馬皇后(ばこうごう、至順3年〈1332年〉 - 洪武15年8月10日1382年9月17日〉)は、中国の初代皇帝朱元璋(洪武帝)の皇后

馬皇后
の皇后
孝慈高皇后.jpg
在位 1368年 - 1382年
別称号 光慈高皇后(諡号)

出生 至順3年(1332年
死去 洪武15年8月10日1382年9月17日
配偶者 洪武帝
子女 朱標朱樉朱棡永楽帝寧国公主朱橚、安慶公主
養父 郭子興
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生涯編集

紅巾の乱で頭角を現した郭子興の養女である。朱元璋が郭子興のもとに身を投じたとき、郭子興が朱元璋の人物を見出して気に入り、養女である馬氏を与えて結婚させたという。彼女は献身的な女性で夫を内助の功などでよく助け、猜疑心の強かった朱元璋も彼女だけには心を開き、深く愛したと伝えられている。

1368年に明が建てられた後、馬氏は皇后に冊立された。慎み深く質素だった彼女は、皇后となっても驕ることがなく、贅沢もほとんどしなかったといわれている。このため、周囲から人望があり、皇帝になって逆に猜疑心を増大させ粛清に走り出した朱元璋を時には支え、時には諫言したと伝えられている。

1382年、夫の朱元璋に先立って病死した。

子女編集

人物・エピソード編集

  • 皇帝になってから暴君への道を走り出した朱元璋に対して諫言できる唯一の人物だった。実際、彼女の存命中から朱元璋は功臣の粛清を行っているが、彼女が死去する1382年までは大した粛清は行っていない。粛清がひどくなるのは彼女の死後からで、1390年には10年前に馬皇后の取り成しで助けられた李善長が殺されている。
  • 朱元璋は彼女以外にも多くの側室を持ち、子をなしたが、馬皇后の死後に新たな皇后を立てることはなかった。
  • 晩年に病気を患った時に朱元璋が差し向けた医者を追い返し、薬も飲まなかった。担当の医者たちが責任を問われて、猜疑心の強い朱元璋に粛清されないための配慮が理由であった。

参考文献編集