高橋 誠一郎(たかはし せいいちろう、1884年明治17年)5月9日 - 1982年昭和57年)2月9日[1])は、戦前昭和から戦後黎明期にかけての経済学者(専攻は経済原論および経済学史)、教育者政治家慶應義塾大学名誉博士日本藝術院院長、帝国学士院会員、日本舞踊協会会長、国立劇場会長、東京国立博物館長、第1次吉田内閣文部大臣等を歴任し、戦後の文化行政を指導して古典芸能の保護に尽力。経済学者としてはアダム・スミス以前の西欧経済理論、特に重商主義経済学説を研究。

高橋 誠一郎
たかはし せいいちろう
肖像写真
生年月日 1884年明治17年)5月9日
出生地 日本の旗 神奈川県横浜市
没年月日 (1982-02-09) 1982年2月9日(97歳没)
出身校 慶應義塾大学部政治科
前職 慶應義塾長
所属政党 無所属
称号 従二位
勲一等瑞宝章
勲一等旭日大綬章
文化勲章

日本の旗 第62代 文部大臣
内閣 第1次吉田内閣
在任期間 1947年1月31日 - 1947年5月24日
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位階勲等従二位勲一等勲一等旭日大綬章勲一等瑞宝章文化勲章受章。

略歴

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豪商廻船問屋「津軽屋」の長男。父は視力に異状を来たし、それから横浜絹物貿易商を営んでいた。

父が福沢諭吉の崇拝者であった関係で、慶應義塾普通学科に入学し大学部政治科を卒業。ただちに助手に採用され、1911年明治44年)にロンドン大学に留学。同年病によりシベリア経由で帰国。1914年大正3年)から慶應義塾大学部政治科の経済原論、経済学史を担当。その後、理財科で研究会を担当し、経済学部長を経て、慶應義塾図書館監督(現在の館長)に就任した。大東亜戦争中に名誉教授に就任。多くの経済研究書の内、『重商主義経済学説研究』は代表的著作とされ当時高い評価を受けた。

戦後まもなく第一次吉田内閣改造内閣文部大臣となり教育基本法学校教育法を制定。教育基本法の審議に際しては、教育基本法が教育勅語と矛盾しないことを議会答弁した[2]。その後、日本芸術院長に就任。国立博物館長や文化財保護委員会委員長なども歴任した。

また芸術・芸能にも造詣が深く、浮世絵の収集・研究でも知られた。高橋コレクションと呼ばれた収集品は国際的にも著名で、特に鈴木春信の錦絵『風俗四季歌仙』は、保存状態が良好な揃物。現在、その収集品のおよそ半分が慶應義塾の所蔵となっている。第二次世界大戦中も国民服でなく和服で通した。

94歳で退任するまで母校で講義をし続けた。墓所は横浜青木山本覚寺。

年譜

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著書

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  • 『高橋誠一郎コレクション・浮世絵』〈全七巻〉、中央公論社、1975〜77年
  • 『回想九十年』筑摩書房、1973年
  • 『春日随想』読売新聞社、1973年
  • 『春信』講談社、1971年
  • 『随筆慶應義塾—エピメーテウス抄』三田文学ライブラリー、1970年
  • 『浮世絵随想』中央公論美術出版、1966年
  • 『江戸の浮世絵師』平凡社、1964年
  • 『三代言論人集 第2巻 福沢諭吉』時事通信社、1963年
  • 『新浮世絵二百五十年』中央公論美術出版、1961年
  • 『浮世絵と経済学』毎日新聞社、1961年
  • 『経済学、わが師わが友』日本評論社、1956年
  • 『わがことひとのこと』慶應通信、1955年
  • 『結婚指環』読売新聞社、1955年
  • 『書斎の内外』要書房、1949年
  • 『正統派経済学説研究』泉文堂、1949年(高垣寅次郎堀経夫久保田明光中山伊知郎と共著)
  • 『続経済思想史随筆』理想社、1949年
  • 『浮世絵講話』好学社、1948年
  • 『西洋経済学史』国元書房、1948年
  • 『経済学史略』慶應出版社、1948年
  • 『西洋経済古書漫筆』好学社、1947年
  • 『古版西洋経済書解題』慶應出版社、1943年
  • 『改訂重商主義経済学説研究』改造社、1942年
  • 『王城山荘随筆』三田文学出版部、1941年
  • 『経済思想史随筆』理想社、1940年
  • 『浮世絵二百五十年』中央公論社、1938年
  • 『経済学史(上)』日本評論社、1937年(第1版)
  • 『経済原論』慶應義塾出版局、1936年
  • 『アリストテレース』三省堂、1934年
  • 『経済学史』改造社、1934年(小泉信三増井幸雄加田哲二と共著)
  • 『福澤先生伝』改造社、1933年
  • 『重商主義経済学説研究』改造社、1932年
  • 『経済学史』日本評論社、1929年
  • 『経済学前史』改造社、1929年(第1版)
  • 『経済学史研究』大鐙閣、1920年

脚注

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  1. ^ 高橋誠一郎』 - コトバンク
  2. ^ 此の法案の中には、教育勅語の良き精神が引繼がれて居りまするし、又不十分な點、表現の不適當な點も改めて表現せられて居ると考へるのであります、教育勅語を敢て廢止すると云ふ考はないのでございまするが、教育勅語を是迄のやうに學校で式日などに捧讀致しますることは、之を廢止したいのでございます。(昭和22年3月19日貴族院本会議)

参考文献

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  • 『三田評論』慶應義塾、1982年6月号:追悼・高橋誠一郎

関連項目

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公職
先代
(新設)
  文化財保護委員会委員長
1950年 - 1956年
次代
河井弥八