項 燕(こう えん、Xiàng Yàn、? - 紀元前223年)は、古代中国の戦国時代末期の大将軍。下相(現在の江蘇省宿遷市宿城区)の人。

西楚の覇王項羽とそのいとこ項荘の祖父にして、項梁項伯の父。の武将李信を大破したが、まもなく後の秦が楚を滅ぼした戦争の中、兵は敗れ、戦死または自決した。

生涯編集

史記』項羽本紀の記載によると、項氏は代々楚の武将として働き、項という邑に封ぜられた。これが項姓の祖先である。

紀元前225年、秦の武将李信が20万の大軍を率いて楚に進攻したが、楚の大将軍項燕はこれを破り、秦軍はほとんど全軍が覆没した。

紀元前224年、秦の武将王翦がまたもや60万の大軍を率いて楚に進攻、王翦は堅守・不出の戦術を悟って採用し、項燕の防備に隙ができるように仕向けた後、項燕の軍を奇襲して楚軍を大破、楚王負芻は俘虜となり、項燕は淮水以南で負芻の異母兄弟である楚の公子昌平君を楚王として擁立して反抗した。

次の年、王翦は楚軍を追撃、昌平君、項燕ともども戦死し、ついに楚は滅亡した(『史記』秦始皇本紀による。『史記』楚世家では項燕の死後に負芻が捕虜となっている)。

脚注編集

関連項目編集