順 みつき(じゅん みつき、1948年3月4日 - 2018年4月17日[1])は、日本女優宝塚歌劇団卒業生(元花組トップスター)。本名、光木 千枝子(みつき ちえこ)[1]。愛称は、ミッキー(芸名もであるが姓から由来)、公称身長162cm、血液型O型。

じゅん みつき
順 みつき
本名 光木 千枝子
みつき ちえこ
生年月日 (1948-03-04) 1948年3月4日
没年月日 (2018-04-17) 2018年4月17日(70歳没)
出生地 日本の旗 兵庫県伊丹市
血液型 O型
職業 女優
ジャンル 舞台
活動期間 1968年 - 2018年
活動内容 1968年宝塚歌劇団入団
1969年雪組に配属
1975年星組に異動
1976年月組に異動
1980年花組トップスター就任
1983年:宝塚歌劇団退団。以降、女優として活躍。
主な作品
宝塚歌劇
ベルサイユのばら
バレンシアの熱い花
風と共に去りぬ
霧深きエルベのほとり
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兵庫県伊丹市出身。神戸塩原女子高等学校出身。

来歴・人物 編集

1966年宝塚音楽学校に入学。54期生

1968年宝塚歌劇団入団。同期生に筑前琵琶奏者の上原まり、振付家の尚すみれ、元月組組長の立ともみらがいる。花組公演『マイ・アイドル[2]』で初舞台を踏む。入団時の成績は59人中11位[2]

1969年7月7日[2]雪組に配属される。

1975年星組に異動。1976年、『ベルサイユのばらIII』でオスカル役を演じる。

同年、月組へ異動。代表作はこの頃の作品が多い。『バレンシアの熱い花』のラモン、『風と共に去りぬ』(1977年月組初演時)のスカーレットなど。

1980年、自身のリサイタル『I LOVE MUSIC』を開催。このリサイタルは、1981年と1982年にも再演された。

同年、花組へ異動。4組時代ではあるが、全組への配属を経験した数少ないスターの一人である。鳳蘭安奈淳といったベルばら4強のトップたちが相次ぎ退団するなど過渡期に差し掛かっていた花組のトップを松あきらと二人でつとめた。

1982年菊田一夫演劇賞受賞。

1983年、『霧深きエルベのほとりオペラ・トロピカル[2]ただ一作だけであったが単独でトップをつとめ、同年8月1日[2]で退団。

退団後は舞台を中心に女優として活動。

2018年4月17日、胃がんのため死去[1]。70歳没。

主な舞台出演 編集

宝塚歌劇団所属時代 編集

雪組時代 編集

星組時代 編集

月組時代 編集

花組時代 編集

宝塚歌劇団退団後 編集

  • 1983年7月、『ミュージカル とべ!アンパンマン-アンパンマンとおむすびまん-』 - アンパンマンの声
  • 1983年12月、『悲劇 アトレウス家の崩壊』(帝国劇場)
  • 1984年10月、『キャバレー』(博品館劇場)
  • 1985年7月、『BABY』(博品館劇場)
  • 1986年3月、『ホワイト・クリスマス』(博品館劇場)
  • 1987年6月、『Love Me Tonight - Isn't it Romantic -』(博品館劇場)
  • 1987年12月、『ホワイト・クリスマス』(博品館劇場)*再演
  • 1991年5月、『父さんが歌ったあの歌を - FENCES -』(博品館劇場)
  • 2001年6月、『屋根の上のバイオリン弾き』(帝国劇場) - ゴールデ

主なテレビ出演 編集

ディスコグラフィー 編集

  • 私の夢よ 順みつきサヨナラ・アルバム 特別限定盤(LP・TMP1032)

その他 宝塚歌劇実況LPなど多数

脚注 編集

  1. ^ a b c 訃報 順みつきさん70歳=宝塚花組元トップスター、女優”. 毎日新聞 (2018年4月19日). 2018年4月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』pp.76-77(阪急コミュニケーションズ2014年4月1日)。ISBN 9784484146010
  3. ^ 1971年8月の東京公演では、タイトルが『ペーターの青春』に変更
  4. ^ 1971年8月の東京公演では、『ノバ・ボサ・ノバ』に演目が変更
  5. ^ 汀夏子と役替わり
  6. ^ 尚すみれと役替わり
  7. ^ 榛名由梨安奈淳汀夏子と役替わり。
  8. ^ 世れんかと役替わり
  9. ^ 松あきらと役替わり
  10. ^ 1981年7月の東京宝塚劇場公演は、ショーが『ファースト・ラブ』に変更。

関連項目 編集

外部リンク 編集