香山美子 (女優)

日本の女優 (1944-)

香山 美子(かやま よしこ、1944年1月1日 [2] - )は、東京都出身の女優。本名は渡辺紀子(旧姓:岩本)[2]。夫は三條正人鶴岡雅義と東京ロマンチカのボーカル)、父は吉本興業の文芸部長だった。

かやま よしこ
香山 美子
香山 美子
『映画情報』1967年12月号より
本名 渡辺 紀子(旧姓:岩本)
別名義 岩本 紀子 (旧芸名)
生年月日 (1944-01-01) 1944年1月1日(80歳)
出生地 日本の旗 日本東京都練馬区[1]
血液型 O
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1956年 - 現在
配偶者 三條正人(歌手)
事務所 プランニング・メイ
主な作品
映画
『嵐を呼ぶ十八人』/『命果てる日まで』
眠れる美女』/『あゝ声なき友
『天保水滸伝 大原幽学』/『風花
酔いがさめたら、うちに帰ろう。
テレビドラマ
おやじ太鼓
銭形平次
勝海舟
ええにょぼ
備考
身長:160cm 体重:45kg
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人物・略歴 編集

小学6年から高校卒業まで劇団こまどり(現:グループこまどり)に在籍し、子役(本名:岩本紀子・当時)として東映民藝の教育映画などに出演した[2][3]

富士見高校在学中[2]1961年、準ミスエールフランスに選出される[2]。その後、『ご機嫌はりきり娘』で映画デビューを果たす[3]

1962年、高校卒業後に松竹へ入社と同時に俳優座養成所に入る。以後、『学生芸者・恋と喧嘩』、『七人の刑事』、『危ない橋は渡りたい』に助演。1963年吉田喜重監督『嵐を呼ぶ十八人』で早川保ら若い社外工員のなかの紅一点の溌剌たる少女に扮して新鮮な魅力を放ち注目される。翌1964年、前田陽一の監督デビュー作『にっぽんぱらだいす』に主演。廃止直前の赤線宿にきた初心な娘がプロに徹した売春婦になるまでを鮮やかに演じて、製作者協会新人賞を受賞。岩下志麻倍賞千恵子に次ぐ女優として認められる。1965年から1970年にかけては青春映画、メロドラマに多数出演するが、多くは竹脇無我の相手役で、『青雲やくざ』、『日本ゼロ地帯・夜を狙え』、『天下の快男児』、『熱い血の男』、『若社長レインボー作戦』などで共演した。次いで多いのが橋幸夫の相手役で、『涙にさよならを』、『すっ飛び野郎』、『あの娘と僕 スイム・スイム・スイム』、『恋と涙の太陽』、『バラ色の二人』、『夜明けの二人』などの歌謡映画に出演。また都はるみと共演した『アンコ椿は恋の花』、『馬鹿っちょ出船』、『涙の連絡線』、『さよなら列車』も都のヒット曲をもとにした歌謡映画だった。このほかジャンル別でみると、『この声なき叫び』、『いたずらの天才』、『落葉とくちづけ』などの青春映画、『惜春』、『女たちの庭』、『花の宴』などのメロドラマ、『かまきり』、『三匹のかまきり』、『太陽の野郎ども』などの悪女もの、『温泉ゲリラ・大笑撃』、『悪党社員遊侠伝』、『男はつらいよ フーテンの寅』、『喜劇 満願旅行』などの喜劇、東映の『裏切りの暗黒街』(鶴田浩二主演映画・客演)、日活の『やくざの横顔』(渡哲也主演映画・客演)などのアクション映画に出演。さまざまなジャンルをこなす器用さはテレビドラマへの進出も容易にして、『風と樹と空と』、『この世の花』、『若者たち』、『愛と死の砂漠』、『開花探偵帳』、『水戸黄門』など多数のテレビ作品に出演する。『にっぽんぱらだいす』以降、もっとも重要な出演作品は加藤泰監督とのコンビ作で、主人公の青成瓢吉を愛し少女から娼婦に流転するお袖に扮した『人生劇場』、主人公の玉井金五郎とともに沖仲仕をしながら必死に生きるマンに扮した『花と龍』、連続殺人を犯して破滅にいたる女流探偵小説家に扮した『陰獣』では美貌と器用さを超える熱演を披露した[3]


1973年以降は主な活動の場をテレビドラマに移し、その代表作でもあるテレビ時代劇『銭形平次<大川橋蔵版>』では、平次の妻・お静(三代目)を第209話(1970年)から最終回の第888話(1984年)まで14年間演じた[4]。そのほか、『赤ひげ』、『勝海舟』、『夢家族』、『二本の桜』、『ええにょぼ』、『秀吉』、『放浪家族』、『妻が家を出る時』、『新米ホームヘルパー・苑子の体験』、『君だけに愛を』、『奇跡のロマンス』、『身辺警護3』、『御家人斬九郎』、『恋を捨て夢に駆けた女~エド・はるみ物語~』、『京都迷宮案内スペシャル・時効直前15年目の真実』、『浅見光彦・最終章』、『中央流砂』など多数のテレビ作品に出演。映画は相米慎二監督の遺作『風花』や、『島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん』、『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』がある[3]

2017年10月5日、夫と死別[5][6][7][8]

エピソード 編集

  • 1967年(昭和42年)6月21日第17回ベルリン国際映画祭に出席するためドイツベルリンへ出発。同7月11日、日本に帰国。
  • 1968年(昭和43年)、同7月11日から17日まで開催された「メキシコ日本映画週間」のため、女優の沢井桂子らと共にメキシコの首都メキシコシティを訪れている。そして、同年の12月から翌1969年(昭和44年)の1月まで、松竹直営館での舞台挨拶のため、ブラジルサンパウロを訪れている。
  • 松竹に入社後、寝る時間もないほど映画撮影に追われたという[9]
  • リカちゃん人形(本名:香山リカ)のモデルとなったことでも有名。
  • 映画『江戸川乱歩の陰獣』で初のヌードになったが当初は拒否していた。監督の加藤泰が代役を用い吹き替えヌードを撮影したと聞き2週間悩んだ末に脱いだ。
  • 秋本治の漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公・両津勘吉が理想の女性の一人として香山の名を挙げている(28巻より)。
  • 私生活では、1971年(昭和46年)12月17日放送のフジテレビラブラブショー』で鶴岡雅義と東京ロマンチカのボーカル三條正人と共演したことをきっかけに数年間の交際を経て1973年(昭和48年)5月に結婚。1983年(昭和58年)6月に長男を出産した。
  • 2016年(平成28年)5月16日発売の週刊現代での特集インタビュー記事で「今は流れに任せて、絵を描いたりジムに通ったりして楽しく暮らしていますね。油絵はもうかれこれ25年くらいやっていて本名で展覧会に出展しています。私は今まで仕事(女優業)をやりすぎたんです。プライベートな時間がまったく持てず、子供が生まれても傍にいてあげられなかった。だから、死ぬまでカメラの前、舞台の上に立つという気持ちよりも、もっと力を抜いて、自分の人生を楽しみたくなったんです。」とコメントしている[10]
  • 2016年、三條の体調悪化をきっかけに芸能活動を休止し、死去するまで約2年間献身的に看護を行った[4]
  • 2021年(令和3年)3月1日に放送された『徹子の部屋』では、自宅の階段でケガを繰り返しているというドジな一面を持っており、子役時代から面識がある黒柳徹子から注意を受けている[9]

出演 編集

映画 編集

テレビドラマ 編集

CM 編集

ラジオ 編集

その他 編集

脚注 編集

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.538
  2. ^ a b c d e 河北新報 1983年8月26日 20面「登場」コーナー
  3. ^ a b c d 香山美子 - 人物情報・関連映画 - 映画DB”. 映画DB(キネマ旬報社). 2023年10月31日閲覧。
  4. ^ a b 『銭形平次』で夫婦役を14年。香山美子、人生を語る上で欠かせない存在・大川橋蔵さんを回顧”. テレ朝POST (2019年12月5日). 2023年10月31日閲覧。
  5. ^ 東京ロマンチカの三條正人さん死去 夫人は香山美子”. 日刊スポーツ (2017年10月6日). 2023年10月26日閲覧。
  6. ^ 三條正人さん通夜、妻香山美子「人の命はかない」”. 日刊スポーツ (2017年10月9日). 2023年10月25日閲覧。
  7. ^ 香山美子「あっぱれ」夫三條正人さん死の間際も会話”. 日刊スポーツ (2017年10月11日). 2023年10月25日閲覧。
  8. ^ 「東京ロマンチカ」三條正人さん、死の間際まで持ち続けていた“歌手魂””. スポーツニッポン (2017年10月13日). 2023年10月25日閲覧。
  9. ^ a b 香山美子、61年前の“生意気”姿。20代半ばの黒柳徹子の横で…妖艶に足を組む16歳!”. テレ朝POST (2021年2月28日). 2023年10月31日閲覧。
  10. ^ 本人が続々登場!あの「昭和の大女優たち」のいま”. 週刊現代 (2016年5月22日). 2023年10月25日閲覧。
  11. ^ 『労働統計調査月報』第41巻第10号、1989年10月1日、36頁、NDLJP:2818046/20 
  12. ^ 『東京ガス 暮らしのデザイン40年 1955→1994』1996年2月1日発行、株式会社アーバン・コミュニケーションズ。128頁~131頁

外部リンク 編集