高木正弼
高木 正弼(たかぎ まさのり)は、江戸時代中期の大名。河内国丹南藩の8代藩主。官位は従五位下・主水正。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛保元年(1741年) |
死没 | 安永9年9月27日(1780年10月24日) |
改名 | 熊次郎、主水(幼名)、正弼 |
戒名 | 泰了院 |
墓所 | 東京都杉並区永福の栖岸院 |
官位 | 従五位下・主水正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗、家重、家治 |
藩 | 河内丹南藩主 |
氏族 | 高木氏 |
父母 | 高木正恒、松平忠暁娘 |
妻 | 鳥居忠意娘 |
子 |
高木正直正室 正直 |
略歴
編集7代藩主・高木正恒の長男として誕生した。母は松平忠暁の娘。幼名は熊次郎、主水。正室は鳥居忠意の娘。子に高木正直正室。
寛保3年(1743年)7月25日、正恒の死去により、家督を相続する。宝暦7年(1757年)3月1日、9代将軍・徳川家重に御目見する。同年12月18日、従五位下・主水正に叙任する。宝暦8年(1758年)10月21日、河内国丹南郡の領地の一部を丹北郡、志紀郡に移される。明和元年(1764年)9月15日、大番頭に就任する。
明和6年(1769年)に領内の丹南郡・丹北郡・志紀郡が不作にみまわれ、農民が拝借金や配給米を求めたが、江戸住まいの正弼はこれを認めなかった。そして、全村の庄屋22名と農民たちが年貢納入を拒絶し、騒動に発展した(郷中騒動)。安永元年(1772年)11月21日、幕府は農民騒動の対応を咎め、出仕を止めている。
安永9年(1780年)9月27日、40歳で死去し、跡を婿養子の正直が継いだ。法号は泰了院。墓所は東京都杉並区永福の栖岸院。