驪興閔氏
驪興閔氏(れいこうびんし、朝鮮語: 여흥민씨)は、朝鮮の氏族の一つ。本貫は京畿道驪州市である。2000年調査では、142572人。
驪興閔氏 | |
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氏族 | |
国 | 朝鮮 |
領地 | 驪州市 |
家祖 | 閔称道 |
著名な人物 | 元敬王后・閔元植・閔丙奭・仁顕王后・閔妃・SUGA |
始祖は、孔子の弟子である閔子騫の末裔であり、元々は中国山東地方の人閔称道である。高麗に使者として渡来し、驪興付近に定住した。
李氏朝鮮の3代王太宗の妃(彰徳昭烈元敬王后)を出し、4代世宗以降はこの血統を受け継いでいるが、驪興閔氏自体は17世紀末に19代粛宗の妃仁顕王后を出しただけで、王朝では決して有力な家門ではなかった。
19世紀中ごろ、驪興閔氏出身の女性の一人が、本流から外れた王族の李昰応の夫人となった。彼女が生んだ次男の命福が26代高宗となり、李昰応が興宣大院君となった。
外戚として勢威を振るっていた安東金氏の影響力を排除するため、高宗の妃も驪興閔氏の閔致禄の娘が選ばれた。閔妃(明成皇后)である。閔妃は一族を積極的に登用し、大院君が失脚すると驪興閔氏が政権の重職を占めた(閔氏政権)。
参考編集
- ネイバー知識検索 여흥민씨 驪興閔氏. 韓国学中央研究院
- 金光林 (2014). A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names. Journal of Cultural Interaction in East Asia Vol.5 東アジア文化交渉学会p20