頗梨采女(はりさいじょ、はりさいにょ)は、牛頭天王の后とされる

頗梨采天女
仏像図彙 (1783年)

波利采女波利賽女とも表記。名前の由来は梵語のハリ(水晶の意)に求める説がある。

神仏習合と分離 編集

牛頭天王は祇園精舎守護神ともされる仏教由来の神で、日本では行疫神(疫病を流行らせる神)として畏怖されるとともに神道素戔嗚尊と習合し、明治期神仏分離令まで祇園社(八坂神社)の祭神として祀られ、篤い尊崇を受けた神であるが、頗梨采女はその牛頭天王の后であることから、素戔嗚尊の后である奇稲田姫とも同一視された。

もともと頗梨采女は、祇園社の本殿西御座に祀られていたが、明治以後の八坂神社では、奇稲田姫として東御座に祀られている。

伝承 編集

八大竜王の1で、娑伽羅龍王(しゃがらりゅうおう)の娘であり、また八王子神八将神)の母であるともされている。 『色葉字類抄』の祇園では、牛頭天王の后で娑伽羅竜女といい八王子ら84654神が誕生したとし[1]、『簠簋内伝』では「歳徳頗梨采女也、八将神母也、容顔美麗忍辱慈之躰也」として方位神の歳徳神と同一視される(ただし異論もある)。『祇園牛頭天王縁起[2][3]』では南海の娑伽羅竜宮城に住み、金毘羅女、婦命女の2人の姉がおり、竜王の第3女とされている[4]

脚注・出典 編集

  1. ^ 祇園”. 色葉字類抄 享保8年日野資時の写本. 早稲田大学 古典籍総合データベース. 2011年2月12日閲覧。
  2. ^ 祇園牛頭天王御縁起”. 京都大学附属図書館. 2011年2月12日閲覧。
  3. ^ 祇園牛頭天王御縁起京都大学附属図書館創立百周年記念公開展示会図録
  4. ^ 京都大学付属図書館蔵『牛頭天王御縁起』より

関連項目 編集