番組が変わると、第一音声に戻る仕様のものが多い。なお、デジタル放送での2チャンネルステレオ放送の場合、音声コーデックには「MPEG2 AAC-LC」を用いているが、音声データの符号化ではアナログ放送での場合と同様に和差方式による信号情報が載せられており、再生時にはそれらの情報から左右音の分離を行っている。


整備状況 編集

音声多重放送を実施するにあたっては、マスター、送信機、ネット回線等の放送機器を、音声多重仕様にしなければできない。
地上波の場合、アナログ放送時代は、同放送開始前は音声はモノラル仕様であったため、既存局での実施は、その為に設備の変更をしなければいけない反面、新規に開局する場合は、最初から音声多重仕様の設備を導入することで実施できる。又、全国ネット番組を始め局をまたいで同時ネットする際には、ネット回線の整備も音声多重仕様にしなければならない。その為、アナログ放送での開始は、地域的にばらつきが出ざるを得なかった。
その反面、地上デジタルテレビの場合は、規格的に最初から音声多重仕様になっており、又、同時ネット回線も、光ファイバー線によるデジタル回線を使用しており、送り・受け手共に当初の段階から対応している為、地域的にばらつきは出ない。

又、衛星放送は、NHKと民放のBS・CS各局共に、アナログ・デジタル放送に関わらず、衛星1つで日本全国をカバーしており、放送設備の方も元々対応しているため、どの地域にいても受信は可能であるので、地域差は生じることはない。

地上アナログテレビ 編集

最終的に、地上アナログテレビての音声多重放送は、放送大学[注 14]を除くNHK・民放局共に実施された。 しかし前述の通り、様々な整備の関係上、実施には地域的にばらつきが出ざるを得なかった。その原因の1つに、テレビの同時ネット回線の整備等の状況もあったので、それも併せて記述する。

同時ネット回線について 編集

1978年の開始当時、テレビのそれは当時の電電公社(当時、現・NTT)のテレビ中継回線で行っていた。NHKの東京と大阪の総合テレビでは、1970年に大阪での日本万国博覧会の開催に備え、1969年12月21日の実験放送開始時から、東京・大阪間は既に2か国語については、NHKのそれ用の回線が整備され、1978年には、読売テレビ、毎日放送テレビが、キー局からの2か国語同時ネットについて整備をした。しかし、ステレオ放送のそれは整備されていなかった。

その後、翌年(1979年)の8月8日に先ず、東名阪及び北陸(金沢)回りに於いてステレオにも対応した音声多重放送回線が正式開通し[13]、更に同年12月20日には、全国でテレビ回線の音声多重化の整備を完了した[14]

しかしこれにも関わらず、北海道の札幌以外の地区では、民放各局で、コストが高くなる等の理由で、最後までアナログ方式の音声多重放送は一貫して行われなかった。これについては、民放の項を参照のこと。

NHK 編集

総合テレビは、1978年10月1日の東京・大阪の各局を皮切りに、1979年8月8日の名古屋での開始を含め、先ず、東名阪のサービスエリア(関東、近畿、東海)での実施を優先した為、それ以外の地域は、1981年8月8日に各地域の拠点局(札幌、仙台、広島、福岡、松山)に導入された以外は、1983年6月から導入が始まり、1986年8月8日に全国整備が完了した。

教育テレビは、総合テレビでの開始から12年遅れて、先ず1990年10月1日に東京・大阪・名古屋の各局で開始され、同年12月1日から四国地域(松山、高松、徳島、高知)で開始、そして1991年3月21日に残りの地域で開始され、全国整備が完了した。

民放 編集

先ず、新規に開局の場合、1979年7月1日に開局した静岡第一テレビ以来全て、開局時と同時に開始をしている。

既存局の場合、先ず、東京・大阪のキー局及び準キー局は、最初の日本テレビの1978年9月28日の開始から最後の朝日放送テレビの1979年3月21日のそれまで、約半年の間で、全ての放送局が開始をした。

しかし、地方局では、そのテレビ局の地域や系列等によって、開始時期に差がつくこととなった。

先ず系列的には、日本テレビ系列局の多くで早めに導入され、その地域初の実施を成し遂げている局もあった反面、テレビ朝日系列はフルネットの地方局は導入が遅れ、新規にそれで開局した局よりも実施が遅れるケースが出た。

地域的には、早く導入する地域とそうでない地域の差が明確に出た。早い地域では、NHKよりも民放の方が先に導入開始する例が多く、中には、その地域の民放が全局一斉に開始するケースも含め、NHKが開始する以前にその地域の民放局全部が開始していたケースも多かった。その反面、そうでない地域は、NHK総合テレビの開始後に民放が初めて開始し、中には、平成時代に入ったどころか、NHK教育テレビが全国整備を終えた後に、漸く開始した地域もあった。最終的に、キー局の系列に属する既存民放は、1992年11月27日日本海テレビ(山陰地区 日本テレビ系列)で開始したのを最後に、全局整備を完了することになった。

また、系列を持たない独立民放テレビ局は全体的に更に導入が遅れ、KBS京都テレビ神奈川以外は全て平成時代に入ってから漸く音声多重放送を開始し、2001年4月1日テレビ埼玉を最後に、全民放の音声多重放送の整備が完了した。

但し、北海道の一部地域(旭川・函館・帯広・北見・釧路各地区全域、及び室蘭地区のうち苫小牧市及び勇払郡の大半を除いた地域)では、民放各局でアナログ方式の音声多重放送は一貫して行われなかった。理由としては、放送回線(NTT中継回線)の設備(アナログ方式=全国回線は2006年6月4日深夜にデジタル回線に変更)や回線使用料(全国回線と比べ放送区域が広大で、かつ設備の維持経費も高い北海道内での回線は倍以上の料金がかかっている。実施するにはステレオ用の放送機を設置するとともに、NTT中継回線の音声回線もステレオ用に確保する必要があるが、多額の投資がかさむ等)の都合、さらには冬季における中継施設の維持(施設へ至る道路の除雪やアンテナの雪対策等)にコストがかかるといった問題が挙げられる。その後も各放送事業者で道内全域で実施できるよう検討していたが、前述の設備投資や回線費用が多額であることは避けられず、その上で2007年10月1日以降、道内各地で地上デジタル放送が開始されたこともあって結局は33年弱の間、民放各局では1度も実施するに至らないまま2011年7月24日のアナログ放送終了を迎えた。

しかしその後、全国的な地上デジタル放送の進展で、北海道で前述に挙げた地域でも2007年9月の地上デジタル試験放送(映像・音声信号を付加した)開始から音声多重放送が受信できるようになった。これは、放送回線のデジタル化移行(その際、民放各局の道内中継回線は従来のNTTのマイクロ回線に代わって北海道総合通信網所有の光ファイバー回線が使用されている)による回線使用料などの大幅なコスト削減と、同年10月1日以降、地上デジタル放送の基幹送信所・中継局が順次開設されるようになったためである。いずれにしても札幌地区を含めた他の全国地域よりも相当遅い民放各局の音声多重放送の開始となった。2010年12月末にはほぼ道内全域の世帯でNHK・民放各局ともに地上デジタル放送での音声多重放送が受信できるようになった。

一方、NHK(総合・教育)については開始当初はアナログ回線使用料は高額であったものの事前に予算を組んでいたことや、2004年にNTT中継回線は全国回線・道内回線ともにデジタル回線に移行され、回線使用料はアナログ回線に比べ安くなっているため北海道内全域でもアナログ・デジタルとも実施されていて受信可能となっている。

放送開始の歴史(実用化試験放送以降) 編集

*は新規開局によるもの

日本のラジオ放送 編集

FMラジオではAM-FM方式、AMラジオでは両立性直交振幅変調方式によりステレオ音声が送信される。このときも、主搬送波では左右の混合音声が送られるので、ステレオ非対応の受信機でもモノラル音声の受信は可能となる。

また、FM放送開始以前には、AMラジオ放送の2波を同時に使うことで(NHKのラジオ第1・第2放送、文化放送・ニッポン放送共同など)ステレオ放送が行われたこともある。

BSアナログ放送では、WOWOWが使用していたBSアナログ5chで独立音声放送「セント・ギガ」(→CLUB COSMO→WINJ)が、PCM方式の音声で放送が行われていた。

各国のテレビ音声多重放送方式 編集

以下に各方式の名称と使用国を記す。なお、テレビの音声多重方式において、各方式の間に互換性は無い。

  • MTS (テレビ方式)英語版(Multichannel Television Sound):アメリカ、カナダ、メキシコ、台湾(以上、NTSC使用国)、ブラジル、アルゼンチン(以上、PAL使用国)などで使用。
  • NICAM(Nearly Instantaneous Compandable Audio Matrix):イギリス、デンマーク、スウェーデン、ポルトガル、香港、南アフリカ、ニュージーランド(以上、PAL)、フランス(SECAM)で使用。
  • A2ステレオ:ドイツ、オーストリア、スイス、オランダ(以上、PAL)、韓国(NTSC)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 各々の放送に於いての音声テストテープを流して、実験を実施。映像は、テストパターンカラーバーを使用。
  2. ^ 当時は東京12チャンネル(現・テレビ東京・テレ東)は独立局だった。
  3. ^ モノラル音声にしか対応していないの受信機(テレビやFMラジオ)では、2つの音声チャンネルのうち主音声用チャンネルの音声信号(左チャンネル音声と右チャンネル音声の混合信号)のみが可聴音声に復元される。
  4. ^ ステレオ放送と二重音声放送(2か国語放送や解説放送などの副音声付放送)は、同じ信号方式を利用して送信され、受信機側の識別情報を自動的に判別する機能により、それぞれの放送に応じた人間が聞くことのできる音声に復元している。したがって、ほとんどの受信機ではステレオ放送と二重音声放送への対応は同じことを表す場合が多い。
  5. ^ アナログ放送における音声多重放送対応型受信機でのステレオ音声の分離原理は、左(L)チャンネル用は主音声信号と副音声信号の和((L+R)+(L-R)=2L)、右(R)チャンネル用は主音声信号と副音声信号の差((L+R)-(L-R)=2R)として生成出力される。
  6. ^ ステレオ音声の左右いずれか片方の音声のみを出力する機能はあくまで受信機・装置の仕様に拠るもので、ステレオ音声は固定的に2chステレオとしてしか聴けないものもある。
  7. ^ ステレオ放送の場合は、主音声信号と副音声信号の2つから左チャンネル用音声と右チャンネル信号を復元分離する。二重音声信号の場合は、そのまま主音声信号は主音声、副音声信号は副音声として復元する。
  8. ^ アナログ放送では音声多重放送は、2つの音声チャンネルしか使用できない規格であったことから、2チャンネルステレオ放送、二重音声放送のどちらかであることを意味していたが、デジタル放送では音声チャンネルの多重化(最大8チャンネル)が許容されているため、アナログ放送での2チャンネルステレオやモノラル音声の組み合わせによる二重音声の他に、2チャンネルステレオで3か国語以上の同時放送や、5.1チャンネルサラウンドステレオ放送が可能になった。なお、マルチ音声信号(マルチ音声放送)による音声信号選択が2つのみであってもそれは、従来技術の二重音声とは区別される。例えば2チャンネルステレオでの2か国語放送(デュアルステレオ放送などと呼ばれることもある)のみの場合でも、通常は二重音声放送とは呼ばず、あくまでマルチ音声放送として区別され、操作上も殆どの受信機ではマルチ信号切り替え(操作上は「音声信号」「音声」「信号」「マルチ音声」「マルチ信号」など機種によって異なる)になっている。放送規格の仕様上では、マルチ音声放送の一信号として、従来のモノラル音声の組み合わせによる二重音声を組み込むことも可能(例えば二重音声と5.1チャンネルサラウンドとの組み合わせなど)であるが、実際に両方式を組み合わせて放送が行われることは殆どない。
  9. ^ デジタル放送が登場した当初は、多重音声の方式の違い(二重音声/マルチ音声)への考慮として、多くのデジタルテレビ放送受信機のリモコン装置での「二重音声および2チャンネルステレオのLR切り替え」と「マルチ音声の信号切り替え」の切替は操作ボタンを分けていたが、地上波アナログテレビ放送の終了する過渡期以降は、両方式の切替ボタンを統合した操作形態の方が主流になった。
  10. ^ テレビ(モニタ装置)にAV機器(DVDBDHDDなどのデジタルビデオレコーダーおよびプレーヤー、単体チューナーなど)を接続し、それらの機器からの音声出力をデジタルにした場合、出力設定をPCMBitstreamかを選択するタイプのものが多いが、Bitstreamを選んだ場合は、レコーダー/プレーヤー側の操作では音声切替が出来なくなる(但し、画面に表示される動作状態では切り替わっている旨の表示がなされる)動作をする。使用上の支障がある場合は、必要に応じてデジタル音声の出力設定をPCMに変更するか、接続形態をアナログ接続(コンポジット端子接続/S端子+アナログ音声接続/コンポーネント端子接続/D端子接続など)に変更する。
  11. ^ しかし、地上デジタル放送では常時ステレオ信号なのでモノステレオ音源で放送されていた。
  12. ^ 日本での一般個人向けのCSデジタル放送には、東経110度にある通信衛星によるCS放送と東経128度/東経124度にある通信衛星によるCS放送の2種類に大別(詳細は衛星放送の記事を参照)され、前者はISDB、後者はDVB方式で行われている。
  13. ^ 初期設定メニューなどに二重音声の設定がある機器の場合、電源再投入時の動作はその設定に従う仕様のものもある。
  14. ^ 尚、スカパー!での放送を含むデジタルテレビ放送では、放送開始15分前のテストパターンと放送終了前のイメージソング・大学学歌のみステレオ放送を実施している。
  15. ^ 同放送の初の番組は、同日23時50分からの映画『冬のライオン』の2か国語放送だった。
  16. ^ 開局前に、同年6月24日からのサービス放送開始と同時に、音声多重も同放送扱いとして開始している。
  17. ^ 中京テレビのみ、事前にサービス放送を、同年6月15日から開始している。
  18. ^ 事前にサービス放送を両局共に、同年6月21日から開始している。
  19. ^ 開局前に、同年9月24日からのサービス放送開始と同時に、音声多重も同放送扱いとして開始している。
  20. ^ 開局前に、同年3月25日からのサービス放送開始と同時に、音声多重も同放送扱いとして開始している。
  21. ^ 開局前に、同年9月15日からサービス放送を開始しているが、音声多重のサービス放送は行わず、開局日に同放送を開始している。
  22. ^ 開局前に、同年3月27日からのサービス放送開始と同時に、音声多重も同放送扱いとして開始している。
  23. ^ a b c 奄美地域は、当初含まれず、未実施だった。
  24. ^ 開局前に、同年9月23日からのサービス放送開始と同時に、音声多重も同放送扱いとして開始している。
  25. ^ 開局前に、同年9月25日からのサービス放送開始と同時に、音声多重も同放送扱いとして開始している。
  26. ^ ただし胆振支庁管内の苫小牧市勇払郡も含む。
  27. ^ 当初はステレオのみで、二か国語を始めとする二重音声も対応となったのは、1988年8月のことである。
    朝日新聞縮刷版 1988年8月 264ページ(1988年8月7日新聞紙面 10ページ(8月7日テレビ欄))
  28. ^ 開局前に、同年9月20日からの試験放送開始と同時に、音声多重も同放送扱いとして開始している。

出典 編集

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  3. ^ a b 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'70』日本放送出版協会、1970年、5頁。 
  4. ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル「劇映画 『ぼくはついてる』」 1969年12月21日放送
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  7. ^ NHKクロニクル「NHKコンサートホール」1970年8月23日
  8. ^ NHKクロニクル「NHKコンサートホール」1971年9月12日
  9. ^ NHKクロニクル「NHKイタリア歌劇公演 歌劇『リゴレット』(ヴェルディ作曲) 1971年9月11日
  10. ^ NHKクロニクル「NHKイタリア歌劇公演 歌劇『椿姫』(ヴェルディ作曲) 1973年9月23日
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関連項目 編集