高松寿嗣(たかまつ としつぐ、1889年3月10日 - 1972年4月2日)は、日本忍術家戸隠流の33代宗家

高松寿嗣
生年月日 (1889-03-10) 1889年3月10日
出身地日本の旗 日本 兵庫県明石市
死没1972年4月2日(1972-04-02)(83歳)
日本の旗 日本 奈良県橿原市
著名な弟子初見良昭上野貴 など

生涯編集

1890年(明治23年)3月10日、兵庫県明石市(神戸市という説もあり[1])生まれ[2]。高松は生後から20歳になるまで母親が9人も代わるという、複雑な家庭環境下で育ったため、いじめられやすい子供であった[1]。9歳になると、母方の叔父にあたる戸田眞龍軒(正光)から神伝不動流・戸隠流・玉虎流・虎倒流等を習い始めた。13歳になると、水田芳太郎(忠房)の道場にも通うようになり、稽古で向上した柔道の実力により、60人もの不良に襲われても勝るほどになった[1][2]。17歳になって、老人の石谷松太郎(隆景)と出会い、彼から九鬼神流などを教わった。21歳になった高松は中国(当時の清国)へ行き、天津満州にかけて10年ほど実戦を経験した。この頃も、高松は百戦百勝・無敵と言えるほど強く、何度も勝利した。そのため、「蒙古の虎」の異名を与えられた。1919年に、30歳になった高松は中国から帰国。体術武器術が一体となった総合武術の後進への指導を行うなどした。1972年(昭和47年)4月2日、高松は逝去し、武人としての凄まじい生涯は幕を閉じた[2][1]

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前述の通り、高松には3人の師がいた。水田芳太郎忠房からは高木楊心流を、石谷松太郎隆景からは高木楊心流や九鬼神伝流、義鑑流を、戸田真竜軒正光からは神伝不動流や戸隠流、玉心流や雲隠流、虎倒流や玉虎流を、それぞれ習った[3]

名前編集

「蒙古の虎」の異名も持つ高松寿嗣は、通常「たかまつ としつぐ」と称されるが、本名は「たかまつ ひさつぐ」。成人後しばらくして改名した[2]。「ひさつぐ」では不幸が多かく、運を変えると云う意味合いで、より強い響きの「としつぐ」に改名したという。幼少期は「寿太郎」とも呼ばれた。門人竹内信義に「鬼角」の号を与えられ、「竹内鬼角斎」と称された。門人の上野貴には「澄水」と号され「上野澄水」と称されるが、その後「翊翁」と号し、「高松寿嗣翊翁」となった。「画楽多武人」の号も使われたことがあるとされる[2]。さらには、「最後の忍び」と言われている[4]

関連人物編集

高松により皆伝を受けた人物は多数存在する。戦前に門人として皆伝を受けた人物としては、木村正治秋元文雄木葉幸四郎辰田安一郎徳家武などがおり、戦後に皆伝を受けた人物としては、佐藤金兵衛上野貴竹内信義初見良昭などがいる[2]

脚注編集

  1. ^ a b c d 高松寿嗣 Takamatsu Toshitsugu | 達人・名人・秘伝の師範たち | 武道・武術の総合情報サイト WEB秘伝” (日本語). webhiden.jp. 2020年10月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 恩師紹介”. www.genbukan.com. 2020年10月10日閲覧。
  3. ^ Home” (日本語). 戸田真竜軒. 2020年10月10日閲覧。
  4. ^ Takamatsu”. www.takamatsu-sensei.info. 2020年10月10日閲覧。