高野 喜六(たかの きろく、1881年10月1日[1] - 1939年1月15日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴 編集

福岡県出身[2]福岡県議となる。福岡県清徳炭坑、飯塚炭坑各坑長、嘉穂清涼飲料、嘉穂炭業、筑豊自動車各(株)社長などを務める[2]

1932年第18回衆議院議員総選挙において福岡2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選する[3]。次の1936年第19回衆議院議員総選挙で再選[4]1937年第20回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1939年死去。

脚注 編集

  1. ^ 衆議院『第六十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1932年、29頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』376頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』104頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』112頁。

参考文献 編集

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。