高仁 秀治(たかに ひではる、1962年6月6日 - )は、群馬県藤岡市[1]出身の元プロ野球選手外野手一塁手)。左投左打。

高仁 秀治
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県藤岡市
生年月日 (1962-06-06) 1962年6月6日(61歳)
身長
体重
176 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1980年 ドラフト4位
初出場 1983年5月3日
最終出場 1991年8月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物 編集

東農大二高では、2年夏に4番を打ち、県大会決勝では先発完投したが敗れた。秋はエースとして清水信明とのバッテリーで県大会準決勝では前橋工業高を相手に延長17回を投げ勝つなどの活躍で優勝。関東大会では依田栄二甲府商)、中野佐資国学院栃木高)らに投げ勝って優勝。1980年春の選抜に出場。1回戦で松江商業高に敗退[2]。同年の夏の県大会でも準決勝に進出するが、前橋工業高の小川博に完封を喫し敗退した。

1980年のプロ野球ドラフト会議ヤクルトスワローズから4位指名を受け入団[1]。投手として指名を受けたが、外野手に転向する。

1985年には主に代打として26試合に出場、シーズン終盤には先発としても起用される。同年10月、松岡弘の引退試合で、0-4でリードされた終盤8回、満塁のチャンスで大洋のストッパー斉藤明夫からプロ1号となる同点満塁ホームランを放ち、6回まで投げていた松岡の黒星を帳消しにした。なお松岡の通算成績は191勝190敗であり、高仁のホームランにより勝ち越しをキープした。

1986年6月には一番打者に抜擢され、同年は外野手として41試合に先発出場。栗山英樹とレギュラーを争い、打率.284の好記録を残す。

1989年はイースタン・リーグで打率.343を記録し首位打者を獲得[1]

1991年のオフに現役を引退[1]

現役引退後は、ヤクルト販売に所属しボランティアの野球教室などに参加する。

2005年に始まったNPB12球団ジュニアトーナメントではヤクルトジュニアチームの野手指導にあたる。

2007年、ジュニアチームヘッドコーチとして北海道遠征に参加。

2010年より丸山完二に代わりジュニアチーム監督に就任、2013年大会まで務めた。

2014年から、中学女子硬式野球チームのモンスターレディース監督に寺沢高栄の後任として就任[3]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1983 ヤクルト 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1984 4 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1985 26 40 35 5 8 3 0 1 14 4 0 1 1 0 4 0 0 4 0 .229 .308 .400 .708
1986 96 215 197 30 56 12 2 1 75 14 4 3 4 1 12 1 1 27 2 .284 .327 .381 .708
1988 12 16 13 1 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 2 0 0 6 0 .077 .200 .077 .277
1989 17 13 12 1 2 0 0 0 2 0 0 1 0 0 1 0 0 1 0 .167 .231 .167 .397
1990 11 7 5 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 3 0 .000 .167 .000 .167
1991 7 8 8 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .125 .125 .125 .250
通算:8年 176 304 275 39 68 15 2 2 93 19 4 5 7 1 20 1 1 44 2 .247 .300 .338 .638

記録 編集

背番号 編集

  • 44 (1981年 - 1991年)

脚注 編集

  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、318ページ
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ さいたま市の女子硬式野球チーム、モンスターレディースに行ってきました!(前編)”. Clipee (2016年10月3日). 2017年2月6日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集