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高円宮

日本の宮家のひとつ

概要編集

「高円宮」の宮号は昭和天皇から賜ったもので[2]、父宮の宮号の由来となった奈良市東部の三笠山の近くにある高円山から採られた。当主の憲仁親王が男子をもうけないまま2002年(平成14年)に薨去した[3]ため、現行の皇室典範においては、久子妃および、子の承子女王の薨去、または皇籍離脱をもって宮家が断絶することになる。

2014年(平成26年)5月27日、典子女王の婚約が発表され[4]、結婚と同時に高円宮家から臣籍降嫁した。

2018年(平成30年)6月26日、絢子女王の婚約が発表され[5]、結婚と同時に高円宮家から臣籍降嫁した。

構成編集

読み 性別 生年月日 現年齢 続柄
憲仁親王妃久子 ひさこ 女性 1953年(昭和28年)07月10日 65歳
承子女王 つぐこ 女性 1986年(昭和61年)03月08日 32歳 高円宮憲仁親王第一女子

薨去・離脱編集

読み 性別 生年月日 現年齢 続柄 概要
高円宮憲仁親王 のりひと 男性 1954年(昭和29年)12月29日 (故人) 三笠宮崇仁親王第三男子 2002年(平成14年)11月21日薨去
(満47歳没)
典子女王(千家典子) のりこ 女性 1988年(昭和63年)07月22日 30歳 高円宮憲仁親王第二女子 2014年(平成26年)10月5日、千家国麿出雲大社禰宜)との婚姻により皇籍離脱
絢子女王(守谷絢子) あやこ 女性 1990年(平成02年)09月15日 28歳 高円宮憲仁親王第三女子 2018年(平成30年)10月29日、守谷慧(日本郵船社員・NPO法人国境なき子どもたち理事)との婚姻により皇籍離脱

系図編集

 
 
123 大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
124 昭和天皇三笠宮
崇仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
125 今上天皇寛仁親王[桂宮]
宜仁親王
[高円宮]
憲仁親王
 
 
 
久子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇太子
徳仁親王
承子女王千家典子
千家国麿室)
守谷絢子
(守谷慧室)

脚注編集

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  1. ^ 1986年(昭和61年)12月3日『官報』第17941号15ページ「皇族御移転」
  2. ^ 1984年(昭和59年)12月6日宮内庁告示第11号「天皇陛下は、昭和五十九年十二月六日、憲仁親王殿下に、高円宮の称号を賜つた件」
  3. ^ 2002年(平成14年)11月25日宮内庁告示第9号「憲仁親王殿下が薨去された件」
  4. ^ 典子女王殿下のご婚約内定について - 宮内庁 2014年(平成26年)5月27日
  5. ^ 絢子女王殿下のご婚約内定について - 宮内庁 2018年(平成30年)6月26日

関連項目編集

外部リンク編集