高島玄札

江戸時代前期の俳人

高島 玄札(たかしま げんさつ、1594年文禄3年)- 1676年延宝4年))は、江戸時代前期の俳人[1][2]医師[1]である。名は玄道。貞門派内における貞門五俳哲の一人[1][2]

経歴・人物 編集

伊勢山田(現在の三重県伊勢市)の生まれ[2]1614年慶長19年)ころに江戸に入り商人として活躍した[1][2]。後に松永貞徳から俳諧を学び[2]1636年寛永13年)には医師としても活動した[2]

多くの俳諧の撰集を刊行し、斎藤徳元と共に江戸における俳諧創成期の代表的な俳人となった[2]。玄札が詠んだ俳諧の作風は言葉遊びを彷彿させていると評された[2]

主な著作物 編集

  • 『誹諧抜書』
  • 『とくさ(十種)千句』- 玄札の門下であった白鴎との共著[1][2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『高島玄札』- コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『高島玄札』- コトバンク