駒野友一
駒野 友一(こまの ゆういち、1981年7月25日 - )は、和歌山県海南市出身の[4][5]元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)[6]、ミッドフィールダー(MF)[7]。元日本代表。広島県立吉田高等学校卒業[4]。
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名前 | ||||||
愛称 | コマちゃん[1]、コマ[2] | |||||
カタカナ | コマノ ユウイチ | |||||
ラテン文字 | KOMANO Yuichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1981年7月25日(42歳) | |||||
出身地 | 和歌山県海南市 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF / MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2007 | サンフレッチェ広島 | 191 | (9) | |||
2008-2015 | ジュビロ磐田 | 257 | (13) | |||
2016 | FC東京 | 1 | (0) | |||
2016 | →アビスパ福岡 (loan) | 12 | (1) | |||
2017-2018 | アビスパ福岡 | 63 | (2) | |||
2019-2022 | FC今治 | 92 | (2) | |||
代表歴2 | ||||||
1999-2001 |
![]() | 10 | (0) | |||
2002 |
![]() | 4 | (0) | |||
2005-2014[3] |
![]() | 78 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月29日現在。 2. 2013年8月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴 編集
プロ入り以前 編集
小学生の頃はFWだったが、中学2年生時に招集された関西選抜において「左足で蹴れるから」と抜擢された左サイドハーフ(SH)での活躍により[8]、同3年生時には複数の私立高校やクラブから勧誘された。
1996年秋に父が病死したこともあり[4]寮費減免があるサンフレッチェ広島ユースを選択[9][8]。同年冬に広島県・吉田中学校へ転校し、1997年、高校1年生時から広島ユースに加入[4][注 1]。ウイングバック(WB)として活躍し、高校3年次には同級生の森崎和幸・浩司兄弟とともに2種登録選手になった。
サンフレッチェ広島時代 編集
2000年、サンフレッチェ広島とプロ契約を締結[10][注 2]。翌2001年、ヴァレリー・ニポムニシに見出され、右サイドバック(SB)として沢田謙太郎からレギュラーを奪った[9]。その後も安定したプレーを見せ、その年の2ndステージ3位になる原動力となった。これ以降も右アウトサイドのレギュラーとして活躍した。
2003年8月、J2第28節横浜FC戦で左膝前十字靭帯を断裂[9][11][12]。手術後の入院中に脚をギプスで固定したことで静脈血栓塞栓症を発症し生命の危機に陥った[12]。懸命なリハビリを続け、2004年4月のナビスコカップ横浜FM戦で復帰。駒野不在の間、広島の右サイドのレギュラーに定着した選手はいなかった。
2004年9月にはぶどう膜炎を発症し失明の危機まであったが[9]軽症で済んだ[12]。2005年にかけて復調し、佐藤寿人へのクロスによってチャンスを量産[12]、右SBながら9アシストを記録した[注 3]。利き足である右足から放つクロスを得意とし、特にFWの動きに合わせた軌道を研究して練習した、と自身で述べる鋭く曲がり落ちるアーリークロスは大きな武器となり、当時の専門誌において「クロスボール部門」Jリーガー第1位に選ばれている[13]。
2007年オフには広島からの慰留に加えてジュビロ磐田及びヴィッセル神戸からオファーを受けた[14][15]。
ジュビロ磐田時代 編集
2009年からは背番号を田中誠の退団により空いた広島在籍時と同じ「5」に、ポジションをMFからDF(SB)に変更。2年続けてJ1残留争いを経験し[17]、同年末には広島からの復帰要請に前向きな姿勢を見せるも[17] 広島の資金難によって復帰は立ち消えとなり[18] 磐田に残留。
2010年もSBとして活躍を続けたが、同年10月の韓国代表戦で右上腕骨を骨折[19]。磐田が12年ぶりの優勝を決めたナビスコカップ決勝戦を含めたシーズン終盤を欠場した。
2011年、右SBとしてJ1全試合にフル出場し、FW前田遼一との好連携でリーグ最多のアシストを記録[20][注 3]。2012年1月にはベルギー1部リーグ・シント=トロイデンVVへの移籍で基本合意に至るも[21]、磐田との契約期間を残しており[22] 違約金等の調達がまとまらずに頓挫[23][24]。磐田残留が決まった[25]。
2012年もリーグ戦全試合に出場し、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。
2013年は監督・森下仁志による新布陣採用に伴ってSBからWBにポジションを上げたが、これが奏功せずチームは低迷[26]。同年は主将を務め[27] 第23節新潟戦でJ1通算350試合出場を達成するも[28]、クラブ史上初、自身3度目のJ2降格を喫した[27]。
2015年はシーズン後半にかけて宮崎智彦に左SBのレギュラーを奪われたが、第33節群馬戦では途中出場で直接FKによる決勝点を挙げ[29]、ベテランとしてチームを支え磐田のJ1昇格に貢献。しかし、磐田からは契約延長を打診されたが、若返りを理由に単年契約でのオファーだった事もあり、退団を決意した[30]。
FC東京時代 編集
2016年よりFC東京へ移籍[31][6]。 2月9日に行われた2016年シーズン初戦となったAFCチャンピオンズリーグ2016 プレーオフ・チョンブリーFC戦でスタメンで出場。自身初のACLとなったvs全北現代モータースで肉離れを起こし、リーグ開幕戦は欠場となった[32]。オーバーエイジ枠でFC東京 U-23として、同年4月3日に行われたJ3リーグ第3節・ブラウブリッツ秋田戦で初めてJ3の試合に出場した。 2016年7月、怪我や若手の小川諒也の活躍もあり、リーグ戦は1試合のみの出場で止まり、同年7月3日にアビスパ福岡へ期限付き移籍[33]。
アビスパ福岡時代 編集
11月22日に契約満了によりFC東京を退団する事が発表され[34]、2017年1月6日に期限移籍先であった福岡へ完全移籍する事が発表された[35]。10月22日に行われたジェフユナイテッド市原・千葉戦でJリーグ通算500試合を達成。
2018年11月25日、福岡との契約満了が発表された[36]。
FC今治時代 編集
2019年1月4日、南アフリカW杯で日本代表監督だった岡田武史が代表を務め、広島在籍時代監督だった小野剛が監督を務める[37]FC今治へ入団すると発表された[38]。2019年シーズン、JFLベストイレブン受賞[39]。
日本代表 編集
年代別代表時代から左右のSBとしてプレー。2004年にはU-23日本代表としてアテネオリンピックに選出されたが、ガーナ戦で左鎖骨を骨折[9][12]
A代表には、2005年の東アジア選手権で負傷の三浦淳宏に代わって初招集され[40]、8月3日の中国戦で国際Aマッチ初出場[41]。その後もDF加地亮のバックアッパーとして定着し[41][42]、翌2006年開催のワールドカップメンバーに選出された。これは追加招集された茂庭照幸と共に「アテネ世代」からの数少ない選出であった。加地の負傷により[9][41]、本大会初戦のオーストラリア戦で先発出場。この試合では同点に追いつかれた直後、ペナルティエリア内でドリブルを仕掛けて相手DFに倒され、あわや追加点となるチャンスを作った[注 4]。しかし守備で振るわずに逆転負けを喫し[43][41]、加地が復調した第2戦以降は控えに回った[43]。
2006年から2007年にかけてのイビチャ・オシム体制下では、スピード[注 5]を評価され、左SB及び左WBの一番手として重用されたが[42]、オシム後任の岡田武史監督の下ではDF内田篤人や長友佑都ら若手選手の台頭により、控えに戻った[41]。
2010年開催のFIFAワールドカップでは、大会直前に行われた強化試合コートジボワール戦におけるDF今野泰幸の負傷もあり[9][43]堅実なプレーでポジションを再奪取[45][46]。本大会のグループリーグ3試合と決勝トーナメント1試合の計4試合で右SBとして先発出場した。好調を維持し[43]、スプリント数においては日本代表では駒野と本田圭佑だけが4試合全てで100超を数え[47][48][49][50]、また、カメルーン戦では時速25.77kmを記録[47]。攻守に献身的な働きで[11]日本の決勝T進出に貢献した。決勝T1回戦のパラグアイ戦では、相手陣内深いエリアまで上がり再三クロスを上げるなどチャンスを演出し、パラグアイに押し込まれた時間帯には体を張った守備でピンチの芽を摘むなど豊富な運動量でチームの完封に貢献した[51]。同試合は延長戦でも決着せずPK戦となり、駒野は3人目のキッカーを任されたが[52] シュートをバーに当て失敗[11][51]。パラグアイは全員PKを成功させたためベスト8進出を逃した。
2010年8月以降のアルベルト・ザッケローニ体制下でも内田・長友の控えが続いたが[53][41][54]、2011年10月11日のFIFAワールドカップ3次予選・タジキスタン戦では国際Aマッチ初得点を含む1ゴール2アシストの活躍[55][56]。通算65試合目の出場での初得点は、GKを除き日本代表史上最も遅いものとなった[54][56]。
2013年の東アジアカップでは、これまでの貢献度の高さを理由にチームキャプテンを任された[57][58]。第1戦中国戦では2失点に絡んだが、急造チームに一体感を作り、日本の同大会初優勝に貢献[59]。
チームに献身する姿勢はザッケローニから「本当のプロフェッショナル」と賞賛されていたが[60]、2014年のFIFAワールドカップに際しては、予備登録の30名に留まり、自身3度目となる本大会のメンバー入りを逃した[61]。
エピソード 編集
- 利き脚は右だが、利き腕は左利き[2]。サインは右手で書く、野球は左投げ左打ち、趣味のゴルフ[2][40]は左打ち。
- 実弟の森川祐輝(旧姓・駒野)は、アマチュア選手として関西リーグ1部のパナソニックエナジー洲本サッカー部(旧 三洋電機洲本サッカー部)に所属[62]。
- いじられキャラ。『やべっちFC』にてゲスト出演していた中山雅史に駒吉と呼ばれるなど、クラブや代表のチームメートからネタにされた逸話も多い。また、2014年からジュビロで同じチームとなった松井大輔は、入団会見で「チームの中で1年間駒野をずっといじっていこうかなと思っています。」と話している[63]。
- 2度のワールドカップでも着用した日本代表での背番号「3」に強いこだわりを持っている。2012年に本田圭佑から3番を譲るように頼まれたがこれを拒否したため[64]、本田は4番に定着。
- 2014年から「ふるさとアスリート」としてよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属[65]。
所属クラブ 編集
- 海南市立大野小学校[3]
- 1994年 - 1996年 海南市立第三中学校[3]
- 1997年 - 1999年 サンフレッチェ広島ユース[3] (広島県立吉田高等学校)
- 2000年 - 2007年 サンフレッチェ広島
- 2008年 - 2015年 ジュビロ磐田
- 2016年 FC東京
- 2016年7月 - 同年12月 アビスパ福岡 (期限付き移籍)
- 2017年 - 2018年 アビスパ福岡
- 2019年 -2022年 FC今治
個人成績 編集
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 広島 | 23 | J1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 |
2001 | 5 | 24 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 29 | 1 | ||
2002 | 27 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 33 | 1 | |||
2003 | J2 | 23 | 0 | - | 0 | 0 | 23 | 0 | |||
2004 | J1 | 18 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 22 | 1 | ||
2005 | 34 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 39 | 2 | |||
2006 | 31 | 2 | 1 | 0 | 2 | 1 | 34 | 3 | |||
2007 | 34 | 2 | 3 | 0 | 5 | 1 | 42 | 3 | |||
2008 | 磐田 | 25 | 34 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 35 | 2 | |
2009 | 5 | 34 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 36 | 1 | ||
2010 | 23 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | |||
2011 | 34 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 37 | 2 | |||
2012 | 34 | 3 | 4 | 0 | 1 | 0 | 39 | 3 | |||
2013 | 34 | 2 | 4 | 1 | 2 | 0 | 40 | 3 | |||
2014 | J2 | 35 | 3 | - | 2 | 0 | 37 | 3 | |||
2015 | 29 | 1 | - | 0 | 0 | 29 | 1 | ||||
2016 | FC東京 | 50 | J1 | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||
福岡 | 24 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 | ||
2017 | 3 | J2 | 39 | 1 | - | 0 | 0 | 39 | 1 | ||
2018 | 24 | 1 | - | 1 | 0 | 25 | 1 | ||||
2019 | 今治 | JFL | 29 | 1 | - | - | 29 | 1 | |||
2020 | J3 | 24 | 1 | - | - | 24 | 1 | ||||
2021 | 23 | 0 | - | 1 | 1 | 24 | 1 | ||||
2022 | 17 | 0 | - | - | - | 17 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 374 | 19 | 36 | 2 | 20 | 2 | 430 | 23 | |
日本 | J2 | 150 | 6 | - | 3 | 0 | 153 | 6 | |||
日本 | J3 | 64 | 1 | - | 1 | 1 | 65 | 2 | |||
日本 | JFL | 29 | 1 | - | - | 29 | 1 | ||||
総通算 | 617 | 27 | 36 | 2 | 24 | 3 | 677 | 32 |
- その他の公式戦
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2016 | F東23 | 50 | J3 | 4 | 0 | 4 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J3 | 4 | 0 | 4 | 0 | |||||
総通算 | 4 | 0 | 4 | 0 |
- 2007年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2008年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2014年
- J1昇格プレーオフ 1試合0得点
- 2017年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2016 | FC東京 | 50 | 2 | 0 |
通算 | AFC | 2 | 0 |
- その他の国際公式戦
- 2011年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
- 2016年
- AFCチャンピオンズリーグ2016・プレーオフ 1試合0得点
- 出場歴
- 2000年川崎フロンターレ (等々力陸上競技場) 3月25日:公式戦初ベンチ入り - J1・1st第3節 vs
- 2000年モンテディオ山形 (山形県総合運動公園陸上競技場) 4月12日:公式戦初出場 - ナビスコカップ1回戦第1戦 vs
- 2001年コンサドーレ札幌 (広島ビッグアーチ)[2] 3月31日:Jリーグ初出場 - J1・1st第 3節 vs
- 2001年東京ヴェルディ1969 (広島スタジアム)[2] 5月19日:Jリーグ初得点 - J1・1st第10節 vs
- 2005年11月20日:J1 100試合出場 - J1第31節 vs横浜F・マリノス (日産スタジアム)
- 2008年11月23日:J1 200試合出場 - J1第32節 vs柏レイソル (ヤマハスタジアム)
- 2012年[66] 4月21日:J1 300試合出場 - J1第 7節 vs横浜F・マリノス (ヤマハスタジアム)
- 2013年アルビレックス新潟 (東北電力ビッグスワンスタジアム)[28] 8月28日:J1 350試合出場 - J1第23節 vs
タイトル 編集
- SBSカップ 国際ユースサッカー (1999, 2000)
- ジャパンユースカップ (2001)
- EAFF E-1サッカー選手権 (2013)
個人タイトル 編集
- Jリーグアウォーズ・優秀選手賞:3回 (2005, 2007, 2012)
- Jリーグベストイレブン:1回 (2012)
- JFLベストイレブン:1回(2019)[67]
代表・選抜歴 編集
- 2005年国際Aマッチ初出場 - 東アジアサッカー選手権2005 vs 中国 (大邱スタジアム)[41] 8月 3日:
- 2011年10月11日:国際Aマッチ初得点 - 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 vs タジキスタン (長居陸上競技場)
出場大会 編集
- 広島県選抜
- 1998年 第53回国民体育大会サッカー競技
- 1999年 第54回国民体育大会サッカー競技
- U-18日本代表
- U-19日本代表
- U-20日本代表
- U-21日本代表
- U-22日本代表
- 2003年 アテネオリンピックアジア2次予選
- U-23日本代表
- 日本代表
- 2005年 東アジア選手権[3](準優勝)、FIFAワールドカップ・アジア最終予選[3]
- 2006年 AFCアジアカップ予選[3]、FIFAワールドカップ[3](GL敗退)
- 2007年 AFCアジアカップ[3](ベスト4)、AFCアジア/アフリカチャレンジカップ[3]
- 2008年 東アジア選手権[3](準優勝)、FIFAワールドカップ・アジア3次予選、最終予選[3]
- 2009年 AFCアジアカップ予選[3]、FIFAワールドカップアジア最終予選[3]
- 2010年 東アジア選手権[3](3位)、FIFAワールドカップ[3](ベスト16)
- 2011年 FIFAワールドカップ・アジア3次予選[3]
- 2012年 FIFAワールドカップ・アジア最終予選[3]
- 2013年 東アジアカップ[3](優勝)
試合数 編集
- 国際Aマッチ 78試合 1得点 (2005-2014)[3]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2005 | 5 | 0 |
2006 | 10 | 0 |
2007 | 12 | 0 |
2008 | 13 | 0 |
2009 | 9 | 0 |
2010 | 11 | 0 |
2011 | 7 | 1 |
2012 | 5 | 0 |
2013 | 6 | 0 |
2014 | 0 | 0 |
通算 | 78 | 1 |
ゴール 編集
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2011年10月11日 | 日本、大阪市 | タジキスタン | ○8-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
関連情報 編集
出演 編集
- CM
- デオデオ (2006年 - 2007年) 下田崇との共演、広島限定
- トイ・ストーリー3 (2010年)[81]
- プーマジャパン株式会社 (2010年 - ) 「パラメヒコマン篇」
- 静岡県 (2010年) 「静岡県人権週間」
- 映画
- 劇場版 仮面ライダー鎧武 サッカー大決戦!黄金の果実争奪杯! (2014年)[82] - 本人役
- PV
- PUSHIM「誓い feat.MIHIRO -マイロ-」 (2010年)
展示 編集
表彰 編集
関連項目 編集
脚注 編集
- 注釈
- 出典
- ^ 駒野「アテネ世代で盛り上げる」 中日スポーツ (2010年6月24日)[リンク切れ]
- ^ a b c d e PLAYER'S DATABASE - ウェイバックマシン(2008年4月10日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v プロフィール 日本サッカー協会
- ^ a b c d ゴールデンルーキー サンフレ7人衆 4 留学 -「恩返し」胸に決意貫く- - ウェイバックマシン(2000年11月20日アーカイブ分)中国新聞 (2000年2月17日)
- ^ a b 駒野友一選手に和歌山県スポーツ特別賞! 和歌山県 (2010年7月4日)
- ^ a b 駒野友一選手 完全移籍加入のお知らせ FC東京 (2015年12月30日)
- ^ a b 駒野友一選手 サンフレッチェ広島より完全移籍加入のお知らせ - ウェイバックマシン(2008年1月18日アーカイブ分)ジュビロ磐田 (2008年1月15日)
- ^ a b スペシャルVol.1 駒野友一 (前編) ザムスト (2014年4月25日)
- ^ a b c d e f g 逆境バネ「静」の駒野 朝日新聞デジタル (2010年6月12日)
- ^ 来年3月高等学校卒業予定の新加入内定選手について - ウェイバックマシン(2000年6月5日アーカイブ分) サンフレッチェ広島 (1999年12月22日)
- ^ a b c 駒野非運、駆け寄るイレブン「カタツムリ」着実前進 - ウェイバックマシン(2010年7月2日アーカイブ分)中日新聞 (2010年6月30日)
- ^ a b c d e 【ワールドカップイヤー特別コラム:駒野友一(広島)】生命の危機や失明の恐怖を乗り越えた、アテネ世代唯一のワールドカップ戦士。 Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2006年5月31日)
- ^ 、2007、「Jリーガー108選手が選ぶベストプレイヤー」、『週刊サッカーダイジェスト』No.897 2007年5月22日号、日本スポーツ企画出版社
- ^ 広島DF駒野が磐田移籍を決断 日刊スポーツ (2008年1月12日)
- ^ 駒野3チームで思案中 - ウェイバックマシン(2008年1月17日アーカイブ分)スポーツ報知 (2008年1月8日)
- ^ 駒野 友一選手 ジュビロ磐田へ完全移籍のお知らせ - ウェイバックマシン(2008年1月16日アーカイブ分)サンフレッチェ広島 (2008年1月15日)
- ^ a b 駒野2年ぶり古巣・広島へ? 磐田と契約今季限り - ウェイバックマシン(2009年11月10日アーカイブ分)スポーツ報知 (2009年11月7日)
- ^ 駒野 磐田残留明言…古巣は資金難で撤退 - ウェイバックマシン(2009年12月5日アーカイブ分)(2009年12月3日)
- ^ 駒野が救急車で病院に搬送、右上腕骨骨折が判明 ゲキサカ (2010年10月12日)
- ^ 【Jリーグ】データで見る「決定機を作るチャンスメーカー」トップ7 (1/3) Sportiva (2012年3月8日)
- ^ 日本代表DF駒野がベルギー1部移籍合意 日刊スポーツ (2012年1月12日)
- ^ 駒野 ベルギー1部シントトロイデン移籍が決定的に スポーツニッポン (2012年1月11日)
- ^ 駒野 磐田残留が決定! 移籍金ネックで契約まとまらず… スポーツニッポン (2012年1月22日)
- ^ 駒野 残留の可能性 - ウェイバックマシン(2012年1月24日アーカイブ分)静岡新聞 (2012年1月21日)
- ^ 駒野が急転磐田残留 日刊スポーツ (2012年1月22日)
- ^ ジュビロ、J2降格。王者転落を招いた「三大要素」(1/3) Sportiva (2013年11月11日)
- ^ a b 降格を重く受け止める磐田DF駒野「自分たちの責任」 ゲキサカ (2013年11月10日)
- ^ a b 2013Jリーグディビジョン1 第23節 柳沢敦選手(仙台)・駒野友一選手(磐田)J1通算350試合出場達成 Jリーグ (2013年8月28日)
- ^ 磐田駒野が逆転弾 ベテラン勢活躍でチーム救う 日刊スポーツ (2015年9月24日)
- ^ 駒野FC東京入り決定的 磐田退団を決断! 黄金コンビ復活へ スポーツニッポン (2015年12月13日)
- ^ 駒野 友一選手がFC東京へ完全移籍 ジュビロ磐田 (2015年12月30日)
- ^ FC東京、ACL初戦は黒星発進…駒野友一に肉離れの疑い CYCLE (2016年2月24日)
- ^ 駒野 友一 選手 FC東京より期限付き移籍加入のお知らせ アビスパ福岡 (2016年7月3日)
- ^ 駒野友一選手 契約満了のお知らせ FC東京 (2016年11月22日)
- ^ 駒野 友一 選手 完全移籍加入のお知らせ アビスパ福岡 (2017年1月6日)
- ^ 『アビスパ福岡 契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)アビスパ福岡、2018年11月25日 。2018年11月25日閲覧。
- ^ 元日本代表DF駒野友一、FC今治加入が決定。2人の恩師と再会へ「岡田さんの力になりたい」 Goal.com 2019年1月4日
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- ^ 駒野が初CM「トイストーリー3」PR 日刊スポーツ (2010年8月2日)
- ^ キャスト 劇場版 仮面ライダー鎧武 サッカー大決戦! 黄金の果実争奪杯!
外部リンク 編集
- 駒野友一 - Olympedia (英語)
- 駒野友一 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- 駒野友一 - National-Football-Teams.com (英語)
- 駒野友一 - Soccerway.com (英語)
- 駒野友一 - WorldFootball.net (英語)
- 駒野友一 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- 駒野友一 - FIFA主催大会成績 (英語)
- 駒野友一 - J.League Data Siteによる選手データ
- 駒野友一 - AS.com (スペイン語)
- プロフィール (2007年) - ウェイバックマシン(2007年11月22日アーカイブ分) - サンフレッチェ広島
- Instagramのページ
- プロフィール (2009年) , (2010年) , (2011年) , (2012年) , (2013年) , (2014年) , (2015年) - ジュビロ磐田
- Twitterでのプロフィール
- プロフィール - 吉本興業
- 『ザックジャパンの完成度』連載 第8回:駒野友一 (1/4) , (2/4) , (3/4) , (4/4) - Sportiva (2012年10月10日)