飯野 逸平(いいの いっぺい、1884年明治17年)8月21日[1] - 1963年昭和38年)12月2日[1])は、日本実業家日本陶器取締役社長や、名古屋商工会議所副会頭などを務めた。藍綬褒章受章。

人物・経歴 編集

日本陶器設立者の村井保固と同郷の愛媛県北宇和郡吉田町出身[2]宇和島中学校(現愛媛県立宇和島東高等学校)を経て、1904年森村組入社[3]。1928年から日本陶器専務取締役を務め[4]アメリカ合衆国で研削砥石の調査を行い、日本陶器の砥石量産化に尽力した。1939年日本陶器社長[5]。1946年名古屋商工会議所副会頭[4][6]。1947年発明奨励委員会委員[7]日本窯工貿易相談役。1948年朝日陶器社長。1950年東洋プライウッド副社長。1953年日本貿易振興会名古屋支部長[4]。1954年名古屋地方刑務審議部会委員[8]。1956年藍綬褒章受章[9]。1963年従五位勲四等旭日小綬章[10]

出典 編集

  1. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、65頁。
  2. ^ 歴史コラム:モリムラ・ブラザーズと日米交流森村商事株式会社
  3. ^ 明治期日本における「専門商社」の活躍企業家研究〈第2号〉
  4. ^ a b c 第32回近代国際陶磁研究会近代国際陶磁研究会通信 No.18
  5. ^ 「工業機材事業」ノリタケカンパニーリミテド
  6. ^ 『修練奉仕友情: 半世紀を超える名古屋JC』p8
  7. ^ 官報昭和22年本紙第6172号 63頁
  8. ^ 官報昭和29年本紙第8133号 266頁
  9. ^ 官報昭和31年本紙第8797号 553頁
  10. ^ 官報昭和38年本紙第11099号 8頁

参考文献 編集

  • 貿易之日本社編『太平洋の蟻 : 故飯野逸平翁を偲ぶ』日本窯工貿易、1964年。
先代
広瀬実光
日本陶器社長
第3代:1939年 - 1942年
次代
森村義行