高田晴行

高田 晴行(たかた はるゆき、1959年または1960年 - 1993年5月4日)は、カンボジア文民警察官として任務中に殉職した警察官階級警部補(殉職後、二階級特進警視)。

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来歴編集

倉敷市生まれ。 1982年専修大学卒業後、同年4月岡山県警察警察官に任官され、岡山東警察署井原警察署等で勤務。機動隊に所属していた1992年10月、国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の文民警察官に応募し、総理府の国際平和協力隊員に採用され、同年10月14日、カンボジア入りした。1993年5月、カンボジア北西部のバンテイメンチェイ州アンピル村でポル・ポト派とみられる身元不明の武装ゲリラの攻撃を受け殺害された。

殺害の経緯編集

1993年5月4日昼過ぎ、タイ国境に近いカンボジア北西部のバンテイメンチェイ州アンピル村で、同村に駐在している国連カンボジア暫定統治機構の日本人文民警察官5人が、オランダ海兵隊UNTAC部隊の護衛を受け、国道691号をパトロール巡回中に、ポル・ポト派とみられる身元不明の武装ゲリラに襲撃された。

10人程度とみられる武装ゲリラは、先頭車両を対戦車ロケット弾で攻撃し、車列が停止すると、自動小銃で一斉射撃をした。オランダ海兵隊も応戦したが、現場で高田警部補が死亡、他の4人の日本人文民警察官も重傷を負い、ヘリコプターでバンコクのプミポン空軍病院に搬送された。 なお文民警察隊員らは、武装ゲリラがその後ポル・ポト派の村へ向かって行くのを見ているが、武装ゲリラがポル・ポト派だという確証は得られておらず、UNTACや日本政府はポル・ポト派の襲撃とは断定できないとしている。

死後編集

自衛隊カンボジア派遣では、自衛官のほか、文民警察官として全国の都道府県警察から警察官75名が派遣されたが、この事件を受け、2006年末に東ティモールへ派遣されるまでの間、警察のPKO派遣は行われなかった。

1997年プノンペン市郊外のタン・コサーン寺院に、高田警部補の慰霊碑が建立された。また、殉職場所には栄誉を記念して高田記念小学校が立てられ、村名も「晴行」の名前をもらいハル村に改称された。

高校の同級生らが、高田のことを後世に伝えるために高田晴行基金を設立し[1]、有志から寄付を募っている。基金はカンボジアの発展などが目的で、カンボジアの子供たちのために使われている。

脚注編集

  1. ^ “「高田基金」寄付募る PKO殉職警官の同級生ら”. 47NEWS(よんななニュース). (2002年8月22日). http://www.47news.jp/CN/200208/CN2002082201000242.html 2012年6月27日閲覧。 

関連項目編集