飯田章
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飯田 章(いいだ あきら、1969年12月18日 - )は、日本のレーシングドライバー。愛称は「アキラ」。
飯田 章 | |
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基本情報 | |
生年月日 | 1969年12月8日(53歳)[1] |
出身地 |
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親族 | 飯田裕子(姉) |
経歴
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- 相模原市立鳥屋小学校に入学後、相模原市立鳥屋中学校に進学[要出典]。神奈川県立城山高等学校普通科に入学し[2]、日本大学農獣医学部卒業[3]。1989年、富士フレッシュマンレースに、モータージャーナリストであった姉の代役として19歳でレースデビュー。AE86型カローラレビンに乗り、初戦において3位で入着する結果となった。
日産時代
- 1991年、日産ワークスドライバーの検定に合格し、同年よりN1耐久シリーズにニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(NISMO)に所属し参戦。
- 1993年、この年がグループA規定最終年となった全日本ツーリングカー選手権(JTC)にNISMOから参戦し、N1耐久シリーズのクラス2には土屋圭市・大井貴之と共にコカコーラ プレリュードで参戦。
- 1994年、ニューツーリングカー規定となった全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にザナヴィ サニーで参戦。また、同年より本格的に開催された全日本GT選手権(JGTC)に、山田英二とのコンビでジョンソン スカイラインに乗り参戦。さらには、全日本F3000選手権にも終盤2戦に参戦した[要出典]。
- 1995年、チーム・ノバから全日本F3000選手権にフル参戦し、また鈴木利男とのコンビで第2戦まではJOMO R33、第3戦以降は再びジョンソン スカイラインで参戦。
ホンダ時代 / 国際F3000選手権
飯田がホンダと関わるきっかけとなったのは、日産ワークス時代であった1994年から1996年までの3年間に渡って行われた、高橋国光、土屋圭市と組んでチーム国光のHONDA NSX GT2を駆ってのル・マン24時間レースへの参戦である。このうち1995年にはGT2クラス優勝の成績を残した。
- 1996年、国際F3000選手権にフル参戦し、ヨーロッパでの活動が中心となった。この年、ホンダは「リサーチカー」として知られるRC-F1プロジェクトをベースに独自チームでのF1参戦構想があり、そのドライバーとして飯田が起用され欧州に派遣された。しかしこのF1参戦計画は表面化することなく消滅し、飯田も1年で帰国となった。国際F3000での最高成績は第2戦ポーでの8位[4]。
- 1997年、日本に拠点を戻し、この年から土屋圭市と入れ替わる形でJGTCでもチーム国光へ加入。高橋国光とRAYBRIG NSXで参戦した。この年のNSXは前年に走らせていたLM-GT2車両を改造したものでは無く、ホンダがJGTCに本格参戦するに当たって新たに開発したワークスマシンであり、第6戦菅生ラウンドでポールポジションを獲得した。1998年第6戦MINEラウンドで初優勝を飾っている。JTCCにも復帰し、HKSからオペル・ベクトラで参戦。1997年から1999年にはフォーミュラ・ニッポン にフル参戦した。
- 1999年、現役引退した高橋国光の最後のチームメイトとして、第2戦富士スピードウェイでコンビ最後の勝利を挙げた。
- 2000年、アメリカ帰りの服部尚貴、2001年は新進気鋭の伊藤大輔とコンビを組んだが、未勝利に終わった。
トヨタ・レクサス時代~現在
- 2002年、トヨタのワークスチームである チーム・ルマンに移籍し、脇阪寿一とコンビを組み、エッソウルトラフロースープラのハンドルを取り移籍初年度にドライバーズチャンピオンに輝いた。その後も毎年優勝争いに加わり、名実ともに全日本GT選手権/SUPER GTのトップコンテンダーの一人となった。
- 2005年、鈴鹿1000kmレースでは「焼きたて!!ジャぱんADVANポルシェ」でハンドルを取り、クラス優勝(総合8位)を果たしている。
- 2006年、脇阪寿一がトヨタ内のトムスへの移籍に伴い、飯田はチーム・ルマンのエースドライバーになり、片岡龍也とコンビを組む。開幕2戦は不調だったが、第3戦富士スピードウェイではレース終盤、昨年のチームメイトの脇阪寿一に競り勝ち、2位表彰台に立つ。一方で、この年の成績は不振となり、シリーズ12位に終わった。
- 2007年、GT300クラスで坂東正明が率いるRACING PROJECT BANDOHへ移籍、型落ちとなっていたセリカのハンドルを取ることになった。なお、特認が認められた第5戦菅生ラウンドにおいて優勝を果たし、セリカ最後の優勝を飾った。この年限りでドライバーとしての一線を退き、翌2008年は、SUPER GTのGT500クラスに参戦しているTOYOTA TEAM SARDの監督に就任し指揮を執ることとなった。しかし、チーム・ルマンのドライバー伊藤大輔の負傷により、同チームにて第5戦〜第7戦で2年ぶりにGT500クラスに復帰した。しかし、復帰は一時的な物であったため、この年の最終戦で伊藤の復帰に伴い、GTドライバーからは再び退く運びとなった。
- 2008年-2010年
- トヨタがレクサスブランドで開発したスポーツカー。レクサス・LFAの開発ドライバーの一人でもあり、2008年以降LFAでニュルブルクリンク24時間レースにも参戦、2010年にはクラス優勝を飾った。飯田のテストドライバーとしての腕は成瀬弘も高く評価し、成瀬の教えていた訓練生たちに「レーシングドライバーにはな、こういう奴もいるんだぞ」と言った(当時のトヨタ内部では、レーシングドライバーには量産車のことは分からないという偏見があった)[5]。
- 2011年、全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)の審査員に就任する。8月31日にニュルブルクリンク北コーステストで実施された『LFA ニュルブルクリンク パッケージ』の確認走行で、7分14秒64のラップタイムを記録。日産GT-Rの7分24秒22、シボレー・コルベットの7分19秒63、ポルシェ911 GT2RSの7分18秒らを抑え、量産メーカーの市販車としては世界最速となるタイムを記録した。
- 2012年、SUPER GTのGT500クラスに参戦する「KeePer Kraft SC430」のチーム監督を務める傍ら、マカオグランプリのGTカップにマクラーレン・MP4-12Cで参戦し4位入賞を果たしている。
- 2014年、GT300クラスの新規チームであるLM corsaチームのドライバーとして6年ぶりにGTへと復帰。BMW・Z4のハンドルを取り早速1勝を挙げた。
- 2015年-2017年
- 2019年の1月、国際自動車連盟(FIA)が新たに「ドリフト委員会(Drifting Committee)」を設立したことに伴い、その初代委員長に就任[6]。同委員会では2020年3月に、ドリフト走行用車両の統一規格として「DC1」車両規定を採択している[7]。
レース戦績
- 1989年 - 富士フレッシュマンレース・ファミリアクラス(#10 カフェトレド246ファミリア)
- 1990年 - 富士フレッシュマンレース・AE86クラス(#2 トレド246COMTEXレビン)
- 1991年
- N1耐久シリーズ・クラス1<スポット参戦>(#9 LINEA SPORT TOMEI スカイラインGT-R/BNR32)
- 富士フレッシュマンレース・シルビアクラス(#84 TM SPORTS シルビア)
- 富士フレッシュマンレース・AE86クラス<Rd.1のみ>(#2 トレド246COMTEXレビン)(決勝2位)
- SCCN筑波モータースポーツフェスティバル・ザウルスレース(#84 アートビューティーザウルス)(決勝DNF)
- SCCN筑波モータースポーツフェスティバル・シルビアレース(#84 TM SPORTS シルビア)(決勝6位)
- 1992年
- フォーミュラ・トヨタシリーズ(#18 ART BEAUTY・FT)
- N1耐久シリーズ・クラス1(#3 Castrol RB GT-R/スカイラインGT-R BNR32)(シリーズ3位・2勝)
- 92'チェッカーグレート30レース(#6 ユーノスロードスター)(決勝8位)
- 1993年
- 全日本ツーリングカー選手権・DIVISSION1(日鉱共石SKYLINE GP-1プラス/スカイラインGT-R BNR32)(シリーズ4位・1勝)
- N1耐久シリーズ・クラス2(#7 コカコーラ プレリュード)(シリーズ3位・1勝)
- '93 IMSA GT チャレンジ・シルビアレース(#83 シルビア)(優勝)
- 1994年
- 全日本F3000選手権<Rd.9&10スポット参戦>(NOVA with AFP[8] #55 JACCS LOLA T94/ローラT94-50・MF308)
- 全日本GT選手権・GT1クラス(Johnson NISMO #10 ジョンソンスカイライン/スカイラインGT-R BNR32)(シリーズ13位)
- 全日本ツーリングカー選手権<rd 11="11" 18="18">(NISMO #31 ザナヴィ・サニー/B14)(シリーズ15位)
- ル・マン24時間レース・GT2クラス(総合18位)
- JAFトロフィー インターナショナル ポッカ1000km耐久レース・GT2クラス(Team KUNIMITSU #100 ADVAN NSX)(総合2位・クラス優勝)
- 1995年
- 全日本F3000選手権<Rd.3欠場>(SHIONOGI TEAM NOVA #10 SHIONOGI LOLA/ローラT95-50 MF308)
- 全日本GT選手権・クラス1(#55 JOMO R33/スカイラインGT-R BNR33)(シリーズ9位)
- 全日本ツーリングカー選手権(#31 ザナヴィ・サニー/B14)(1勝・シリーズ6位)
- N1耐久シリーズ<スポット参戦Rd.1> #10 ロックタイトGT-R/スカイラインGT-R BNCR33)
- ル・マン24時間レース・GT2クラス(総合8位・クラス優勝)
- NICOS CUP 第2回十勝24時間レース(Team KUNIMITSU #100 HONDA NSX)(総合優勝)
- POKKAインターナショナル1000km耐久レース(Team KUNIMITSU #100 HONDA NSX)(総合5位・クラス優勝)
- 1996年
- 国際F3000選手権
- ル・マン24時間レース・GT2クラス(Team KUNIMITSU #100 RAYBRIG NSX)(クラス3位)
- 1997年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(NOVAエンジニアリング #10 SHIONOGI NOVA/ローラT97-51 MF308(シリーズ10位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.1欠場>(Team国光with MOONCRAFT #100 RAYBRIG NSX)(シリーズ9位)
- 全日本ツーリングカー選手権(#87 HKSオペルベクトラ)(シリーズ8位)
- 1998年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.3&5~10>(CERUMO #12 COSMO OIL CERUMO/ローラT96-52 MF308)(シリーズ13位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(Team国光with MOONCRAFT #100 RAYBRIG NSX)(シリーズ10位・1勝)
- '98 FIA Grand Touring Championship Round6 SUZUKA 1000km(Team国光with MOONCRAFT #100 RAYBRIG NSX)(決勝DNF)
- 第5回十勝24時間レース(#4 TK INTEGRA TYPE-R/DC5)(決勝DNF)
- 1999年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(CERUMO #12 COSMO OIL CERUMO/レイナード99L MF308)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(Team国光with MOONCRAFT #100 RAYBRIG NSX)(シリーズ11位・1勝)
- スーパー耐久シリーズ・GroupN Plusクラス<スポット参戦・TI>(#25 ADVAN ALTEZZA/SXE10)(総合10位)
- Pokka1000km・GT500クラス(Team国光with MOONCRAFT #100 RAYBRIG NSX)(総合4位)
- ル・マン富士1000km(HITOTSUYAMA RACING #21 マクラーレンF1GTR)(決勝DNF)
- 第6回十勝24時間レース(#25 ADVAN ALTEZZA)(総合11位)
- 2000年
- 全日本GT選手権・GT500クラス(Team国光with MOONCRAFT #100 RAYBRIG NSX)(シリーズ15位)
- スーパー耐久シリーズ・GroupN Plusクラス<Rd.1欠場>(#25 RS・R アルテッツア/SXE10)(シリーズ2位)
- ル・マン24時間レース・LMP900(TV Asahi Team Dragon #22 パノス・フォードLMP-1スパイダー) (総合8位)
- 2001年
- 全日本GT選手権・GT500クラス (Team国光with MOONCRAFT #100 RAYBRIG NSX)(シリーズ10位)
- スーパー耐久シリーズ・ClassN+(TEAM DD #25 ADVAN アルテッツア/SXE10)(シリーズチャンピオン)
- OLD/NOW CAR FESTIVAL(#5 ロータスエクシージ)(決勝DNF)
- 2002年
- 全日本GT選手権・GT500クラス(ESSO TOYOTA team LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ)(シリーズチャンピオン・1勝)
- 第31回インターナショナルPokka1000km2002・GT500クラス(#2 TOYOTA SUPRA)(総合優勝)
- スーパー耐久シリーズ・Class4<スポット参戦Rd.4>(株式会社ファースト #91 BUDDYCLUB-CIVIC/EB3)(総合30位)
- 2003年
- 全日本GT選手権・GT500クラス(ESSO TOYOTA team LeMans #1 エッソウルトラフロースープラ)(シリーズ2位・2勝)
- スーパー耐久シリーズ・Class1(team M's DENAG #109 ランドリーOGBアドバンGT3/ポルシェ911GT3)(シリーズ5位)
- 2004年
- 全日本GT選手権・GT500クラス(ESSO TOYOTA team LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ)(シリーズ3位)
- 第33回インターナショナルPokka1000km2004・GT500クラス(TOYOTA TEAM SARD #39 IDC大塚家具サードスープラ)(決勝DNF)
- 2005年
- SUPER GT・GT500クラス(ESSO TOYOTA team LeMans #6 エッソウルトラフロースープラ)(シリーズ6位)
- 第34回インターナショナルPokka1000km2005・POKKAクラス(#84 焼きたてジャぱん ADVAN PORSCHE)(総合8位・クラス優勝)
- Le Mans Classic Japan(#8 Bentley Speed 8/1924年式)(決勝4〜5位)
- 2006年
- SUPER GT・GT500クラス(Mobil1 TOYOTA Team LeMans #6 Mobil1 SC/TOYOTA SC430 3UZ-FE)(シリーズ12位)
- JAPAN LE MANS CHALLENGE SUGOスポーツカー耐久レース(#8 Bentley 3 Litre Speed)(決勝2位)
- 2006 Classic Endurance Racing Japan Round2(#6 チームタイサン ラゴンダV12)(決勝4位)
- スーパー耐久シリーズ第4戦スーパーTEC・ポルシェワンメイク(#1 Porsche Japan/ポルシェ997GT3)(決勝DNF)
- MAZDA FESTA 2006(#26 CSロードスター/NCEC)(決勝18位)
- 2007年
- SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH #19 ウェッズスポーツセリカ)(シリーズ10位・1勝)
- 全日本スポーツカー耐久選手権・GT1クラス(#21 ダンロップ フェラーリ550GTS/Ferrari 550 GTS MARANELLO)
- 十勝24時間レース・GTクラス(DENSO SARD SUPRA HV-R)(総合優勝)
- 2008年
- SUPER GT・GT500クラス<Rd.5〜7>(ENEOS TOYOTA TEAM LeMans #6 ENEOS SC430)(シリーズ17位)
- ニュルブルクリンク24時間レース(Team LF-A #14 レクサス・LF-A)(総合121位)
- 2009年 - ニュルブルクリンク24時間レース(GAZOO Racing #14 レクサス・LF-A)(総合87位)
- 2010年 - ニュルブルクリンク24時間レース(GAZOO Racing #50 レクサス・LFA)(総合18位、SP8クラス優勝)
- 2012年
- ニュルブルクリンク24時間レース(GAZOO Racing #83 レクサス・LFA)(総合15位、SP8クラス優勝)
- マカオグランプリGTカップ(Buddyclub McLaren MP12-4)(総合4位)
- 2013年 - ニュルブルクリンク24時間レース(GAZOO Racing #135 トヨタ・86)(予選リタイア)
- 2014年
- ニュルブルクリンク24時間レース(GAZOO Racing #53 レクサス・LFA Code X)(総合12位、SP-PROクラス優勝)
- ニュルブルクリンク耐久レースシリーズ VLN3・SP PROクラス(GAZOO Racing #53 レクサス・LFA Code X/1LR-GUE)(総合67位・クラス3位)
- SUPER GT・GT300クラス(Rd.1-7)(LM corsa #60 TWS LM corsa BMW Z4/BMW Z4 GT3)(シリーズ7位・1勝)
- 2015年 - SUPER GT・GT300クラス(LM corsa #60 SYNTIUM LMcorsa RC F GT3/LEXUS RC F GT3 USC10 2UR-GSE)
全日本ツーリングカー選手権(JTC)
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993年 | NISMO | 日産・スカイラインGT-R | JTC-1 | MIN 5 |
AUT 5 |
SUG 3 |
SUZ 5 |
TAI 2 |
TSU 1 |
TOK 2 |
SEN 5 |
FSW 3 |
4位 | 106 |
全日本ツーリングカー選手権(JTCC)
年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | NISMO | 日産・サニー | OAR1 | OAR2 | SUG1 | SUG2 | TOK1 | TOK2 | SUZ1 | SUZ2 | MIN1 | MIN2 | TAI1 14 |
TAI2 13 |
TSU1 4 |
TSU2 2 |
SEN1 8 |
SEN2 Ret |
FSW1 12 |
FSW2 10 |
15位 | 23 |
1995年 | FSW1 | FSW2 | SUG1 Ret |
SUG2 DNS |
TOK1 10 |
TOK2 7 |
SUZ1 6 |
SUZ2 Ret |
MIN1 1 |
MIN2 7 |
TAI1 6 |
TAI2 4 |
SEN1 2 |
SEN2 3 |
FSW1 Ret |
FSW2 6 |
6位 | 67 | ||||
1997年 | HKS | オペル・ベクトラ | FSW1 C |
FSW2 C |
TAI1 10 |
TAI2 Ret |
SUG1 4 |
SUG2 5 |
SUZ1 6 |
SUZ2 Ret |
MIN1 Ret |
MIN2 DNS |
SEN1 3 |
SEN2 1 |
TOK1 12 |
TOK2 DNS |
FSW1 13 |
FSW2 Ret |
8位 | 43 |
全日本GT選手権/SUPER GT
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | クレマー・ホンダ・レーシング チーム国光 |
高橋国光 土屋圭市 |
ホンダ・NSX GT2 | GT2 | 222 | 18位 | 9位 |
1995年 | チーム国光 | 高橋国光 土屋圭市 |
GT2 | 275 | 8位 | 1位 | |
1996年 | 高橋国光 土屋圭市 |
GT2 | 305 | 16位 | 3位 | ||
2000年 | テレビ朝日 チーム・ドラゴン | 土屋圭市 近藤真彦 |
パノス・LMP-1 ロードスター-S | LMP900 | 340 | 6位 | 6位 |
2002年 | チーム・タイサン・アドバン | 余郷敦 西澤和之 |
ポルシェ・911 GT3RS | GT | 316 | 21位 | 3位 |
2003年 | 余郷敦 西澤和之 |
GT | 304 | 19位 | 4位 |
全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | NOVA with AFP | SUZ | FSW | MIN | SUZ | SUG | FSW | SUZ | FSW | FSW Ret |
SUZ Ret |
NC | 0 |
1995年 | SHIONOGI TEAM NOVA | SUZ Ret |
FSW C |
MIN Ret |
SUZ | SUG 8 |
FSW 11 |
TOK Ret |
FSW 11 |
SUZ 11 |
NC | 0 | |
1997年 | SUZ 6 |
MIN 3 |
FSW Ret |
SUZ 7 |
SUG Ret |
FSW 5 |
MIN 10 |
TRM 11 |
FSW Ret |
SUZ 13 |
10位 | 7 | |
1998年 | COSMO OIL RACING TEAM CERUMO | SUZ | MIN | FSW 8 |
TRM Ret |
SUZ Ret |
SUG 9 |
FSW C |
MIN Ret |
FSW 5 |
SUZ 12 |
14位 | 2 |
1999年 | SUZ 7 |
TRM Ret |
MIN Ret |
FSW 16 |
SUZ Ret |
SUG 10 |
FSW Ret |
MIN Ret |
TRM 13 |
SUZ 12 |
NC | 0 |
国際F3000選手権
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996年 | ノルディック・レーシング | NÜR 14 |
PAU 8 |
PER 11 |
HOC 12 |
SIL 13 |
SPA Ret |
MAG 14 |
EST 12 |
MUG 18 |
HOC 9 |
NC | 0 |
エピソード
- 愛車はレクサス・LFA、レクサス・LS600h、トヨタ・86、ポルシェ・912、トヨタ・AE86、日産・スカイラインGT-R、ホンダ・NSX、日産・GT-Rニスモ、トヨタ・スープラ、スズキ・ジムニー、メルセデス・ベンツ・Gクラス、日産・シルビアS14,S15。
- 初めて走ったサーキットは富士スピードウェイである。レースデビューする1か月前に30分ほど走行し、その日は「ライン取りや高速コーナーでのアクセル全開度などが分からなかった」が、2度目の走行では「元々レースをやっている人たちと同程度のタイムで走れた」と述べている[9]。
- レースデビューは1989年、実姉である飯田裕子の代理出場だった。「レースの週になって天気が悪くなり、(強引にエントリーされたような形だった)姉が出場を嫌がった」のが理由である[2]。その姉は後にモータージャーナリストとなり、月刊「XaCAR」などで自動車のコラム記事を執筆している。
- 初めて自分のオートバイを手に入れた際に買いに行ったヘルメットは、アライヘルメット製の高橋国光レプリカだった[2]。
- 大学進学時に農獣医学部を選んだのは、その時点での将来の夢が「牧場経営」だった為である。しかしレーシングキャリアが活発になったため、せめて畜産の単位だけでも取ろうと4年で卒業している[3]。
- ビデオオプションのダートオーバルレースに「茨城県水戸市出身のミスターX」として参加した。ただし秘密のはずの本名をバラされたり、一人だけ休憩中にコースコンディションを念入りにチェックしている様を発見されるなどネタにされる役回りとなった。
- Optionの企画では、かつて織戸学と「水戸納豆レーシング」というハチロクのワンメイクチームを結成した。飯田はレビンのTRDフルチューン仕様を所有していた。
- MスポーツチューンのスカイラインGT-R(BNR34)にて、筑波サーキットで55秒台のラップタイムを記録したことがある。
脚注
- ^ a b “飯田 章 | 2017年 | ドライバー情報 | モータースポーツ活動 | TOYOTA GAZOO Racing”. 2022年11月14日閲覧。
- ^ a b c オートスポーツNO.685 1995年9/1号45〜55頁「レーシングドライバー徹底解剖4 飯田章」より
- ^ a b オートスポーツNO.661 1994年9/15号46〜47頁「普段着の戦士たち16」より
- ^ 飯田章とホンダF1をめぐる知られざる物語。1996年国際F3000挑戦の裏側にあったプロジェクト - オートスポーツ・2022年1月27日
- ^ 『豊田章男の愛したテストドライバー』 稲泉連著 2016年3月7日 小学館刊
- ^ THE NEW FIA DRIFTING COMMISSION MET FOR THE FIRST TIME IN PARIS - FIA・2019年1月29日
- ^ FIA世界モータースポーツ評議会、ドリフト車両の世界統一車両規則「DC1」を承認 - JAFモータースポーツ・2020年3月12日
- ^ 「AFPは『アキラ・フォーミュラワン・プロジェクト」の略である。オートスポーツ1994年12/1号 37頁NEWSEXPRESS記事「全日本F3000に続々と新人が…」より。
- ^ 週刊オートスポーツ NO.854 61頁「トップドライバーはじめて物語」