飽浦 信胤(あくら のぶたね)は、南北朝時代武将

 
飽浦信胤
時代 南北朝時代
生誕 生年不詳
死没 没年不詳
別名 佐々木信胤、佐々木三郎左衛門、佐々木薩摩
主君 細川定禅南朝細川師氏
氏族 佐々木氏飽浦氏
父母 父:飽浦胤泰
顕信?、竹成御前
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生涯編集

備前国児島郡飽浦を本拠とした豪族。細川定禅の家臣として足利尊氏に味方して活動。備中国征討や京都での戦い等で功を挙げる。

お才の局を巡る私情から高師秋との確執を起こし、延元4年/暦応2年(1339年)頃、南朝方に寝返った。後に細川師氏の家臣となり、小豆島肥土荘を得た。正平17年/康安2年/貞治元年(1362年)の細川清氏細川頼之の戦いである白峰合戦に参加した以降の消息は不明である。

島の伝承では北朝方との戦に敗れて討ち死にしたとされる。お才の局との恋物語は小豆島ではよく知られており、地元の踊り(安田踊り)や農村歌舞伎の演目として現在も伝えられている。

系図編集

佐々木盛綱
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  信實 安元二年生
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  時秀 正治元年正月生
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 東郷胤時 嘉禎元年九月生
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 飽浦胤泰 
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 飽浦高信    ┃

 飽浦信胤 正和五年八月十日生 文和二年六月十三日於江州討死