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高 保寧(こう ほねい、生年不詳 - 583年)は、中国北斉軍人。高宝寧とも書かれる。本貫代郡

経歴編集

武平末年、北斉の営州刺史となり、黄龍に駐屯した。北周の軍が北斉の都のに迫ると、幽州行台の潘子晃が黄龍の兵を召集したので、保寧は契丹靺鞨の1万騎あまりを率いて救援に向かった。北平にいたって、潘子晃がをすでに出発したと知り、また鄴都が陥落したと聞いて、営州に帰還した。北周の武帝が招諭の使者を派遣してきたが、その勅書を受け取らなかった。范陽王高紹義突厥の保護の下で、北斉の皇帝を称すると、保寧は丞相に任ぜられた。盧昌期が范陽城に拠って起兵すると、保寧は高紹義の兵数万騎を率いて救援に向かった。潞河にいたって、北周の将軍の宇文神挙が范陽を落としたことを知ると、保寧は黄龍に帰り、北周に仕えようとはしなかった。

583年、部下に殺された。

伝記資料編集

  • 北斉書』巻四十一 列伝第三十三
  • 北史』巻五十三 列伝第四十一