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頃襄王(けいじょうおう、? - 紀元前263年、在位:紀元前299年 - 紀元前263年)は、中国戦国時代の王。懐王の子。

頃襄王
王朝
在位期間 前299年 - 前263年
都城
姓・諱 熊横
諡号 頃襄王
没年 紀元前263年
懐王
后妃 秦女
荘姪

生涯編集

父によって、太子に立てられた。紀元前303年に楚がの攻撃を受けると、懐王はに救援を求めるため人質として太子横を秦に送った。紀元前302年、太子横は秦の大夫と騒動を起こし、これを殺して楚に逃げ帰った。紀元前299年、秦が楚を攻撃して8つの城を落とすと、太子横は人質として斉に送られた。父の懐王が秦に抑留されたため、太子横は帰国して即位した。

秦の攻勢は続き、大国だった楚は懐王の時代から衰勢になっていたため、即位直後の紀元前298年に秦の攻撃を受けて16の城を失った。このため紀元前292年に秦の昭襄王と講和した。紀元前285年に宛で昭襄王と会見し、同盟を結んだ。紀元前284年に秦の主導で韓・魏・など5ヶ国と連合してに攻め入り、斉軍に大勝して淮北を獲得した。

だが紀元前280年から秦の白起に攻められ、2年後には遂に都のを落とされてに遷都した。紀元前273年に韓・魏・趙と連合してを攻めて大勝するも、秦との戦いは常に劣勢にあり太子の熊完(のちの考烈王)を人質に差し出して和睦した。

紀元前263年に死去した。死後、王位は人質として秦にあった熊完が春申君の助力を受けて即位した。

子女編集

脚注編集

  1. ^ 史記』楚世家では、考烈王の庶子。『列女伝』弁通伝では頃襄王の公子とする。
  2. ^ 李開元の『末代楚王史跡鉤沈』

参考文献編集

  • 史記』楚世家、春申君列伝
先代:
懐王
紀元前298年 - 紀元前263年
次代:
考烈王