飛田遊廓

かつて日本の大阪に存在した遊廓

飛田遊廓(とびたゆうかく)は、日本大阪府大阪市西成区山王3丁目一帯に存在した遊廓赤線大正時代に築かれた日本最大級の遊廓と言われた。現在もちょんの間が存在し、通称飛田新地(とびたしんち)と呼ばれる。

元遊郭だった飛田新地
飛田新地、2010年

概要編集

 
飛田新地(遊廓)紋章

本番行為が行える街である。ソープランドとは異なり、本番行為のみを提供している。1958年の売春防止法施行以後は料亭街『飛田新地料理組合』となっているが、現在も転向以前の雰囲気を残している。大部分の「料亭」は看板は料亭であるが、営業内容は1958年以前と何ら変わりがない。

表向き料亭に転向[1]することにより、料亭内での客と仲居との「自由恋愛」という脱法行為として売春防止法を逃れられたためである。明らかに脱法行為であるが、警察は黙認し続けている。

現在本来の料亭として営業している「鯛よし百番」は、大正中期に妓楼として建てられた建物を使用しており、2000年に国の登録有形文化財となった[2]。2015年9月23日放送の探検バクモン「ニッポン労働ブルース~人情編~」にて町並みが放送された[3]

撮影禁止編集

飛田新地料理組合は、飛田遊廓内は公道であっても撮影禁止としており、遊郭内の至る所に撮影禁止マークを貼っている他、撮影者に対しては客寄せの女性が即座に注意する方針としている。また、客寄せの女性からの注意を無視すれば警察への通報も行う可能性がある。

歴史の長い飛田遊郭が抱える特殊な事情から、警察も店を咎めることはなく遊郭内で撮影を止めるように注意している[4]。公道での撮影を禁止する法律は無いため、この取締に法的な根拠は無いが、遊郭で働く女性の顔が映像として記録されると、家族や友人に見つかるなどして生活上で様々な不都合が生じるために不文律として守られている。

歴史編集

1912年(明治45年)1月16日、難波新地乙部遊廓が全焼するミナミ大火が発生。廃業・移転を迫られた業者たちによって阪南土地建物会社が設立され、阿倍野墓地北西の低地に代替地を求め、1916年(大正5年)に築かれた。規模は、22,600坪。1918年(大正7年)には既に100軒あまりの妓楼が並んでいた。妓楼の数は昭和初期には200軒を超える。花街も戦災を免れた唯一の廓である[5]。戦後にいわゆる赤線となった。

摘発編集

2018年5月、山口組系極心連合会幹部とその内縁の妻が売春防止法違反容疑で逮捕。さらに同年12月には「売春を行う場所」となっていた建物を貸していたとして、スーパー玉出の創業者が組織犯罪処罰法違反(犯罪収益の収受)の容疑で逮捕されている[6]

全店休業編集

2019年(令和元年)6月28日・29日に20カ国・地域首脳会合が大阪市で開かれるのに合わせて飛田新地料理組合に加盟する料亭全店(159店)が休業した[7]

2020年4月1日までにCOVID-19拡大の影響で緊急事態宣言が出れば全店休業することを決定[8]

交通編集

 
今池電停

廃止編集

名所・旧跡編集

  • 母子観音像 - 山王3丁目5

飛田遊廓が登場する作品編集

関連項目編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ 禁断の遊郭「飛田新地」が“外”に開かれた日(5/5ページ)産経ニュースWESTライフ(2012年8月4日)
  2. ^ 文化財建造物の登録について”. 文化庁. 2014年3月25日閲覧。
  3. ^ ただし看板にはボカシが入っていた。
  4. ^ ネット配信者が撮影禁止の飛田新地でツイキャス 警察が駆けつける事態に” (日本語). ライブドアニュース. 2021年11月22日閲覧。
  5. ^ 「大阪春秋」25号 堀内宏昭編 大阪春秋社 昭和55年 p.106。
  6. ^ スーパー玉出の創業者逮捕 暴力団との関係は有名 「業者へ無茶な値引き要求や脅しも…」従業員”. AERA.dot (2018年12月3日). 2018年12月3日閲覧。
  7. ^ G20、大阪の歓楽街「飛田新地」で全店休業”. 産経ニュース (2019年5月16日). 2019年5月16日閲覧。
  8. ^ 京都新聞2020年4月2日朝刊p25

参考文献編集

外部リンク編集

座標: 北緯34度38分39.57秒 東経135度30分19.60秒 / 北緯34.6443250度 東経135.5054444度 / 34.6443250; 135.5054444