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高正(こう せい、生年不詳 - 1016年)は、(契丹)の政治家軍人

経歴編集

統和7年(989年)に進士に及第し、枢密直学士に累進した。24年(1006年)、正月元旦を祝う使者として北宋に入国した。28年(1010年)、聖宗高麗に親征するに先立って、高正を高麗に派遣して契丹側の意向を伝えさせた。帰国すると、尚書右僕射に転じた。高麗王詢が契丹に入朝を願い出ると、聖宗はこれを許し、高正に騎兵1000人をつけて派遣して高麗王を迎えさせようとした。途中で高麗の将軍の卓思正に包囲され、衆寡敵せず、高正は麾下の兵士とともに包囲の突破を図ったが、兵士に多くの死傷者を出した。聖宗は軽率に派遣したことを後悔して、高正の罪を問わなかった。

29年(1011年)、工部侍郎に転じ、北院枢密副使となった。開泰5年(1016年)、死去した。

伝記資料編集