飛行教導群

日本の航空自衛隊の仮想敵機部隊

飛行教導群(ひこうきょうどうぐん、英称:Tactical Fighter Training Group)とは航空自衛隊における仮想敵機部隊(いわゆるアグレッサー部隊)のことである。 要撃機パイロットの技量向上などを目的とし、航空自衛隊の戦闘機パイロットの中でも特に傑出した戦闘技量を持つパイロットが配属されている。主に各戦闘機部隊について巡回指導を行っている。

飛行教導群
Tactical Fighter Training Group
JASDF F-15DJ(92-8070) fly over at Komatsu Air Base September 17, 2018 02.jpg
飛行教導群のF-15DJ、92-8070号機(2018年)
創設 1981年(昭和56年)12月17日
所属政体 日本の旗 日本
所属組織 Flag of the Japan Air Self-Defense Force.svg 航空自衛隊
所在地 石川県小松基地
編成地 福岡県築城基地
上級単位 航空総隊航空戦術教導団
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概要編集

要撃機パイロット・要撃管制官の技量向上などを目的として、1981年(昭和56年)12月17日築城基地にて編成された。当初の使用機種は冷戦時の東側諸国の代表的戦闘機であるMiG-21に比較的飛行特性が似ていて、シルエットも小さいT-2が選ばれた。築城基地が選ばれた理由として、当時同基地に所属する第6飛行隊には、同じ機体T-2がベースになっているF-1が配備されており、運用面の負担軽減が考慮されたと言われている。

その後、訓練空域に近く天候も安定している点から、1983年(昭和58年)3月16日宮崎県新田原基地に移動する。 1980年代後半、飛行教導隊所属のT-2高等練習機が機動中に空中分解するなどの重大事故が頻発した。練度の高いパイロットが運用するとはいえ、格闘戦能力に圧倒的に優れるF-15Jなどを相手にしての訓練は、本来T-2の想定外であったため安全対策上も考慮され、空幕は1989年以降使用機種をF-15J/DJに更新することを決定し、1990年(平成2年)12月17日にF-15DJに機種更新した。

F-15への機種更新当初は、安全上の監視態勢の観点から複座型のF-15DJが配備されていたが、2000年(平成12年)以降は単座型のF-15Jも少数機配備されている[1]

2014年(平成26年)、空自教導部隊等を一括指揮する「航空戦術教導団」の新編に伴い、同隷下。隊編成から群編成となり、「飛行教導群」に改称。飛行隊と整備隊の2個隊を改新編し隷下部隊とした。

2016年(平成28年)6月10日、長年ホームにしていた新田原を離れ、小松基地に移駐した。

T-2時代は、視認性を低く抑え、またソ連の戦闘機の塗装や機番の表記特徴を模した塗装になっていたが、F-15に機種更新してからは、一転して空中での識別を容易にするため、また仮想敵の役割(戦闘機か戦闘爆撃機か)によって、様々な塗装を施している[2]

飛行教導群に配属されるのは、操縦技量が高いことは最大の前提条件であるが、原則として希望して配属される部隊ではなく、教導群の隊員が認めたパイロットのみ、一本釣りのような形で打診があると言われている。配属後は、飛行教導群としての訓練を重ねることになるが、操縦技量のさらなる向上だけでなく、格闘戦の組み立て方や、指導する相手側(一般部隊)へのコーチング能力の向上が重視され、非常に理路整然と両者の操縦を判断できる能力を要求されるため、配属間もないパイロットにとっては、非常に大きな壁を感じることもあると言われている。

また、要撃管制班は、武器(バトラー)使用などについて、アグレッサーに指示を行う地上要員であり、パイロットと並んで重要な役割を担う。要撃管制班は各航空方面隊駐屯基地などに編成されている。警戒群の要撃管制官の教導にも携わる。

部隊マークのコブラは、「高い知能を持ち、一撃必殺の毒で敵を仕留め、背後の敵機の警戒も万全である」という意味がこめられている。また、パイロットが身に着けているフライトスーツのドクロのパッチは、「撃墜されたらこうなる運命」との戒めである。

沿革編集

部隊編成編集

特別事項ないものは小松基地駐在

  • 群本部
  • 教導隊
    • 総括班
    • 飛行班
    • 要撃管制班(入間
  • 整備隊
    • 総括班
    • 整備小隊

航空機整備等については第6航空団整備補給群が担当。(新田原駐屯時代は第5航空団整備補給群が担当)

歴代運用機編集

主要幹部編集

官職名 階級 氏名 補職発令日 前職
航空戦術教導団飛行教導群司令 1等空佐 小城毅泰 2022年3月14日 航空幕僚監部運用支援・情報部
運用支援課部隊訓練第1班長
歴代の飛行教導隊司令
(1等空佐)
氏名 在職期間 前職 後職
01 上岡陽 1981年12月17日 - 1983年07月31日 第8航空団勤務 航空救難団副司令
02 眞田泰穗 1983年08月01日 - 1985年03月15日 航空幕僚監部防衛部調査第2課
技術情報班長
統合幕僚会議事務局第1幕僚室勤務
03 増田直之 1985年03月16日 - 1988年03月15日 第5航空団飛行群司令 警戒航空隊司令
04 杉下誠治 1988年03月16日 - 1990年03月15日 第5航空団飛行群司令 北部航空方面隊司令部防衛部長
05 市来徹夫 1990年03月16日 - 1992年03月15日 第8航空団飛行群司令 中部航空方面隊司令部防衛部長
06 三輪泰彦 1992年03月16日 - 1994年07月31日 第7航空団飛行群司令 第83航空隊副司令
07 大久保淳 1994年08月01日 - 1996年07月31日 飛行教導隊勤務 航空総隊司令部防衛部運用課長
08 西井健樹 1996年08月01日 - 1997年11月30日 航空幕僚監部防衛部運用課
特別航空輸送隊運用室長
航空総隊司令部勤務
09 鈴木孝雄 1997年12月01日 - 1999年07月31日 北部航空方面隊司令部防衛部長 第2航空団副司令
10 入澤滋 1999年08月01日 - 2002年07月31日 第1航空団飛行群司令 西部航空方面隊司令部幕僚長
11 辻章嗣 2002年08月01日 - 2003年07月31日 航空自衛隊幹部学校勤務 北部航空方面隊司令部防衛部長
12 神内裕明 2003年08月01日 - 2006年12月05日 北部航空方面隊司令部防衛部
防衛課長
第13飛行教育団副司令
13 尾瀬佐一郎 2006年12月06日 - 2009年03月31日 統合幕僚監部運用部運用第2課
運用調整官
中部航空方面隊司令部防衛部長
14 岩本真一 2009年04月01日 - 2011年11月30日 第2航空団飛行群司令 航空総隊司令部監理監察官
15 廣島美朗 2011年12月01日 - 2013年11月30日 第5航空団飛行群司令 航空安全管理隊航空事故調査部長
芳賀和典 2013年12月01日 - 2014年07月31日 飛行教導隊勤務 航空戦術教導団飛行教導群司令
歴代の航空戦術教導団飛行教導群司令
(1等空佐)
氏名 在職期間 前職 後職
01 芳賀和典 2014年08月01日 - 2015年11月30日 飛行教導隊司令 航空自衛隊幹部学校主任教官
兼 航空自衛隊幹部学校勤務
02 吉田昭則 2015年12月01日 - 2018年03月26日 中部航空方面隊司令部防衛部長 航空戦術教導団副司令
03 鈴木繁直 2018年03月27日 - 2019年08月22日 中部航空方面隊司令部防衛部長 航空幕僚監部人事教育部教育課長
04 増田信行 2019年08月23日 - 2021年06月17日 西部航空方面隊司令部監理監察官 第13飛行教育団副司令
05 田中公司 2021年06月18日 - 2022年01月31日 航空幕僚監部総括副監理監察官 搭乗機墜落により殉職
空将補に特別昇任)[4]
副司令が職務代理[5] 2022年01月31日 - 2022年03月13日
06 小城毅泰 2022年03月14日 - 航空幕僚監部運用支援・情報部
運用支援課部隊訓練第1班長

事故編集

2022年1月31日17時半頃、F-15DJ 32-8083号機は計4機で戦闘訓練に向かう予定で小松基地を離陸後、基地西北西約5km付近の洋上で小松管制隊のレーダーから航跡消失[6][7]。管制官はオレンジ色の発光を確認、無線で呼び掛けたが応答はなく[8]、17時50分以降、航空自衛隊による捜索救難活動開始、19時10分ごろ、小松救難隊UH-60J救難ヘリコプターが浮遊物を発見、19時25分ごろ、浮遊物(航空機の外板等の一部)を回収、20時20分ごろ、浮遊物(救命装備品の一部)を回収、20時40分ごろ、回収した浮遊物を、特徴的なトラ柄のデザインから当該機のものと断定し、墜落と推定された。現場海域を航行する船への被害は確認されておらず[9][7]、群司令田中公司1佐(前席)と植田竜生1尉(後席)が行方不明となっていたが、2月11日、現場海域で遺体の一部が発見され搭乗員の1人であると特定された[10][11]。乗員が脱出した際に発信される救難信号は確認されていない[12][13]。2月13日、もう1人の遺体が発見され、両名共殉職という結果になった[14]。3月12日、田中公司1等空佐と植田竜生1等空尉の葬送式が小松基地で行われた[4]岸信夫防衛大臣や基地関係者らが出席。井筒俊司航空幕僚長は「まさに慟哭(どうこく)の思いだ。二度とこの様な事故が起きないよう、一層の努力を誓う」と弔辞を述べ、熟練パイロットの死を惜しんだ[4]。空自は事故当日の1月31日付で田中1佐を空将補に、植田1尉を3等空佐へ特別昇任とした[4]

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d イカロス出版 Jwing No.194 2014年10月号 36頁-41頁 「特集 空自創設60周年記念シリーズ企画第3弾!! 日本を守る主力戦闘機 やっぱり、F-15 航空自衛隊F-15部隊ガイド」松崎豊一
  2. ^ “コブラマークのF15は空中戦教習用 新田原基地で激写”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2008年9月15日). オリジナルの2008年9月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080922165655/http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080915/trd0809151024005-n1.htm 
  3. ^ 防衛省組織令の一部を改正する政令(平成二十六年七月二十四日公布政令第二百六十三号)
  4. ^ a b c d “F15墜落、搭乗員2人追悼 小松基地で葬送式―空自”. 時事ドットコム. (2022年3月12日). オリジナルの2022年3月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/save/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022031200528 2022年3月13日閲覧。 
  5. ^ 指揮代理に関する訓令(平成12年防衛庁訓令第80号)防衛省情報検索サービス
  6. ^ 小松基地所属F-15戦闘機の航跡消失について 令和4年1月31日 航空幕僚監部 (PDF)
  7. ^ a b “F15墜落、乗員捜索続く 防衛相「地元に説明尽くす」 空自事故調委が現地入り”. 北國新聞. (2022年2月1日). https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/648556 2022年2月11日閲覧。 
  8. ^ “〈写真特集〉不明のF15戦闘機、乗員2人の捜索続く”. 北國新聞. (2022年2月3日). https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/650700 2022年2月6日閲覧。 
  9. ^ 小松基地所属F-15戦闘機の航跡消失について(第2報) 令和4年1月31日 航空幕僚監部 (PDF)
  10. ^ “発見遺体、乗員1人と特定 F15墜落、氏名公表せず”. 産経新聞. (2022年2月13日). https://www.sankei.com/article/20220213-5F4HHNCBLRLTPJDJIVNZU7VDAY/ 2022年2月13日閲覧。 
  11. ^ 小松基地所属F-15戦闘機の航跡消失について(第3報) 令和4年2月1日 航空幕僚監部 (PDF)
  12. ^ “小松のF15墜落 2人不明、機体一部発見 基地沖5キロ、離陸直後”. 北國新聞. (2022年2月1日). https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/648297 2022年2月6日閲覧。 
  13. ^ “10秒の火柱、海面に煙 小松のF15墜落 加賀で目撃「ミサイルか」 基地緊迫、捜索続く”. 北國新聞. (2022年2月1日). https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/648301 2022年2月11日閲覧。 
  14. ^ “乗員2人の遺体を発見 F15墜落”. 産経新聞. (2022年2月14日). https://www.sankei.com/article/20220214-ZT7OKDVMFBMQJAVOQVOHRQD764/ 2022年2月14日閲覧。 

関連項目編集

外部リンク編集