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飯田 元親(いいだ もとちか)は、戦国時代武将毛利氏の家臣。通称は四郎次郎。児玉元良児玉就忠の子である児玉元良とは別人)の次男。弟に元重。子に元裕毛利十八将の一人に数えられる。

 
飯田元親
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文4年(1535年
別名 通称:四郎次郎
戒名 徳巌
主君 毛利興元幸松丸元就
氏族 清和源氏頼信流飯田氏
父母 父:児玉元良 母:波根泰次の娘
養父:飯田広親
兄弟 元親元重
元祐
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出自編集

元親の飯田氏は、信濃国飯田荘を領した飯田義基を祖とし、義基の曾孫・飯田師貞の代に毛利時親に従って安芸国に下向したと伝えられ、安芸国吉田荘の内の山手、中馬、石浦の代官を務めた。なお、同じく毛利氏家臣で毛利水軍を率いた飯田義武の飯田氏(源頼信の子孫・飯田信基を祖とする)とは別系とされる。

生涯編集

元親は児玉元良の次男として生まれたが、飯田広親の養子となって飯田氏を相続する。

永正13年(1516年)、大内義興の命を受けた毛利興元に従い、武田元繁山県郡有田城攻めで軍功を挙げる。

大永3年(1523年)、毛利元就の家督相続の際に、15人の宿老の一人として連署状に署名した[1]

天文4年(1535年)に死去。嫡男の元祐は幼少であったため、家督は弟の元重が継いだ。

脚注編集

  1. ^ この時連署状に署名した15名の宿老は、署名順に福原広俊中村元明坂広秀渡辺勝粟屋元秀赤川元助(元保)井上就在井上元盛赤川就秀飯田元親井上元貞井上元吉井上元兼桂元澄志道広良

参考文献編集